第3話 『目覚まし時計との会話』

「ん……朝、か……」


 パチリと目を開ける。

 視界には見慣れた天井が広がっている。

 さっきまで居た、女の子らしい綺麗な部屋のそれとは違い、薄汚れた天井だ。

 ということは、つまり。


「現実に、戻ってきたのか……?」


 呟いて、気づく。

 話せる。声が出せる。

 それならば。


「おっ! ちゃんと腕が動くぞ!」


 ためしに手を天井に目がけて掲げて、大喜び。

 それはたしかに自分の腕であり、手のひらも見知ったものだ。

 布団から起き上がり、両手をグーパーグーパー。

 掛け布団をよけて、自分の足の存在を確認して、動作を確認。

 

 いやぁ……動けるって、素晴らしい。

 五体を自由に動かせることに感激して、暫く布団の上であぐらをかいて、しみじみ。

 なんだか、ものすごく奇妙な夢を見ていた気がする……たしか、アヒルになった夢だった。


「マジかよ……俺」


 昨夜見た夢の内容を思い出して、途端に恥ずかしくなった。

 思春期真っ盛りの中学生じゃあるまいし、いくらなんでも、これはない。

 オモチャのアヒルになって可愛い女と一緒に入浴とか……もうね、死にたい。


 うがぁ!と呻きながら、自らの変態さを嘆いて、ふと気づく。


「やべ……今、何時だ?」


 起床してからどれだけ悶えていたのかを気にして、枕元の目覚まし時計を見やる。

 すると、そこにはありえない時刻が表示されており。


「あちゃー……完全に寝過ごした……」


 愕然として、その事実を認識。

 同時に、どうしてこうなったのかと原因を究明するべく、時計を睨む。

 すると、寝る前にたしかにONにしておいた筈のアラームが無効になっていた。


「なんでだよ……もしかして、壊れたのかな?」


 故障かと思い、役立たずの目覚まし時計を叩こうとして、ふと思い出した。


「そう言えばあの女……目覚まし時計になりたいとかなんとか言ってたな」


 なんでも、そうすれば毎日撫でて貰えるとかなんとか。

 しかし、現実はそう甘くない。鳴れば叩かれるし、壊れても叩かれる。

 特に男は荒っぽいので、それこそ壊すつもりで毎朝ぶっ叩く。

 毎朝毎朝起こされることに対する怒りや恨みを込めて、バチン!とスパンキングをするのだ。

 そうとも知らずに、あの女は目覚まし時計になりたいと抜かしていた。


 もちろん、それはただの妄言でしかないとは思うが、万が一ということもある。


 現に、俺はアヒルになった夢を見た。

 寝る前に望んだ通り、可愛い女と一緒に風呂に入ることが出来た。

 無論、夢と言ってしまえばそれまでだが、それにしてはリアルだった。


「本当に良い胸してたよな、あの女」

『リンッ』


 ついつい思い出して、そう口にすると、一瞬、目覚ましのベルが鳴った。

 直ったのかと思って、じっと見つめても、もう鳴らない。

 気のせいか、やっぱり壊れているのだと思って、枕元に戻し、着替えをすることにする。


 完全に遅刻だが、社会人としてサボるわけにはいかないと思い、寝間着を脱ぐと。


『ジリリリリリリリッ!!』

「うわっ! なんだよ、今更!?」


 突如、息を吹き返してけたたましいベルを鳴らす目覚まし時計。

 これは本当に壊れたかと思い、パンツ一丁で手に取ると、狂ったようにベルは鳴り続けた。

 上部の停止ボタンを押しても、ベルは止まらない。

 このままではお隣さんから苦情が来るかもしれないと思って焦りつつも、俺は実験をしてみた。


「まさかとは思うが……これでどうだ?」

『リンッ…………』


 ズボンを穿く。

 すると、ベルは止まった。


「ほれ!」

『ジリリリリリリリリッ!!』


 ズボンを脱ぐ。

 すると、またベルが鳴り出した。


「マジかよ……てことは、本当に……?」


 ズボンを穿いて、目覚ましを黙らせてから、状況を整理してみる。

 昨晩、俺はおかしな夢を見て、その中で女は目覚まし時計になりたいと願った。

 そして夢から覚めると、目覚まし時計は故障しており、ズボンを脱ぐとベルがなるようになった。

 それは一種のリアクションとも思える反応であり、まるでこちらの行動を認識しているかのようだ。


「ははっ……そんな馬鹿な」


 そこまでまとめて、一笑に付す。

 そんなことがあるわけない。

 超常現象にもほどがある。

 だから俺は、自らの仮説を否定するために、敢えて声に出してみることにした。


「あの女が目覚まし時計になったなんて、そんなことありえないよな」

『リリンッ!』

「!?」


 なんか目覚まし時計が返事をした。

 リリンと、二回ベルを鳴らしたぞ。

 それが肯定の意味なのか否定の意味なのかわからず、言葉を選んで尋ねてみる。


「YESなら一回、NOなら二回鳴らせ。わかったらYESと一回鳴らせ」

『リンッ!』


 目覚まし時計に語りかけている自分は、ついに頭がおかしくなったと思われるかも知れないが、至って真面目であり、そして目覚ましも目覚ましで、真面目に返事をよこした。

