雨降り町に君はもういない

椎乃みやこ

君を見つけたこの町で

 今日も町に傘が咲いた。

 赤白黄色と統一感のない傘がぞろぞろと歩いていく。パイ生地のように積み重なった家々が並び、階段が続く細長い道を列になった傘が上り下りしていた。

 ボクはその光景を窓から眺めていた。今朝は小雨。かすかだが風も吹いている。窓を閉じ、結露で曇った窓に触れた。窓ガラスを通して伝わる冷たい温度は、この町を象徴しているようだ。人差し指を滑らせ、丸に四角と意味もなく図形を描いていると梯子の下から母さんに呼ばれた。

 自室にしている屋根裏部屋と梯子を繋ぐ真四角の出入り口から、顔をだして返事をする。ベッドに放り投げていた肩掛け鞄を掴む。肩ひもにつけた懐中時計が揺れ、じゃらりと鎖が鳴った。

 梯子を下りると、コートと緑色のマフラーを腕にかけた母さんが待っていてくれた。お礼を言って受け取る。父さんのものだったコートはぶかぶかだ。歩きながら袖を通し、母さんの手編みのマフラーを巻き、玄関に置いた長靴に履き替えた。傘立てから蝙蝠傘を掴み、いってきますと扉を開く。

 外には、鬱陶しいぐらいに雨に愛された町がある。

 ここは、雨降り町。

 今日もこの町に、雨が降り続ける。

 昔、この町は日照りに悩まされていた。水は干上がり、農作物は育たず、住民は暑さで倒れた。悩んだ末、当時の町長が森の奥に住む魔法使いに、雨の魔法をかけてくれるよう頼みに行ったのが始まりだった。

 魔法使い。不思議な力を使える存在。同じ人でも「魔法」を知ってしまった人。恐ろしく関わってはいけない人。

 町長の行動に、年配者たちは災いがくるのではないかと反対し、若者たちは町のためだと賛成した。何度も話し合いの場が設けられたが話は進まず、結局は町長の独断で魔法使いに頼みに行ったそうだ。

 そして、魔法使いは町にやってきた。

 その日は特に暑かったらしい。猛暑にも関わらず裾の長い外套を羽織り、フードを目深に被っていた。多くの人の視線が集まるなか、魔法使いが両手を上げると高台の時計塔の針が逆さに回りだした。時計塔の頭から雨をたっぷりと含んだ分厚い雲が現れ、雷が鳴り、噴きだすように豪雨が町を覆った。

 悩まされた日照りは、恐れていた魔法であっという間に解決してしまったのだ。

 人々は大いに喜んだ。魔法使いに尊敬の眼差しを送る者もいた。けれど、雨は降り続けるばかり。魔法を解いてもらうため、町長は再び魔法使いの家に行ったが、もぬけの殻だった。この異常事態に町の男たちは七日間に渡って森を捜索したが、足跡すら見つからなかったそうだ。

 雨が降ったあの日から、魔法使いの姿を見た者は誰もいない。気に病んだ町長は憔悴し、床に伏してからは二度と目を覚まさなかった。

 「恵み」の雨は「呪い」の雨になった。

 降り続ける雨は災害を呼び起こした。雨から逃れるため人々は高台へと移り、残された家は雨で出来上がった湖の底に沈んだ。

 雨の魔法がかかった町に、今日も色とりどりの傘が咲く。

 この町はともかく階段が多い。数日前に訪れた旅人が、この町の住民は足腰が強いと感心していた。

 家の外には下り階段が伸びている。階段下には煉瓦道があり、ボクと同じくらいの子どもたちが傘の列を作って歩いていた。

 階段から滑り落ちるから走ったらだめだよ。それが母さんの口癖。けれど、ボクはいい子じゃない。蝙蝠傘を片手に階段を駆け下りていく。ぽたぽたと傘を叩く音。この町を覆う雨の匂い。雨の魔法をかけられた町がボクが知る世界だった。

 煉瓦道を歩く列に入り込む。ぞろぞろと歩くのは、学校に通う子どもたちだ。

「おはよう、ムギちゃん」

 肩をぶつけられた。蝙蝠傘の隣に青色の子ども用の傘が並ぶ。ボクより背が高い赤毛の少年がにやにやと笑っていた。

「おはよう、赤毛君」 

「赤毛って言うなよ、ムギ」

「だったらお前もムギって言うな」

 睨みつけると赤毛も睨んできた。憎まれ口を叩かれたら叩き返す。またやっているよと誰かが呟いた。小雨の中、ボクたちはぎゃあぎゃあと言い合う。チビだの女顔だのと罵る赤毛に対し、声がでかいだの偏屈野郎と言い返す。そのうち両者とも罵倒の語彙が尽きてきた。

