少女の秘密

 私の秘密、お話するね。

 誰にだって、秘密のひとつやふたつぐらいあるはずだ。他人からすればどうでもいいことでも、本人からすればとても重要なのかもしれない。

 それくらい心ってものはたくさんの感情を詰め込む癖に、定期的に吐き出さないと爆発するとっても困った代物なのだ。未だに、脳にあるのか心臓にあるのかわからないけれど。


 私は「おさげ」と呼ばれている。

 この町では珍しくない焦げ茶の髪を、三つ編みのおさげ髪にしてからそんな呼び名がついた。今年でようやく十歳になれた。やっと十歳になれたのに、大人はまだ十歳というの。十年も生きるって大変よ。でも、まだがんばらなくちゃいけないんだってさ。


 三つ年の離れた姉さんは、がんばらなくちゃいけないことを放り投げて消えてしまった。


 姉さんと仲が良かったかと訊かれたら、私は大きく頷くわ。けどね、それはあくまで主観。周囲は仲の良い姉妹だったと言ってくれるけど、私は姉さんじゃない。姉さんがどう思って接してくれたかは知らない。


 家族にだって、秘密があると思う。

 真面目に生きていれば報われる物語が溢れていても、残念ながらいい子でいられる自信がない。時々、正義の味方に倒される悪者に同情してしまう悪い子だ。でもね、それを言ったら変な顔をする人が多いから黙っているの。


 唯一、話せるのは「けんしょうごっこ」の二人。

 それと、姉さんだった。


 姉さんが周囲からどんな評価を受けていたのか知らないけれど、少なくとも私から見た姉さんは充分に変わり者だった。恐れられている魔法に強い関心を持ち、その影響を受けて私も変わり者になった。後悔はしていないけれど。


 姉さんは、「ここではないどこか」に憧れていた。

 魔法の雨が降り続ける雨降り町を嫌悪をしていたわ。閉鎖的だと愚痴を零していた。魔法を解く方法を探さず、高台へ逃げるか町を出るしかない状況を憎らしく思っていたのね。


「晴れた空を見たいと思わない?」


 一年前、あの日は豪雨だった。休日なのに遊びに行けず、窓の外をぼんやり眺めていたら姉さんに尋ねられた。

 この町で生まれ育った子どもは、晴れた空を知らない。


 空には「星」があるらしい。晴れた夜の空にしか現れない光だそうだ。空には色があるらしい。鉛色の雲の向こうには、青や橙といった色があると姉さんが教えてくれた。

 興味がなかったわけじゃない。でも、子どもだけでは町を出られない。出入り口の門に行くには、幽霊バスに乗って湖に沈んだ町を通る必要がある。


 あの湖には、ホタル魚がいる。

 ホタル魚は人の目玉を好物とする魔法生物だ。特に子どもの目を好むと聞く。湖にさえ近づかなければいいかもしれないけれど、何か起こった後ではもう遅い。子どもだけでは行ってはいけない町の掟があった。


「湖に行こうよ」

 けれど、姉さんはいとも簡単に掟を破ろうとする。

「どしゃぶりだよ」


 雨は変わらずざあざあと降っていた。窓の外には誰もいない。住民たちは、町が沈まないように祈り、高台に引っ越すかどうか悩んでいる。両親もそう。大雨が降るといつも同じ話題がでる。


