君と出会ったこの町で

 誰にだって、秘密のひとつやふたつくらいあるはずだ。

 人には話せない何かを隠している。年齢なんて関係ない。他人からすればどうしようもない些細な事柄だったとしても、本人からしたら大きな秘密かもしれない。

 学校の先生は隠し事が悪い行為のように言うけれど、だからといって正直者が素晴らしいとは思えなかった。そんな思考を持つボクは捻くれ者だ。素直になれない可愛げのないガキだ。好意的に話しかけてくれる人に笑えない子どもだ。

 知ってる。これはただの意地。

 土砂降りの雨が小雨に変わる。傘を叩く音が優しくなる。

 ボクは魔法人形と名乗った彼女を食い入るように見つめた。金色の瞳は図鑑に載っていた月に似ている。

 この町で生まれ育った子どもは、太陽や月といった「星」を目にしたことがない。

 晴れた空を、知らない。

「少年は、イマードでは、ない」

 片言の彼女は、人違いだと理解してくれたらしい。体が動かしにくいのか、それとも動かし方を知らないのか、頷く動作がぎこちない。

「少年。イマード、しらないか」

「知らない。イマードって誰」

 彼女が自分の襟首を指す。行動の意味を掴めずにいると背中を向けた。とんとんと自分の襟首を指先で叩く。見ろと言っているのだろう。近づけば、襟首に「イマード」と刻まれていた。

「ワタシをつくった。イマード。魔法使い」

 魔法使いが作った人形。この町でイマードという名前を聞いたことがない。しかも聞き慣れない発音だ。もしかしたら異国の人かもしれない。

 彼女の首筋には、名前以外に真四角の小さな蓋があった。

「これなに?」

 蓋をつついてみる。触れた瞬間、がばりと振り返った。思わず肩が跳ねる。生気がなかった金の目が、驚いたボクをぎらぎらと映している。

「たからもの」

 宝物。その言葉を口内で転がした。

「みたいか、少年」

 感情のない表情からでは、意図が読めない。

「なんで?」

「きょうみ、ないのか」

 そんなの、あるに決まっているじゃないか。

 でも、本当に見ていいのだろうか。恐怖と関心が泥水のように混ざり合う。

「みたいか、みたくないのか」

 質問を重ねられ、ボクは生唾を飲み込んだ。

「みたい」

 彼女が襟首の蓋を開けた。

 蓋の下にあったのは、時計だった。

 その時計はおかしかった。

 時計の針が、逆さ回りではなかったのだから。


 ※ ※ ※


 正しく針が動いている時計を初めて目にした。

 秒針を狂いもなく進める時計が、彼女の襟首に嵌め込まれている。肩ひもに吊り下げた懐中時計の蓋を開ける。ボクの時計は今日も逆さ回りだ。

 おかしいのは、魔法人形の時計だ。

 雨降り町にある時計は、逆さ回りになる魔法がかかっている。たとえ別の場所から持ち込んだとしても、魔法のせいで逆さ回りになってしまう。

 母さんと先生から時計は右回りが正しいと教えられたけど、ボクにとって左回りこそ見慣れた「正しい」時計だ。

「これ、なに」

「とけい」

「知ってる」

 右回りに秒を刻む針に違和感を抱いてしまう。

「どうして、左回りじゃないんだ」

 瞬かない金の目がボクを映す。彼女の目は琥珀にも似ていると思ったとき、今頃、距離の近さに気づいた。かっと頬が熱くなる。咄嗟に仰け反れば傘から外れた彼女は雨に当たり、首を傾げられた。

 自分の頬に触れる。なんだ、今の。どうして、顔が火照ったんだ。

「み、みっともない。着なよ」

 誤魔化すようにコートを脱ぎ、乱暴に頭に被せる。成人男性用のコートは彼女にも大きいようだ。すっぽりと体を覆ってしまった。

「ワタシはしっている。とけいは、みぎまわり」

 彼女はコートを取り払いもせず、くぐもった声で淡々と話す。

「でも、この町の時計は魔法で左回りになるんだ」

「それは、さかさま」

「そう、逆さま」

「おかしい」

「だろ」

 コートを取り払い、傘に入れる。コートの着方を知っているかと尋ねれば、不慣れな様子で袖を通し始めた。ボタンに手間取る姿に苛ついて、途中からボクがやってしまったけれど。

「さかさまになるのは、ワタシのとけい」

「なんで?」

「ワタシ、魔法人形。ひととは、おなじ、じかんをきざめない」

 ボタンを袖口まで全て留め、目につく球体間接を隠した。

「そんなの当たり前だろ。お姉さんは人じゃないんだから」

 彼女に尋ねたいことは山ほどある。どこから来たのか、どうしてガラクタ山にいたのか、魔法人形を作ったイマードは誰なのか、首筋の右回りの時計は何なのか。

 そして、問題がひとつ。

 魔法に関わる存在は忌避しなければいけない。それが雨降り町の掟だ。誰かに見つかれば間違えなく大人たちに回収される。彼女がどうなるか子どものボクには教えてくれないだろう。

