第4話 『気まぐれな神様の賜物』

「んんっ……もう、夕方か」


 寝返りを打って、目覚める。

 窓の外はだいぶ日が傾いていた。

 せっかく目覚まし時計が気を利かせて作ってくれた休日が、終わっていく。

 ヒーターも燃焼時間の経過で自動的に停止したらしく、すっかり身体が冷えてしまった。

 こうして目が覚めると、全てが夢のようにも感じられた。


 無駄だと思いつつも、思わず目覚ましを手に取って、聞いてみる。


「お前は本当に、ここに居たのか?」


 無論、返事はない。

 リンとも、リリンとも、言わない。

 これはただの目覚まし時計だ。

 意思など宿っておらず、壊れてもいない。


 しかし、妙だな。

 目覚ましは鳴った形跡はない。

 それはアラーム機能の設定をしていないから当然として、あのチャイムは何だったのだろう。


 深い眠りの底で聞いた、ベルではない、チャイム。

 聞き覚えはある。

 あれは、たぶん、きっと。


 部屋から出て、自宅のインターフォンを鳴らす。

 間違いない。この音だ。

 俺が寝ている間、何度もこの音が鳴っていた。

 ならば、来客があったのだろう。


 いつもの新聞屋か?

 それとも、目覚まし時計のベルで騒がしくしたことへと近隣住民への苦情?

 もし、万が一、そうじゃなかったとしたら。


 そこまで考えを巡らせて、その存在に気づく。

 部屋のドアの前に置かれた、黄色いオモチャ。

 それは紛れもなく、あの女のアヒルであり。


「ッ……!」


 それを拾い上げて、駆け出す。

 まだそう遠くまでは言ってない筈だ。

 俺はあの女に部屋の番号を教えた。

 しかし、向こうがどこで暮らしているのかは知らない。


 もしも来てくれたのだとしたら、ここで会えなければ、二度と会えないかも知れない。


「はぁ……はぁ……どこだ……どこに行った?」


 がくしゃらに、アパートの周囲を駆け巡る。

 すると、前方に遠ざかる人影が。

 大声を出して呼びかけようにも、日頃の運動不足が祟って、息があがってしまっている。


「ッ……ゲホッ! くそっ!」


 なにか、音が出る物があれば。

 そう思い視線を巡らせると、何故か手に目覚まし時計を持っていた。

 どうやら家を出る際に慌てて持ってきてしまったらしい。

 片手に目覚まし、片手にアヒル。なんとも格好悪いが、この際見栄えなど構うまい。


 前を歩く人物が、あの女である確証なんかない。

 それでも、もしもあの女が本当にさっきまで目覚まし時計になっていたのなら、気づく筈だ。

 そう信じて、俺は目覚ましのベルを鳴らした。


「ッ!?」


 その音を聞いて、立ち止まり、振り返った女。

 その可愛らしい顔立ちには、見覚えがある。

 やはり、このアヒルの持ち主だった。


「……まさか、外で目覚まし時計を鳴らすとは思わなかった」

「こっちも……必死……だったんだよ……」


 ぜいぜいと、息も絶え絶えに弁明すると、彼女は爆笑。

 その笑顔は、アヒルの時に見た無理をしている笑みではなく、心からのものだった。

 それが見れただけでも、俺は満足だった。


「これ、忘れ物だ」


 アヒルをパスする。

 それを受け取った女は、手に収まったそのアヒルをじっと見つめながら、聞いてきた。


「あなたがアヒルになってたって、本当なの?」

「ああ、本当だ」

「それじゃあ、私の裸を見たって言うのも……」

「別に、太っているようには見えなかったぜ?」

「ッ!?」


 身体を洗う際に気にしていたことを言ってやると、女の顔が真っ赤に染まった。

 キッとこちらを睨んで、ツカツカと接近して、ずいっと顔を近づけてくる。

 思わず仰け反ると、女は赤い顔で怒鳴った。


「責任取って!」

「勝手に上司に物言いをした責任のことか?」

「そうじゃなくて、私の裸を見た責任!!」


 わかってるでしょと言わんばかりにそう言われて、たじたじ。

 土下座でもして謝るべきか悩んでいると、女は焦れた様子で地団駄を踏んだ。


「しっかりしなさいよ、男でしょ!?」

「そ、そう言われても、さすがに切腹とかはちょっと……」

「いつの時代の人間よ!? そんな責任の取り方じゃなくていいの!」

「じゃあ、どうすれば……」

「ああもう! 焦れったい! よく聞いて!!」


 狼狽する俺の胸ぐらを掴んで、女は宣言する。


「もうあんな上司の居る職場はやめる!」

「お、おう……それは構わないけど、いいのか、そんな簡単に決めて」

「あなたがそうしろって言ったんでしょ!?」

「いや、俺はあくまで選択肢のひとつとして……」

「そんなことはどうでもいいの! とにかく、仕事はやめるから、その……」


 怒濤の勢いは急速に収まり、なにやらモジモジし始めた女に怪訝な視線を向けると、彼女は意を決したように願いを口にした。


「わ、私をお嫁さんにして、面倒を見て下さい……」


 これまでとはうって変わってしおらしくなった女のお願い。

 それは捉えようによっては求婚のようにも思える台詞。

 いや、どう聞いてもそうとしか思えない。いきなり求婚してくるなんて、変わった奴だ。


 とはいえ、それはこちらとしても望み通り。


「俺で良ければ、ずっと傍に居てやるよ」


 口の利けなかったあの時の返事をようやく言えて。


 これで彼女も、そして俺も、共に幸せになることが出来た。


 どうにも上手くいき過ぎなような気がしなくもないが、どうせ神様の気まぐれの賜物だと思い、俺たちは有り難く、降って湧いた幸福を受け入れることにしたのだった。

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ある日突然、アヒルになりまして お先真っ暗なクロのスケ @osaki-makkurana-kuronosuke

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