「雨は人を閉じこめるのに適している」

 ぽつりと呟いた姉さんは、愚痴を零すときと同じ声色だった。

「そういう状況が長く続くとね、それに慣れてくる。自分たちが閉じこめられていることを忘れてしまう」

 どういう意味なのかと尋ねる前に、姉さんはむふふと変な声をだして笑った。

「わたしは、遠いところに行きたい。ここではないどこかに」


 その日の夜、姉さんはいなくなった。

 大量の雨が降り注ぐ日に。

 雨は、魔法を連れてくる。

 妖精の世界に連れ去られたのだと、お決まりの噂が流れた。

 でも、私、本当は知っているの。


 姉さんがいなくなって三日後、早朝に鐘が鳴った。朝の時報だと思い、寝ぼけ眼で自室を出ると「これは四時の鐘だから眠っていなさい」と両親にベッドに戻された。

 ベッドに戻ってから思い出した。朝四時に鐘は鳴らない。姉さんが教えてくれたの。逆さ回りの時計が正しい時刻を知らせるはずがないって。


 不思議に思って耳を澄ませていたら、両親の忙しない足音が聞こえた。こっそりドアから覗くと私に内緒で出かけて行ったわ。それも、お別れするときの黒色の服装で。


 これは大人の都合。大人の領域。子どもには関係のない世界。いい子はベッドで眠って、両親が帰ってくるまで夢の中にいるのが一番。頭ではわかっていた。わかっていたけれど。


 私は悪い子だから、ついていったの。

 お気に入りの黄色の傘を留守番させて、代わりにレインコートを羽織ってこっそり後をつけた。


 雨降り町は、魔法の雨で生活している。この雨水で洗濯をし、料理をし、体を洗う。浄水はされているけれど、これは魔法の雨。人体にどんな影響があるかわからないまま日々を暮らしている。魔法を恐れながら、この町で生きるために魔法の雨を観光化させ、外から人を呼んで収入を得ている。工夫しているのだ。姉さんは「矛盾している。根本的な解決にならない」とぼやいていたけれど、私はそれでもいいと思った。


 ねぇ、姉さん。姉さんは「ここではないどこか」に憧れていたけれど、「ここしか知らない」私にとって、どこかに行くよりもここでどう生きるかが大事なの。私は悪い子だから。閉じこめられているってことさえ気づかない馬鹿な妹だから。


 何よりも、それを教えてくれたのはこの町だから。

 あのね、姉さん。私、姉さんに隠し事をしているの。

 本当は知っているのよ。姉さんがどこにいったのか。


 この町には「墓」というものがない。

 他の町では旅立つ人は長方形の箱に入り、土に埋められて、その上に石を立てるという。姉さんからその話を聞いたときは半信半疑だった。後日、定期的に来る行商人に尋ねたらそうだと返ってきた。この町の死者の送り方を説明すると、それは「水葬」だと教えてもらった。


 この町から旅立つ人は、小舟に寝かせられる。魔法の雨で年中咲いている紫陽花が手向けの花。紫陽花に囲まれた人は、ある門へと運ばれる。


 誰かが亡くなったときだけ、開く水門がある。

 水門から繋がる水路に浮かべられた小舟は、「舟渡し」と呼ばれる人と町を囲む迷路のような水路を下り、そして湖に到着する。古い町が沈んだあの湖には人の目玉を好むホタル魚がいる。あくまでも目玉が好物なだけであって、他の部位を食べないとは限らない。


 湖に辿りついたあとはどうなるか、子どもの私にだってそれくらい想像できた。

 この町は、そうして生きている。


 両親の跡をつけたあの日、ぱらぱらと小粒の雨が降っていた。やがて両親は数人の大人たちと出会い、列の先頭になって歩き始めた。両親の後ろには荷車を引いている人がいた。荷車には布を被った小舟が乗っていた。今思えば、あの人は「舟渡し」だったのだろう。


 到着した先は、あの水門だった。

 水門が開く。

 布が外された瞬間、よく知る顔がいた。

 姉さんが、いた。

 姉さんは紫陽花に囲まれて眠っていた。

 小舟に眠る姉さんは、いつもと違っていた。

 首に赤い縄の痕。そして、その首が伸びているように思えた。


 小舟が水路に浮かべられる前に、私は引き返した。走った。ひたすら家まで走った。頭が真っ白になるという体験を初めてした。何も考えられなくなっていた。帰宅して自室に逃げ込んでベッドに潜り込んだ。これは悪い夢だって思った。でも、そうじゃないってこともわかっていた。だって、姉さんは帰ってこないじゃない。どこにもいないじゃない。


