君が知らないこの町で -3

「海って湖と同じなのかな」

 湖畔に立つおさげがぽつりと呟いた。

 海なんて知らない。ボクが知る人の世界はこの雨降り町だけだ。

 伸びた藺草をかき分けて、ボクたち「けんしょうごっこ隊」は噂の湖に辿り着いた。ここに来るのは久しぶりだ。湖に変わりはなかった。草木に埋もれるように囲まれ、今日もひっそりとしている。

「海はもっと広いらしいぜ」

「うみには、しおがある。なみもあれば、そこでしかとれない、さかなもいる」

「さすがお姉さん、物知り!」

 憧れと尊敬の眼差しでおさげは彼女を見上げた。「けんしょうごっこ隊」に彼女が加わってからおさげはべったりだ。今までこの遊びに女の子はおさげしかいなかった。彼女が加わって嬉しいと言っていたのを思い出す。おさげにも秘密はある。なんでもないような顔をして、たくさんの不安を抱えているはずだ。

 人の子どもは強くはない。

 強くはないが、強く生きようとしている。

 永遠ではない「子ども」という限られた時間で、たくさんの物事を飲み込み、伸びようとする。

 一方、赤毛は不満顔だ。年上の見栄とやらを張れないのが面白くないのだろう。彼女と楽しそうに話すおさげを眺める赤毛を肘でつついた。

「なんだよ」

「不機嫌面」

「うるせぇ」

 睨まれた。

 言い返してこないあたり、わかっているのだ。

 赤毛はお調子者のように見えて意外に冷静だ。周囲を纏めるための発言はするが、自分の希望を口にしない。何気なく人の顔色を窺う癖は、赤色の髪が原因だろう。

 この町では珍しい炎の色。炎の色に救いを求めた人からは神聖視され、同じ年齢の子どもからは揶揄された。生まれた頃は大変だったそうだが、今はだいぶ落ち着いたらしい。それでも奇異の目はある。赤毛と歩いていると、時々、その髪に注がれる無遠慮な目があった。

 赤毛もおさげとあの子と同じ。

 何かに堪えながら生きている。

「お得意の年上風は吹かせないのか」

「吹かせてねぇよ」

 年上の赤毛がボクの学級に入ってきたとき、目立たないようにやり過ごそうとしていた。教室の隅で読書をし、話しかけても愛想笑いしか返ってこない反応に苛立った。

 赤毛は怯えていた。

 彼を怯えさせる状況にした環境と、それを黙って見ている奴らに腹が立った。

 怯えなくていい。

 ボクは君と遊びたいんだ。

「……別に、吹かせればいいだろ」

 赤毛はきょとんとした。目を逸らし、細く息を吸い込んだ。

「お、おさげは、赤毛のこと、ちゃんとわかっていると思うよ。おさげはおさげで、今まで女の子がいなかったから寂しかったんだと思う。だからって、あ、赤毛が「けんしょうごっこ隊」の隊長であるのは、変わらないだろっ」

 普段は憎まれ口ばかり叩く唇を懸命に動かす。素直に伝える行為はどうしてこんなにも難しいのだろう。大切にしたいと思う人ほど、胸の内から芽生えるもやもやしたものが邪魔をしてくる。