「ねぇ、人のふりってできる?」

「人のふり」

 鸚鵡返しをする彼女に頷く。

「この町はね、お姉さんのような魔法に関わる存在に寛容ではないんだ。色々話したいけれど、もう少ししたらボクの友達がくるから」

「いまは、じかんが、ない」

 よく理解できましたと彼女の頭を撫でた。

「どりょくは、してみよう」

 彼女の手を引いて立ち上がる。魔法人形は成人したばかりの若い女性を模したのだろう。「少女」というよりは「娘」がしっくりきた。

「少年」

「なに」

「なぜ、少年はワタシをひみつにする」

 彼女が疑問に思うのはもっともだ。

 ボクは口角を上げて答えた。

「子どもは、大人に反抗するものだろ」


 ※ ※ ※


「ムギ君いた!」

 おさげが走ってきた。後ろから赤毛が追いかけてくる。ばしゃばしゃと泥水を跳ねさせた二人の長靴は泥まみれだ。黄色と青色の傘をそれぞれ差していても、走れば雨に当たる。

「何してたの、捜したんだよ」

 おさげの心配げな視線にむっとした。

「もしかして、いいもんでも見つかったのか」

 世話のかかる奴だと顔にかいてある赤毛に、さらに苛ついた。こいつはボクと二人でいるときはちょっかいをだしてくる癖に、「けんしょうごっこ」の三人だと纏め役になる。年上だからというのもあるかもしれないが、お兄さんぶる赤毛に格好つけるなよと言いたい。

「なんだよ二人して、ボクはそんなに危なっかしいか。だいたい走ってくるなよ。転んだって知らないからな」

 ボクの口から発せられるのは、お礼でも謝罪でもない文句。嫌われたって当然なのに、こいつらはちっとも動じない。二人揃ってにんまりと笑うのだ。

「危ないというか、ほっとけないってやつ?」

「そうそう。ムギ君、可愛いから」

「ボクは可愛くない」

「またそんなことを言う。ヒンセイは大事って、今朝、話しただろー」

「うるさい」

 あぁだこうだと言い合いしていると、隠れていた彼女がひょっこり姿を現した。崩れたガラクタ山から現れた女性に予想通り二人は目を見開く。

 ボクは誇らしげに胸を張った。

「宝物とやらは見つかった」

「はじめまして、ワタシ、たびびと」

「た、旅人さん?」

 戸惑うおさげにボクは大きく頷いた。

「そう、旅人。仲間とはぐれて困っているそうだ。仲間がお金を管理しているから財布を持っていない。宿には泊まれない。仕方なくガラクタ山で過ごそうとしたところ、ボクが発見した」

 饒舌になるボクの胸に、ちくりと小さな針が刺さったような気がした。

 仕方がない。二人に彼女が魔法人形だと話しても、どうしようもないのだから。

「ワタシ、ここのことば、ふなれだ」

「彼女は他国の人だってさ」

 ボクは魔法人形の存在を秘密にすると約束した。そのために、人のふりをするように提案した。イマードという仲間を捜す旅人にすれば、人の目を誤魔化せるだろう。言葉の拙さは遠い国から来た設定にすればいい。

 旅人が訪れるのは珍しくはない。魔法の雨が降る町はある意味で観光地だ。けれど、住民にとっては死活問題。雨のせいでまともな作物が育つはずがなく、食料などの必需品は外から仕入れるしかなかった。

 皮肉な話、この町は「魔法の雨」で維持されている。

「そっかー、大変だったね!」

 ボクの説明におさげは素直に納得し、彼女を好奇心剥き出しの目で遠慮なく眺めた。

「ムギちゃんの話はわかったけどさ、大人に話した方がいいんじゃねーの」

 神妙な顔で赤毛が切り出すところまで想定内だ。こいつは真面目だ。ボクと違って。

「イマードはこのまちに、いる。さがすだけ、しんぱいない」

「とりあえず、しばらくはボクの家に泊まることになったんだ」

 彼女と手順通りに話を進めていく。

「ムギちゃんのおばさんなら、いいって言いそうだもんな」

 そうだなと同意して、赤毛から視線を外す。自然と一列になり、ガラクタ山を後にした。

「ねぇねぇ、お姉さんはどこまで観光したの?」

 おさげの黄色の傘が回る。ぱらぱらと小雨が降り注ぐなか、おさげ、ボク、彼女、赤毛の順に列になり狭い煉瓦道を歩いていた。先頭のおさげが振り返る。黒の目は先程から彼女に興味津々だ。