 そう、姉さんはどこにもいない。

 本当に「ここではないどこか」に行ってしまったんだ。


 そのとき、すとんと全てが溶けていくような感覚がした。姉さんは妖精の世界に行ってしまった。「ここではないどこか」に行ってしまったから、会えないのは当然なんだと思うと不思議と落ち着いた。


 後日、姉さんの部屋から「あめふりまちのひみつ」のノートを見つけた。そこには、今まで姉さんが調べていた町の噂や不思議な現象について、スケッチと覚え書きが書かれていた。残念なことに文字は全て古い言葉だったから、いちいち辞書を開いて解読するのにとても時間がかかったけれど。


 私は、姉さんの家族で妹だ。

 でも、姉さんが何を思って何を考えていたのかは知らない。「ここではないどこか」にいってしまった姉さんにはもう尋ねられない。


 だから、私は今日もノートをめくる。

 姉さんの真似をして、むふふと変な声で笑ってみるの。ちっとも姉さんの気持ちを理解できないまま、私は「けんしょうごっこ」をする。


 ムギ君と赤毛君と一緒に。

 そういえば、ムギ君のお父さんはあの湖でいなくなったらしい。

 ムギ君は不思議な男の子。


 会話をするようになったのは「あめふりまちのひみつ」のノートを学校に持って行くようになってからだ。ノートのタイトルを知った同級生たちが、遠巻きに様子を窺っているのに気づいていた。だから誘った。このノートの内容が本当かどうか確かめてみないって。それなのに、仲間に入れないでと避けられるようになった。なんで入れようとするのって気持ち悪がられた。気がついたら教室で一人取り残されるようになっていた。ノートと睨めっこしている時間が多くなった。


 そんなとき、彼が話しかけてきた。

 青い目をした可愛い男の子。さらさらとした金髪を女の子たちが羨ましがっていた。可愛いと言われることに何一つ不満を漏らさず、いつもにこにこ笑っていた。あのときは赤毛君はいなくて、「ムギ」という呼び名もついていなかった。


 ただの同級生。同級生の可愛い男の子。私にとって彼の認識はそれくらいだった。

 ある日、彼とお父さんが行方不明になったと先生から聞いた。数日後、湖の畔で倒れている彼が発見された。でも、お父さんは見つからないままだった。


 久しぶりに現れた彼は、がらりと変わっていた。お父さんがいなくなった衝撃からそうなってしまったのだと、同情の目を向けた同級生たちをはねのけた。すっかり愛想がなくなった彼から皆は離れていった。けれど、彼はちっとも気にせず一人でいた。


 そんな彼が話しかけてきたときは、とても驚いた。

 彼は「あめふりまちのひみつ」のノートを遠巻きにしなかった。突然、私の席にやってくると、ぶっきらぼうな声で「それ、何」と尋ねた。ノートの説明をすると興味が湧いたのか「見ていいか」と言われた。今までの同級生と違う反応に戸惑った。それから嬉しくなって、怖くなった。躊躇ってしまった。


「怖くないの?」

 同級生たちは、気持ち悪いって言ったのに。

「なんで?」

「なんでって」

 答えに詰まっていたら、彼は不思議そうに首を傾げた。


「ボクは、この町が好きなんだ」

 彼は姉さんが嫌っていた「雨降り町」を好きだと言った。

「好きなものを知りたいと思うのはおかしいのか?」

 そうだ。彼の言う通りだ。


「おかしくない」

 だって、私も。

「好きなの」

 姉さん、私ね。姉さんにまだ秘密にしていたことがあるの。

「この町が、好き」

 姉さんが嫌っていたこの町が、好きだということ。


 これが、私の秘密です。

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