 そのたびに、あの子に成り代わっても「あの子」にはなれない現実を知る。

 赤毛の顔を見るのが怖くなった。俯くと、いきなり頭を押さえつけられた。

「なにすんだよ!」

「ムギちゃん!」

「ムギって言うな!」

「俺はここの隊長でいいんだよな! いいんだよな!」

 何度も確認してくる赤毛は、なぜか必死で、真剣で、何かにすがりつくようで。

「俺がこの町から離れても、いいんだよな!」

 そうだ。赤毛だって、本当は。

「……いいよ」

 そのとき、赤毛はどんな顔をしていたのだろう。

「ありがとな」

 ボクの頭をぐしゃぐしゃと撫でたのは、顔を見られないよう誤魔化すためだったに違いない。


 ※ ※ ※


「正しく回る時計」

 赤毛が望んだのは、この町では手に入らないものだった。

「魔法にかかっていない時計が欲しかったら、町の外でいくらでも買えるだろ」

「そうだけどさ。友達の証だろ。俺たちだけが知ってる特別な宝物になるじゃん」

「ふぅん、宝物ね」

 引っ越すかもしれない赤毛に欲しいものがないかと尋ねたら、友達の証をくれるのかと喜ばれた。別にそういう意味じゃない。ただ贈りたいって思っただけだ。嬉しさより気恥ずかしさが勝って、いつものように素っ気ない態度をとってしまう。

 正しく回る時計に、ひとつ心当たりがあった。

 彼女こと魔法人形の襟首には右回りの時計が嵌めこまれている。イマードという彼女を作った魔法使いの名前が刻み込まれた蓋の下に、その時計はあった。そういえば、彼女はそれを宝物だと言っていた。確かにあの時計は珍しいが、魔法人形の彼女自身にも充分な価値があるはずだ。

 彼女は、何かを隠しているように思えてならない。

「まぁ、時計は冗談さ。ムギちゃんがくれるものならなんでもいい。宝物にするからな!」

 なんでもいいというのが一番困るが、言葉通り何を渡しても喜んでくれるだろう。

「だからムギって呼ぶな。ちゃん付けもするな」

 はいはいと適当な返事をされた。

「湖って大きな水たまりみたい」

 おさげが湖を覗き込んだ。透明度が高い湖は、水面からでも沈んだ町を目視できる。

 沈んだ町におさげと赤毛は同時に息を呑んだ。湖にはいろんなものが沈められている。家はもちろん、学校やお店らしき建物。図書館もあった。本当にあったんだと漏らした赤毛に、本当にいたんだよとボクは胸の内で返した。

「怖いのに、綺麗だね」

「なんか俺たちの町と似ているな」

 湖に沈む町を赤毛は指した。

「あの平べったくて長い建物。あれ、学校だろ? 屋根の塗装が剥がれて見にくいけど黄色じゃねーの。俺たちの学校の屋根と同じ色。学校の近くに商店街があるだろ。ほら、学校から下った先に似たような建物が並んでる。高台じゃないから変わっているところもあるけど、ほとんど同じだ。どうしてだろう?」

「わすれてほしくなかったから」

 彼女の答えはボクの胸中を代弁していた。

「ひとは、すぐにわすれるだろう。このまちをしるひとがいなくなれば、まちがあったことすらわすれられる。だからせめて、このまちがあったことを、おもいでがあったしょうこを、にせることで、あたらしいまちにたくしたのではないのか」

 責めるような口調ではない。受け入れるような、どこか諦めにも似た感情が抑揚のない話し方から滲んでいた。

 彼女は魔法使いの娘として作られた。その娘とそっくりであるはずの造形には、作った人物の想いが込められているのだろう。しっとりとした緑色の髪も、栄養不足に見える細身の体躯も、幼さが残る顔立ちも、思考を覗き込まれてしまいそうな金色の瞳も。頭から爪先まで全てたった一人の「娘」として作られた魔法人形は、完全な娘にはなれず、中途半端に心を知った状態で捨てられた。

 人は勝手だ。

 誰も生まれてくる場所は選べないのに、平等を求めてくる。

 ボクだって、彼女だって、誰も同じではないのに。

 誰も同じになんて、なれなかった。

「忘れないもの」

 おさげが沈黙を破った。

「私、忘れないわ。今日も、明日も、「けんしょうごっこ隊」で遊んだ日々も。こうしてお姉さんと出会って、みんなと湖に来たことも。忘れない」

「俺も忘れない。っていうか、忘れるわけねーだろ」

 おさげと赤毛は頷き合ってから、にんまりと笑った。

 この二人は大人になる。赤毛はさらに背が伸び、声が低くなり、逞しくなっていくだろう。同じ背丈のおさげはボクを追い越して、どんどん可愛く綺麗になっていくはずだ。体の成長は止められない。彼らは人だから、妖精のボクと違って同じままではいられない。

