君と出会ったこの町で -2

 明日、おさげに謝ろう。

 だけど、謝るのは苦手だ。どう話しかければいいのだろう。また傷つけてしまったらどうしよう。後悔と不安が気泡のように増えていく。そのうち、「けんしょうごっこ」に彼女を巻き込もうとしたおさげが悪いとさえ思えてきた。思ってから、惨めになった。


 赤毛と別れたあと、ボクは彼女と歩いた。手には子ども用の黄色の傘。ボクの蝙蝠傘と比べて軽くて持ちやすい。先程から彼女は一言も発さず、ボクの後ろをついてくる。貸したコートはすでにびしょ濡れだ。


 パイ生地のように積み重なった家に、明かりが灯り始める。階段を上りきり、自宅の扉をノックした。


「おかえりなさい」

 迎え入れてくれた母さんが、違う名前でボクを呼んだ。

「ただいま」


 ボクは笑う。

 誰にだって、秘密のひとつやふたつくらいあるはずだ。

 ボクにだって、秘密はある。



 誰かが梯子を登ってきた。

 低い天井に吊り下げられたランプが、屋根裏部屋の唯一の灯りだ。真四角の出入り口から、タオルを被った頭が現れる。作り物の白い頬が淡い灯りに照らされた。ボクは椅子を引き、体をそちらへ向けた。


「着替えた?」


 彼女は毛布に包まっていた。貸したコートを母さんに脱がされそうになり、慌てて彼女を別室に押し込んだ。母さんに訝しがられてしまったが球体間接は目撃されずにすんだ。着ていたワンピースは洗濯にだされている。母さんの寝間着を借りたのに、どうして毛布をひきずっているのだろう。


「ワタシの、ふく、すてられるのか」


 無感情だった金の瞳が、不安に揺れた気がした。彼女のワンピースはぼろぼろだった。そんな格好で旅をしたらいけないと母さんに叱られていた。


「母さんに捨てないよう言っておく」


 銀色のマグカップを取り、口をつける。ホットチョコレートのとろっとした濃厚な甘さが口内に広がった。甘味も大切な栄養源だ。まともな農作物が育たない町に、定期的に来る行商人にはとても助かっている。


「あの服がないと不安?」

「イマードがくれたものだ」

「イマードが誰かわからないのに?」

 皮肉げに笑ったが、彼女は動じなかった。


「わからないのではない、おぼえていない。イマードがどんなかおで、どういうすがたをしていたのか」


 彼女の記憶の中で、イマードの姿だけ抜けているそうだ。イマードという魔法使いが彼女を作り、共に過ごした記憶はあるのにイマードの容姿を思い出せない。

 毛布に包まったまま突っ立っている彼女に、座ればとボクの背後に敷いてある毛布を指す。ここが客人である彼女の寝床だ。


「顔を覚えていないのにイマードに執着するんだね。お姉さんを作った奴だから?」

「少年はイマードをきらうんだな」

 彼女を睨みつけた。

「お姉さんを捨てたんだよ」

「ちがう」

「何が違うんだ」


 彼女はガラクタに埋もれていた。魔法人形が不要になったから、ガラクタ山に捨てたとしか思えなかった。


「ワタシがワタシをすてた」

 けれど、彼女の答えは意外なものだった。

「ワタシはイマードのねがいのかたち。でも、ワタシではだめだった。ねがいをかなえられなかった」


 彼女は客人用の寝床に両膝を抱えて座った。ホットチョコレートを勧めてみたが首を振られる。どういう仕組みになっているかわからないが、魔法人形は飲食ができた。夕食の席では母さんと三人で食べていた。約束通り、人を演じて。


「イマードにはひとりむすめがいた。けれど、むすめはびょうしした」

「それで、娘を君に求めたのか」

「イマードはわるくはない」 

 イマードを庇う発言がなぜだか面白くない。


「ワタシは人形だ。ものだ。ひとがワタシに、なにをもとめるかは、じゆうだ。ひとのこころは、じゆうであるべきなのだろう」

「イマードが娘の存在に縛られている時点で、心は自由ではないかもね」

「ワタシがイマードをしばっているのなら、やはりワタシはいないほうがよいのだろうか。でも、ワタシはむすめには、なれなかった」

 あぁ、まただ。俯いた金の目が不安げに揺れる。


「……ねぇ、君に心はあるの?」


 沈黙が流れた。

 椅子から身をよじり、彼女の表情を観察する。整った顔は相変わらずの無表情だ。けれど、イマードの話題になると金の目に変化が現れた。「けんしょうごっこ」のときとは違う態度だ。生みの親ともいえるイマードに、特別な想いが生まれたのかもしれない。そこまでは推測できても、やっぱり面白くない。