 ちゃんと一回鳴ったベルに驚きつつ、質問を続ける。


「よ、よし……ちゃんと伝わってるようだな」

『リンッ!』

「お前は昨日アヒルと一緒に風呂に入ってた胸のデカい女か?」


 単刀直入に尋ねたが、待てども待てども返事は来ない。


「あれ? おーい、聞こえてるか?」

『……リンッ!』

「なんだ、聞こえてるならちゃんと答えろよ」

『リリンッ!』

「ん? 質問を拒否しようってのか?」

『リンッ!』

『もしかして照れてんのか?」

『リリンッ!!』

「今更照れんなって。もう全部見ちまったんだからよ」

『ジリリリリリリリッ!!!!』


 少々からかってみたら、とても怒っている様子。

 あんなに良い身体してる癖に、何をそこまで照れる必要があるのか。

 俺のような恵まれない男の為に、普段からじゃんじゃん露出してくれたらいいのに。

 もちろん、そのような文句は心中に留めて、俺は昨夜から考えていたことを伝える。


「昨日聞いたけど、悩みがあるんだろ?」

『……リンッ』

「一応、アヒルになった俺に良くしてくれたからな……その恩返しがしたい」

『リンッ?』

「とにかく、ちょっと待ってろ。俺が上司にガツンと言ってやる」


 目覚ましを正面に置いて、携帯を取り出す。

 アヒルになった俺は、昨夜この女にとても良くして貰った。

 元々、オモチャのアヒルに意思なんざないだろうが、それでも恩を返す義理はある。


 だから俺は、昨日覗いた記憶を元に、豚上司が渡してきた連絡先に電話をかけた。


「もしもし、ちょっと折り入って話があるのですが……」

「話……? 君は誰だ?」

「あんたが言い寄ってる職場の女の彼氏って言えば、わかるか?」

「なっ!? わ、私は別に、言い寄ってなど……!」

「やかましい。いいから黙って聞け。今度俺の女に手を出して見ろ。あんたの嫁さんに言いつけるからな!」

「ひっ……そ、それだけは、ご勘弁を……」

「ちっ……びびるくらいなら最初から身の程を弁えろ豚がぁ!!!!」


 通話はわりと短時間で終わった。

 盛大に嘘を盛り込みつつ、少々言い過ぎたかも知れないが、これで問題ないだろう。

 とはいえ、これでセクハラは収まるだろうが、パワハラはエスカレートするかも知れないので、一応その旨を目覚まし時計に言い添えておく。


「余計なお世話だったかも知れないが、これでとりあえずセクハラは収まるだろう。ただ、パワハラは悪化するかもしれない」

『……リンッ』

「もしも耐えられないようなら、そんな仕事やめちまえ」

『リンッ?』

「お前が失業したら、事態を拗らせた責任として、俺が再就職までの当面の生活費を面倒見てやる。だから、心配すんな」

『リリンッ!』

「なんだよ、施しは受けたくないってのか?」

『リリンッ!』

「何言ってるか全然わからん……言いたいことがあるなら、人間に戻ってから直接言いに来い」


 干渉しておいて放り出すわけにも行かず、アフターケアもすることに。

 丁度、ファンヒーターの灯油も切れかけていたので、それを汲みに外に出るついでに、部屋番号を見せる。


「これが俺の部屋の番号だ。わかったか?」

『リンッ!』

「目覚まし時計片手に何をやってるんだ、俺は……」


 鶴じゃあるまいし、目覚まし時計が恩返しにくる道理はない。

 来るとすれば、逆上した上司が何かしてきた時だと思うので、何事もないに越したことはないのだ。

 見返りなんざ、何もいらない。

 ただ、何も出来ないオモチャのアヒルの分まで、この女に何かしてやりたかった。

 

 そうすれば、鬱屈とした自分も救われるんじゃないかと思って……俺はただ、この女を助けたかったんだ。


「経験上、俺が寝ればお前も眠くなって、元に戻れる筈だ」


 満タンにした灯油を燃やして、暖を取りつつ、目覚まし時計に見解を伝えた。

 目覚ましは何も言わない。その沈黙は、このひとときを惜しんでいるようにも見える。

 それは俺も同じで、この限定的ではあるものの意思疎通可能な目覚まし時計が元通りになってしまうことに、一抹の寂しさを覚えなくもない。


 しかし、それでも、俺は思うのだ。


「お前は人間の姿の方が、ずっと可愛いと思うぜ」


 あれほどの美女が無骨な目覚ましのままというのは、世界に対する損失と言えよう。

 だから、そう諭すと、目覚ましは嬉しげに。


『リンッ!』


 と、一回大きくベルを鳴らして、人間に戻ることに合意した。

 ほっとひと安心すると、途端に眠くなって、ヒーターの前に横になる。

 充分距離を取っているし、このまま寝てしまっても構わないだろう。


『ありがとう』


 まどろみの淵で、あの女の声が聞こえた気がして、俺は祈る。


 願わくば、この幸薄い女に、幸せを。


 そしてついでに、俺にも幸せを、と。


 深い深い眠りの中で、チャイムが鳴り響いた、気がした。

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