 そのうち、ボクと遊んだ記憶は思い出になっていく。そういう子もいたという過去になっていく。

 寂しいよ。

 今が続かないなんて。

 子どもの輪に交じって遊ぶ。それだけで良かったのに。あの子に成り代わって「けんしょうごっこ隊」をやるようになってから、不特定多数の誰かではなく、この二人と一緒にいたいという欲求が湧いた。「特別」という特定の存在にしか向けられない感情が芽生えた。

 それを誤魔化すように、わざと冷たい態度をとって他の子どもにも湧かないようにあしらっていた。

 でも、結局この感情を潰せなかった。

 あの子を食べたときに、きっと心の欠片も飲み込んでしまったのだろう。

「ボクは、忘れない。ちゃんと、ここにいるから」

 たとえ、透明な体に戻ってしまっても。

 ボクは君たちと遊びたいから。

 赤毛に背中を叩かれた。

「ムギちゃん、「けんしょうごっこ隊」は最強なんだぜ! 他の奴らにできないことをやるからな!」

「そうだよ、ムギ君。町の秘密を私たちが解くんだから!」

「だから、ムギって言うな!」

 文句のあと、どういう顔をしていいのかわからなくなった。寂しさと嬉しさと苦さが同時に体の奥に降り注いで、不器用な笑顔しかつくれなかった。

 それでも、二人は笑ってくれた。

 そのとき、ボクは失念していた。「けんしょうごっこ隊」の目的はホタル魚。この湖はあいつらの棲息地だ。普段は眠っているが、騒げば水上に上がってくる。子どもの声は通りやすい。だから、湖畔ではできるだけ静かにしていなければいけなかったのに。

 気づくのが遅れた。

「あれ、何だろ?」

 おさげが水面を指した。

 それはきらきらと光の粒子を纏っていた。沈んだ町とは違い、ぼんやりとした輪郭しか把握できない。それが水面に近づくにつれ、徐々に形作られていく。

 水中でも目立つ派手な鱗が目に痛い。細く平たい体に、糸のように揺れる尾ひれは優雅だ。

 ばしゃんとそれはおさげの目の前で跳ねた。薄い羽を羽ばたかせ、空中に浮遊した。魚が飛んでいる。何が起こっているのか理解できず、おさげは呆気にとられた。優雅な魚は小さいはずの口をこれでもかと言わんばかりに開かせた。

『ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ』

 奇妙な鳴き声と共に、つぶらだった目玉が飛びだした。色とりどりの鱗が、黄緑の蛍光色に一瞬にして覆われた。

 ホタル魚だ。

「おさげ!」

 驚愕と恐怖で顔を引きつらせたおさげを突き飛ばした。おさげが立っていた場所に獲物を逃したホタル魚が地面に突き刺さる。顔を地面に突っ込ませた状態で、びちびちと勢いよく糸状の尾ひれを揺らした。

「逃げろ!」

 叫んだ瞬間、待機していたかのようにホタル魚が一斉に水面から飛びだしてきた。『ぎぎぎ』と奇妙な鳴き声が湖畔に響く。人の肉を、好物の目玉を食べようと魔法生物が降り注いだ。

 咄嗟に蝙蝠傘を開けば、べちんと傘に当たった一匹のホタル魚が落下した。落ちても鳴き続けるそれを鋭く睨みつける。

 ねむれ。

 びくんと強く跳ねた。鱗が蛍光色の黄緑から元の鱗へと変化していく。飛びでた目玉が徐々に引いていき、つぶらな目に戻る。

「なんだよこれ!」

 赤毛が閉じた青色の傘をがむしゃらに振り回し、運良く殴り落とした。落ちても跳ね続けるホタル魚に気持ち悪ぃと悲鳴を上げる。彼女はおさげを抱え、ボクに視線を送ったあと赤毛と走り出した。