「ひつようで、あると、いわれた」

 誰に言われたかは見当がつく。

「だから、もしたつもりだ。それが、こころとよべるものか、ワタシにはわからない」

「心を真似するなんてできないよ。ボクは、君にあると思う」


 彼女は人形であり、魔法人形だ。魔法がかかっているからこそ、彼女はボクを映し、一人で歩き、食事をして、会話をして、何かを感じている。

 瞬かない金の目が、裏表のない視線が、ボクに向けられる。


「ありがとう」


 真っ直ぐなお礼が妙に人臭かった。不思議と顔が熱くなり、慌ててそっぽを向いた。


「べ、べつに、お礼を言われるようなことなんか」

「でも、ワタシは」

 心があれば意志もある。

「魔法をときたい」

 心があれば欲もでる。

「ただの、人形になりたいんだ。少年」

 心があれば

「……じゃあどうして、そんな寂しそうな目でボクを見るんだ」

 秘密だって、できる。


 彼女の願いは、ただの人形になること。

 彼女はこの町で作られたらしい。いつ作られたか不明だが、イマードに不要とされてから自らガラクタ山に行き、自分を捨てたと話していた。


 だけど、ここは雨降り町。魔法の雨のせいで、人と妖精の世界の境界線があやふやになった場所。彼女の魔法は解けず、ただの人形にもなれず、ガラクタの中でひたすら眠っていたところをボクが起こしてしまったのだ。


 町を出ればいいと提案すれば、出られないと返された。都合のよいことに、そういう魔法がかかっているそうだ。

 彼女はこの町でしか動けない。言い換えれば、この町だから彼女は動ける。


「あめがやめば、ワタシはとまる」

 昨夜の彼女との会話を思い出す。

「少年は、このあめを、とめたいとおもいたくないか」

「止めたいに決まっているじゃないか」


 あのとき、ボクが隠した本音を彼女は感じとったのだろうか。金の目が美しいと思う反面、見透かされてしまいそうで、時々、逸らしたくなる。


 今朝は霧雨だった。

 屋根裏部屋に彼女を残し、いつもより早く家を出た。目的はひとつ。おさげに謝るためだ。蝙蝠傘を差し、子ども用の黄色の傘を手に走った。おさげは「けんしょうごっこ」の三人の中で一番早く登校する。おさげの家の近くまで行けば、会えるはずだ。


 狭い煉瓦道を歩く人たち追い抜かしていくうち、レインコートを着たおさげの背中を見つけた。


「おさげ!」

 大声で呼ぶ。振り返ったおさげは黒の目を丸くさせた。

「ムギ君」


 息を切らせてやって来たボクに、おさげは気まずそうだ。ボクだって気まずい。沈黙が長引けば長引くほど、言い出しにくくなってしまう。

 ボクは息を大きく吸い込んだ。


「昨日は!」

 黄色の傘を勢いよく差し出す。

「ごめん!」

 おさげから目を逸らさず謝った。

「ごめん……」


 だけど、二回目は情けないぐらいか細くなってしまった。最初の勢いはなんだったのか。物静かな霧雨が風に吹かれ、ボクの頬を濡らした。

 今度はおさげが息を吸い込んだ。


「その、私のほうこそ、昨日はごめんね」

 忘れ物を受け取り、黄色の傘を咲かせる。

「みんなの意見を聞かずに、迷惑をかけちゃった」

 むふふと変な笑い方は、いつものおさげだ。ほっとしたボクは頬を緩めた。

「そのことだけど、お姉さん、参加してもいいって」

 おさげはきょとんとした。

「昨日、「けんしょうごっこ」が何か話をしたんだ。そしたら、「あめふりまちのひみつ」に書かれた古い言葉を解読できるかもしれないって」


 これも昨夜、屋根裏部屋で話したことだ。

 魔法の雨を解く方法は知らないが、この町の魔法について調べられないわけではない。


 それこそ「けんしょうごっこ」だ。子どもの遊びだと思われるだろうが、彼女は大きな関心を示してくれた。古い言葉で書かれた「あめふりまちのひみつ」を解読できるかもしれないと言ったのだ。


 もし、魔法が解ければ、彼女は望み通りただの人形になる。

 でも、彼女は何かを隠しているような気がしてならない。


「それじゃあ、赤毛君も賛成したら」

「うん、四人でやろう」


 でも、それはボクも同じだ。

 ころころと嬉しそうに笑うおさげを眩しく感じながら、学校を目指した。

 逆さ回りの時計塔の鐘が響いた。肩掛け鞄に吊した懐中時計を開く。中途半端な時刻だ。これは時報じゃない。


 鐘は続けて鳴る。びりびりと響く高い音が雨降り町を包む。

 鐘が四回鳴ったとき、それは葬式がある知らせ。


「誰か、亡くなったみたいだな」

 先頭を行くおさげに声をかける。

「そうだね」

 おさげは気にせず、上機嫌に鼻歌を歌っていた。

「姉さんがいなくなったときも、鳴ってたんだよ」

 鐘の音で、何を言ったのか聞き取れなかった。


「ねぇ、ムギ君。私ね、先生や教室の女の子に男の子とばっかりと遊んでるって言われたの。それっておかしいのかな」

「おさげ?」

「だからね、お姉さんが一緒になってくれて、とっても嬉しいの!」

 振り返ったおさげの笑顔の中に、ボクの知らない少女を見つけたような気がした。

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