 お互いしばし睨みあってから、共犯者めいた顔で笑い合った。

 こいつはボクの同級生。顔を合わせるたび、憎まれ口を叩きあう仲だ。

「学校めんどくせー」

「だから、お前はいつまでたっても馬鹿なんだよ」

「やだやだ。可愛い顔をしている癖に口が悪いよなぁ、お前って」

 ボクは鼻で笑い返した。

「可愛い顔をしているからって、口がいい理由にはならないだろ」

「ヒンセイは大事って先生が言ってただろ」

「ふぅん」

 適当な相づちを打つ。肩に当てた傘を回せば、赤毛も回し始めた。背丈が低い黒色の傘と背丈が高い青色の傘がくるくる回る。

 赤毛はこの町では珍しい髪色だ。雨に呪われた町にはない炎の色。そのせいか、一部からは神聖視され、一部からは揶揄された。

 こいつの背が高いのは、ボクよりひとつ年上だから。赤毛は一年間、不登校だった。ある日、赤毛はボクの学級の一員になった。その理由を知らない。奇異の目はあったが赤毛に話しかける生徒はおらず、様子を伺うように距離を空けていた。

「なぁ、ムギちゃん」

「ムギっていうな」

 ボクの名前はムギじゃない。ムギというあだ名をつけたのは赤毛だ。一日中黙って本を読んでいる赤毛に声をかけたのが始まりだった。何か話せよと言えば冷たくあしらわれた。腹が立って「赤毛だからなんだ。お前だって普通のガキと一緒だろ」と言えば赤毛は怒りだし、ボクの金髪が「麦とそっくりだからムギだ」と罵った。初めて口喧嘩をしたのは、あのときだ。

「じゃあ、赤毛って言うなよ」

「はいはい」

 このやりとりをしたのは何度目だろう。年上の赤毛に敬語を使う同級生もいるけれど、ボクは使わない。その必要がないと思ったからだ。

「俺さ、この町を出るかもしれない」

 何気なく赤毛は呟いた。

 なにも珍しい話じゃない。魔法の雨が降り続ける町から去ろうとするのは当然だろう。雨から逃れるため高台へ移っても、雨量は増すばかり。母さんはいつか魔法が解けると信じているようだけれど、いずれここも湖になって沈むといわれている。

 回答に詰まる。

「あっそ」

 ようやくでてきたのは、素っ気ない答えだった。

「ムギちゃん、冷たいねぇ」

「うるさい」

 こういうときになんて言えば、友人を傷つけないようにできるのだろう。ボクの唇から吐く言葉は、この町の雨のように冷たい。

「……お前がいなくて清々する」

「なんで顔を隠してんだよ」

 傘で顔を隠したのがばれた。頭を赤毛に小突かれ、笑われる。

「いつか、お前の身長より高くなってやる」

「はいはい」

 下唇を軽く噛みしめる。

 雨脚が強くなったのが幸いだった。


 ※ ※ ※


 赤毛の欲しいものってなんだろう。

 黒板に広がるチョークの文字を見ながら、ぼんやりと考えていた。教科書をめくり、ノートに書き込む音。先生の単調な声に居眠りをする生徒。静かな教室に、今日も雨音が響く。

 後方の窓際がボクの席だ。水滴がついた窓にボクの顔が映っていた。金髪碧眼。女の子と間違われやすい顔。可愛いと言われるのは心底嬉しくなかった。背が伸びれば、声変わりすれば、少しは男らしくなるのだろうか。ちらりと視線を斜め向かいの赤毛へと向ける。たった一歳の違いなのに、背が伸び、声変わりしている赤毛が羨ましかった。

 あいつは何が欲しいんだろう。

 ボクはお金を持っていない。高価なものは贈れない。

 母子家庭の我が家は、決して裕福ではなかった。屋根裏部屋を自室にしているのは、単純に家が小さいからだ。本当は働きにでたいけれど、母さんからどうしても学校に行って欲しいと言われた。引っ越しできる貯金すらない家計だ。二人で働いて引っ越し費用を貯めて、町を出てから学校に行くと提案すれば、父さんと暮らした町だからできないと首を振られた。

