第10話 峠のサウンド・イッチ


 読みかけのノベルを助手席にポイっと投げた。

 キーはなめらかに回り、トルクは極めて正常。

 

 乗らず立ったままエンジンをかけるのが悪い癖で、彼女によく叱られる。この車にブレーキを踏まないと作動しないなんて気の利いた装置はない。改めて皮のシートに腰かけてドアを静かに閉める。旧車だが、気密性はたいしたものだ。どこにも車体にゆがみは無く、長い間、それぞれの所有者に大切に扱われた貴婦人のよう……ただ、この貴婦人は少々、浮気者かも。


 浅草の路地をゆっくりと走りだす。じいさんばあさんは、朝が早い。道にハミ出たプランターに水をやったり、散歩したり、太極拳をしていたり。

 すこし広い道にでた。まだ我慢我慢。僕はくちびるで中指を噛む。我慢我慢。

 幹線道路に入り、路面が上方へと傾き、周囲を見下ろす格好になった。さて、


 スイッチを入れた。シートが背中を叩くように振動する。

 僕はこの瞬間のために生きている。

 砂漠で渡された、泡入りのミネラルウォーターみたいに魂にしみわたる。


 音楽。


 人類始まって以来、この最高の発明は、AIが作る未来なんざ 吹っ飛ばす!

 スピーカー山盛りの一軒家は手が届かない。高級イヤフォンはどこか味気ない。

 ここからが本番。車は峠に。ハエみたいな中年バイカーに気を付けて……


 

 めまぐるしく変わる景色。昨年やっとビートルズのハイレゾも配信された。


 高音質を車中で聞くのは勿体もったいないと、友人に揶揄からかわれるけど。

 一連の行動に不必要なものはない。完ぺきな休日には何一つ欠けてはならない。



 

 太陽が昇りきらぬ内に、頂上付近の見晴らしのよい原っぱにたどり着く。 

 刷り込み。ヒナは最初に見たものを親だと認識する。

 十九歳だったか? 僕がこの景色を初めて見たのは。

 どれ、出がけに持たしてくれた弁当を開けるとするか。





 ※ レシピ


 トースト用の食パン6枚切りで約2センチ。

 サンドイッチ用10枚切りで約1センチ。


 今回はそれより極うすに挑戦。


 


【コツ】

 食パンを冷蔵庫で12時間以上寝かせる。

 食パンの耳に目印の切れ込みを入れる。(8枚切り)

 大量のお湯を用意し、パン切りナイフを温め、水分をふき取りながら切る。

 崩れそうならナイフを引き、温めてからもう一度。

 切り分けたパンの耳の角から水平にナイフを入れ、さらに半分に切る。


【注意】

 ナイフを直火にさらすのは、切れ味が悪くなるのでやめましょう。



 切り分けた16枚のパンをお好みで何枚かフライパンでロースト。

 パンを敷いた上にサンドイッチの具を、並べる。

 柔らかいパンとローストしたパンをランダムに使い重ねる。



 8枚重ねのサンドイッチが2種類出来上がります。

 耳を落とし、一つは正方形に、一つは三角形に、四つ割りにして完成。



 ※ 材料(具)


 定番(ツナ、スクランブルエッグ、ハム、レタス、きゅーり、ポテサラなど)


 +コーンフレーク、サラミ、クルミ、明太子、レアチーズ、アイデア次第。






 ※ 実食


 なるほどローストでさらにパンのかさが減るわけか。8枚重ねても一口でいける。柔らかいパンとカリカリのパンがリズムを作り、具の食感がメロディーをかなでた。

 このサンドイッチは音楽そのものだ。




 僕はこの景色をもう一度、最後に見ることになるだろう。そのときは……



 サウンド・ドックにしてね、多恵ちゃんっ!



 





 

 

 




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