第21話 レシピのないオムライス


  欲望という名の引力から人は逃れられない。いくら知性の翼を広げてもやがては絡めとられ、あるいは傲慢に太陽に近づき蝋が溶けイカロスが如く墜落してしまう。


 あっ! 動かないで。


 無理はしないほうがいい。最後は色と欲。シンプルでそれはそれで美しい。

 もともとそれほど込み入った人生じゃない。漁師町で生まれ、東京に憧れた。

 なにかがあると思っていた。でもあまり上手くはいかなかった。

 いろいろな仕事をしたよ。高校中退の癖に、ルポライターの真似事なんかも。


 すこし疲れた? なにか飲む?




 

 ※ 板絵いたえ (木製のパネル絵)

 

 それほど厳格に考えることなく、高価なキャンパスの代用と思えばいい。

 正式には板ににかわを塗ったり、ジェッソと呼ばれる地塗り剤で表面を磨いたりするそうだが、そこも気にしなくていい。どうせ拾ってきた廃材だ。

 絵具えのぐから木肌や板の色が透けて見えるのもそれはそれ味がある。どうせ素人なんだからと、今回はラフスケッチしてから彫刻刀で薄くではあるが凹凸を付けた。もはや版画に色をつけるようなもので絵画とも呼べないが、個性的な一枚にはなるだろう。


 

 さっき欲望について語ったけれど知性もなくなりはしない。こうやって下手な絵を描きたくなるのもその発露といえる。でもそういったものは乾季がつづき舞い上がるほこりみたいなもので、雨が降ればなくなってしまう。暫くするとまた舞い上がるから、永続的だとも言えるけど、どうも自分では制御できない不自由な存在だ。



 え? 知的欲求も欲望のひとつじゃないか? なるほどね。


 ルポライターにはどうして? ふふっ、やっぱり疲れたんだね。休憩にしよう。





 ※ 知的な缶コーヒーのススメ


 ジャジャーーン。結構あるでしょ? 60種類くらいあると壮観だね。とても日本で売られているもの全部は揃えられないけど、浅草の問屋で買えるものだけでこれだけのボリューム。缶のデザインも多彩だけれど、表面のプリントもツルツルだったりザラザラだったり中には飾り玉が入っているものもある。グラビア印刷とか言うそうだけど、フィルムを加工したり100円程度のものに各社しのぎを削ってる。

 素材だって昔はスチール缶だけだったのがアルミ缶が……



 ごめんごめん。とにかく飲もう。カップに移してレンジでチン。すこし香りは飛ぶけれど、それぞれの缶の造形を眺めながら温めて飲むのが楽しいんだ。

 どう? 同じブラックでも味が違うもんでしょ? 興味ない? あらら。



 今日、アパートの窓から見える桜木が開花した。


 だからもちろん中心は窓辺にすわる君だけど、できれば花も入れたい。

 背景は深く削るけど、花弁は浮かしたから、彫刻刀の作業のほうが大変だった。

 あとは色をのせるだけ。



 ん? 違うよ。どちらかと言えば、知的でなかったから重宝された。

 事実だけを拾ったんだ。問題を処理する能力もなかったし、イデオロギーや特定の主張も正義感もなかったから……。医療用語にパブリケーションバイアスなんてのがあって、否定的な研究結果は公表されにくい。

 知的な人間はやがて自分の求める方向に事実を曲げてしまう。みな一流大学出身の奴ばかりだったから、それがむしろ自然なことで、愚直ぐちょくは逆に貴重きちょうだったのさ。


 それが一番ながく続いた仕事だけどいろいろとあってね。

 重宝されたのだから辞めなければ良かったと後悔してる。

 結局、母には心配ばかりかけてしまった。不出来な息子。





 彫刻された板に色が重なると下手なりにさまにはなってくる。


 写真じゃないのだから、絵の中くらいは自分の思い通りにしたい。

 真実を歪めたってかまわない。真実がいつも正しいとは限らないのだから……


 咲きはじめの桜木に、桜吹雪が舞っている。すごくありきたりな演出。




 



 え? 絵が見たい? いやいや、まだ途中だから駄目だよ。


 あっ! もうしょうがないな。下手だけどごめんね。


 ん? なんで私がオムライスを持ってるんだって?


 なぜか話しているうちに描きたくなって……旨そうだからレシピ教えて?





 レシピはないんだ。これを作ってくれた人はもういないから。


 



 

 


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