「あまり、していない」

「それならっ!」

 立ち止まったおさげが急停止した。ボクの後ろにいた彼女も止まり、最後尾にいる赤毛が彼女にぶつかった。

「私たちと「けんしょうごっこ」をしよう!」

「はぁ?」

 ボクと赤毛の声が重なる。彼女は首を傾げていた。

「だって、今日の「けんしょうごっこ」は証明されたんだよ。想像する宝物と違ったけれど、綺麗なお姉さんに出会えたわ! この出会いこそ宝物だと思わない? それに、この町の観光なんて雨以外大したものないでしょ。それなら魔法に関わるものを一緒に見た方が楽しいって思ったの!」

 おさげの巻き込み癖がでた。

 この町には不思議な現象がある。けれど、それは他人からみれば「不思議」で住民からすれば「危険」だ。魔法には関わってはいけないと口酸っぱく言われるのは、魔法に対して畏怖があるからだ。

 この町は、そんな魔法と共存している。「魔法の雨」を観光としながら、高台へ移り住み、雨によって沈むかもしれない町で暮らしている。

 人がいなくなるのは珍しくない。町を出ていく人、ホタル魚に襲われた人、妖精の国に連れて行かれた人、魔法に関わったせいで行方不明になった人の噂も聞く。ボクの父さんもいなくなってしまった一人だ。

 「けんしょうごっこ」は、おさげの姉が残したノートを基に、噂が事実かどうか調べるための遊び。

 あくまでも、遊びだ。子ども同士の秘密の共有。背が伸び始めた子どもがやりたがる大人の真似事。

 そういった遊びには暗黙のルールがある。誰が言い始めたわけではなく、自然と決まったルールだ。

 大人は混じってはいけない。

 子どもだって馬鹿じゃない。大人と子どもは違う存在だとわかっている。見える世界も思考も感情の受け止め方も、同じ人のはずなのに違う。

 けれど、そうして大人になっていくことを朧気ながらも理解していく。子どもの頃の「自分」はいつかいなくなる。赤毛だっておさげだって、いつか子どもの「自分」と別れなければいけない。

 でも、ボクは。

「ね、いいでしょ! お姉さんも「けんしょうごっこ」に入れよう!」

 おさげはいつだって純粋だ。真剣にこの町の魔法と向き合おうとする。距離を置かず、知りたいという欲求に真っ直ぐに進んでいく。

 そんな少女が、時折、眩しく感じる。

 ボクはずいぶんと捻くれているのだから。

「あのなぁ、おさげちゃん。さすがに俺たちの遊びにお姉さんを巻き込むのは、どうかと思うぜ?」

「どうして? お姉さんが旅人だから?」

「いや、そうじゃなくて。お姉さんに楽しんでもらえるかわからないだろ」

「そうなの?」

 赤毛はおさげにどう説明していいのかわからず、困り顔になっていた。彼女は二人の会話を感情のない瞳で聞いていた。雨脚が強くなる。二人の会話が遠くなる。二人に挟まれていたボクは俯き、汚れた長靴をぼんやりと眺めた。声が雨と混ざり合う。雨音が雑音になっていく。雨も、泥水も、音と視界がぐるりと溶け込むような錯覚に陥る。頭が、酷く、軋む。

 おとなは、だめなんだ。

 ぼくは、おとなになれないから。

「……なんで、仲間に入れたがるんだよ」

 自分が何を呟いたのか、理解できなかった。はっと顔を上げれば、二人分の驚きの視線を浴びた。

 今のは、失言だ。

「ムギ君も、そうなの……?」

 おさげの黒の瞳が潤んでいた。

「みんなと同じことを言うの?」

 何の話だと尋ねる前に、黄色の傘が落ちた。

「おさげ!」

 おさげが駆けだした。引き止めようと伸ばした手が宙を掴む。背中があっという間に雨の中に紛れていった。

 立ち尽くすボクに赤毛があぁと間延びした声を上げ、がしがしと乱暴に頭を掻く。

「ムギ、今のはだめだろ」

「……わかってる」

 静観していた彼女がボクの横を通り過ぎ、黄色の傘を拾い上げた。感情のない顔が振り向く。夕刻になれば、薄暗い町はさらに暗くなる。その町の中で、煌々とした無感動な金の目がボクを映していた。

 ずぶ濡れの彼女が、傘を差し出した。

「わすれものだ」

「知ってる」

「おとしもののほうが、ただしいか」

「どちらも変わらないよ」

 傘を受け取ったボクが上手く笑えたか、彼女の瞳から知る勇気はなかった。

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