 父さんは帰ってこないのに。

 ボクが八歳の頃、父さんは行方不明になった。妖精に連れ去られたのだと大人たちは口を揃えた。雨降り町の雨は「魔法」だ。その魔法の雨に引き寄せられて、不思議な存在や現象が起きるのは珍しくない。偉い学者曰く、妖精の世界と人の世界の境界線が、雨によってあやふやになっているらしい。

 雨は、魔法を連れてやってくる。

 けれど、その雨を止める方法を誰も知らない。

 逆さ回りの懐中時計が一日の授業の終わりを知らせた。チャイムが鳴った途端、生徒たちが教室から出て行く。懐中時計の蓋を閉じ、席を立ち上がるとおさげの少女が声をかけてきた。

「ムギ君」

「ムギじゃない」

 焦茶のおさげが揺れる。黒色の目を瞬かせて、女の子はむふふと変な笑顔をつくった。

「ねぇねぇ、このあと、予定ある?」

 おさげの手には使いこんだノートがある。ノートのタイトルは「あめふりまちのひみつ」。どういう内容か理解しているボクは、あからさまに嫌な顔をした。

「嫌だね。怖い目に遭ったらどうするんだ」

「幽霊バスが通るバス停の近くに、ガラクタ山があるでしょう? そこにお宝が埋まっているかもしれないってノートに書いてあったの」

 おさげは気にせずしゃべる。鞄の肩ひもを肩にかけ、通り過ぎた。背中に早口でまくし立てるおさげの声が当たる。

「ガラクタ山のお宝って何かしら! 魔法に関わるものなら調べなくちゃいけないわ。何が眠っていると思う? 私は願いを叶えるランプが欲しいわ。あとは、空飛ぶトランクとか踊る赤い靴とか!」

「魔法に関わって、妖精の世界に連れ去られるかもしれないよ」

「それはそれで素敵ね」

 ボクの脅かしにおさげは怯まない。むしろべらべらと話す勢いが増すばかり。このままだとボクの家までついてくる可能性が非常に高い。おさげはそういう性格だ。いつもそうして、ボクをノートの「けんしょうごっこ」に付き合わせようとする。

 「あめふりまちのひみつ」と題したノートは、おさげの姉のものだ。彼女の姉は一年前に何も言わず町を出て行った。いなくなった理由はわからない。何か手がかりになるものをとおさげが探したところ、姉の部屋からそのノートを見つけた。

 「あめふりまちのひみつ」には、この町の不思議な現象や噂について書かれている。大半はスケッチだ。おさげ曰く、姉は絵が趣味だったそうだ。スケッチには古い言葉が添えられていた。姉の辞書で時間をかけて解読し、本当なのか確かめる。

 それが「けんしょうごっこ」。

 このノートを解読できれば姉がいなくなった理由がわかるかもしれないと、頑なに信じているおさげを止められなかった。

 赤毛がひょいとボクの前に現れた。

「なんだ、ムギちゃん。おさげちゃんとデートか?」

「そうよ」

「違う」

 赤毛の赤茶色の目がノートへと移り、にやりと笑った。嫌な予感がする。

「けんしょうごっこか。俺も参加する」

「私も参加するの」

「ボクは参加するなんて」

 赤毛に腕を捕まれ、おさげに背中を押された。こうされたら逃げられない。気がついたらなぜか一緒にいるようになった二人とガラクタ山へ向かった。


 雨降り町には不思議な話がたくさんある。

 例えば、人の目玉を好む魔法生物のホタル魚。妖精の世界に連れて行かれると囁かれる幽霊バス。あじさい通りに現れる赤い傘を差した女の子。

 そして、魔法使いが雨を降らせてから逆さ回りになった高台の時計塔。時計塔だけじゃない。町の時計の針は全て逆さ回りになっている。

 この町には、こういった不思議な現象や噂がいくつかある。興味本位や研究のために一時期は多くの人が訪れたが、何も解決されなかった。この町は沈むだけ。いつだったか旅人が呟いていた。

 住民の移動手段の大半が徒歩だ。車はあるが、階段や狭い道が多いため限られている。

 黒青黄色の傘を三人でくるくる回しながら、一列になって階段を下りる。幾度となく角を曲がり、あじさい通りを通り過ぎる。パイ生地のように重なった家が遠くなり、山のように見えたらガラクタ山はすぐそこだ。

 看板には「関係者以外立ち入り禁止」と心惹かれる文句が書かれている。周囲に大人がいないと確認してからガラクタ山に入り込んだ。

 一時間経ったら看板の前に集合と約束して二人と別れた。とはいえ、お宝というのはなんだろう。魔法に関わるものが本当に眠っているのなら関わってはいけない。

 だけど「けんしょうごっこ」は真逆をいく。魔法が関わっている物事にあえて突っ込んでいくのだ。魔法は確かにある。あるからこうしてこの町に雨が降り続いている。

 今のところ、「けんしょうごっこ」で危険な目に遭ったことはない。

 それが当たり前の日常だった。

 だから、今日もそうだと思った。

 雨脚が強くなる。周囲が雨音にかき消されてしまう。雨はいつだって行動範囲を狭めてくる。傘を差していても、父さんのコートを着ていても、長靴を履いても、濡れるものは濡れる。風が吹けばさらに濡れる。これでは宝探しは困難だ。今日は中断するしかない。名残惜しく感じながら引き返すと、ぱしゃんと大きな水たまりを踏んだ。

 視界の端に、妙なものが映った気がした。

 ゆっくりと視線を滑らし、辿っていく。

 手が、あった。

 ガラクタが積み上げられた小さな山に、白い手が生えていた。

 息を呑む。雨音がうるさく、思考を遮断してくる。頭の中が煮詰めたスープのようにぐらぐらと滾った。この手は、心臓が、止まった人の。

 辿りつきたくない結論にいきそうになり、母さんの手編みのマフラーをぎゅっと握った。柔らかい感触に安堵する。息を吐き、吸い込んだ。

 白い手に近づく。間近に見ると手首に窪みがあった。窪みの中には球体がある。これは、球体関節だ。血が通っているとは思えない白さに、ようやく人ではないと安堵した。

 なんだ、人形か。

 球体間接さえなければ、人の手だと勘違いしたままだっただろう。それくらい人形の手は精巧に作られていた。ガラクタから飛び出している手はボクより大きい。試しに触れてみると柔らかく、滑らかだった。ただ、体温はない。この町の雨と同じ温度だ。

 どういう人形なのだろう。興味本位で手を引っ張ってみた。びくともしない。もう一度、強く引っ張る。今度はガラクタの一部がことんと落ちた。傘の中棒を肩に当て、首で支える。両手で人形の手を握り、ガラクタに足をかけて思いきり引っ張った。

 人形が、ボクの手を握り返した気がした。

 傘が落ちた。がらがらと大きな音を立てて小さなガラクタの山が崩れた。尻餅をついたボクの隣に傘が転がり、晒された頭にどしゃぶりの雨が降り注ぐ。

 金色の目があった。

 女性の顔立ちをした人形は、本当に生きているように思えた。短い緑の髪は雨に濡れ、しっとりと艶がでている。うつ伏せになった体は破れた貧相な服を着ていた。もしかして、本当は人なのだろうか。いや、でも。握った彼女の手を見下ろす。人にはない立派な球体間接がある。

 なぜだろう。その手を離したくなくて、目に焼きつけたくて、ずっと見ていたいと思ってしまった。

「……イマード」

 喋った。

「君の名前?」

「ちがう、イマード。あなた」

 抑揚を感じさせない口調は拙く、言葉を覚え始めた幼い子どものようだ。

「ボクはイマードじゃないよ」

「なぜ」

 なぜと言われても、名前の人物ではないからとしか答えようがない。

「ねぇ、君は誰?」

 彼女は体を起こし、その場に座った。ボクは転がっていた傘を手繰り寄せ、自分と彼女に差す。一人と一体の距離が近くなる。

「ワタシ、魔法人形」

 躊躇いもなく彼女は答えた。

 あぁ、そうだ。どうして大切なことを忘れていたのだろう。

 雨は、魔法を連れてくるのに。

 土砂降りの雨が傘を強く叩く。雨は行動範囲を狭め、ボクたちの逃げ場をなくしてしまう。

 本当は恐れるべき相手なのに、金色の目がボクを興味深そうに映す。ボクは笑って、彼女の目覚めを迎えた。

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