「あれが、ホタル魚……?」

 すれ違いざまに、放心したおさげの呟きが聞こえた。

 ホタル魚の滞空時間は短く、湖から遠くへは行けない。湖畔から離れてしまえば安全だ。二人と彼女が走っていくのを見送る。

 雨粒のように傘に衝突しては落ちていくホタル魚は滑稽だ。知性が高い魔法生物ではない。妖精からすれば恐れる価値のない存在だ。自分が上だと認識させればすぐに大人しくなる。

 こいつらは単純に餌を欲しているだけだ。ボクと同じ妖精の世界の住民であり、人と妖精の世界の境界線があやふやになったせいでこちらに迷い込んだのだろう。同じ境遇だが、子ども好きのボクからすれば、彼らの目玉を好物にするのは面白くなかった。

 雨降り町の住民とホタル魚は、「遺体」で共存していると気づいていたとしても。

『かえれ』

 故郷の言語に、けたたましい鳴き声がぴたりと止んだ。念じるだけでは全員に伝わらない。声にだして、ボクが上だと理解させる。

 こいつらは、ボクの友達を食べようとしたんだ。

 ゆるさない。

 体の奥底から、大きな渦の塊がふつふつと湧いてくる。ぺりっと軽い音と共に紙片に似た肌色の欠片が落ちた。雨は降っていないのにボクの足下だけ濡れている。一歩踏み出せば、いつの間にか大量の水を吸い込んだ長靴がべちょりと音を立てた。

 近くにいたホタル魚から順番に落ちていく。飛び出た目玉を引っ込ませ、尾ひれを激しく振りもせず、艶やかな鱗の体を震わせて異形に怯えた。

 寒くはないのに吐く空気が白かった。目的は果たした。でも、苛々が頭を揺らし、獰猛な感情が体を支配しようとしてくる。

 こいつらを八つ裂きにしたい。鱗を剥ぎ取って、目玉をくり抜いて、晒して、壊して、殺して。

 ぺりっとまた音がした。手を見れば肌が剥けていた。紙のようにめくれている。はっとして水たまりに目を移す。そこにいたのは、頬の一部が剥け、血管でも肉でもない透明な一部を晒した、青色ではない赤色の目玉の化け物だった。

「う、あ、あ」

 なんで、どうして。

 ボクの魔法が解けかかっているなんて。

 ホタル魚は応えない。異形が去っていくのを大人しくして待っているだけだ。

「やだ、こんなの、やだ」

 傘を落とした。両手からぽろぽろと肌色の欠片が落ちていく。顔を覆えば頬がさらに剥ける。ぺりぺりと残酷な軽い音が「ボク」を曝けだそうとしてくる。

 不意に肩を叩かれ、思わず跳ねた。混乱して気配に気づかなかった。振り向けない。動けない。今のボクは人ではない。人の子どもではあり得ない姿をしている。

「少年」

 彼女だった。

「だいじょうぶか。こどもたちがしんぱいしている」

 教科書を棒読みしているような抑揚のない口調に、不思議と安堵した。けれどその安堵は一瞬で恐怖に塗り潰された。渇いた口からでたボクの声はか細く震えていた。

「触らないでくれ」

「なぜ」

 答えない。答えられない。

「少年、ふりむいてくれ」

「やだ」

「少年」

「やだ!」

 ぽつりと頭に冷たい滴が落ちた。それは頭から体全体に降りかかってきた。しとしとと降りだした雨に、彼女は傘を拾い上げてボクの頭の上に差してくれた。

「わかった。少年、ふりむかなくていい」

 湖畔に散らばったホタル魚も雨に打たれる。ボクが何もしてこないと判断したのか、薄い羽を広げて湖の中に戻っていた。

「少年にかくしていたことがある」

 この異様な光景に驚きもせず、尋ねもせず、彼女は話を続けた。

「ワタシは、このあめの魔法のときかたをしっている」

 突然の告白に、振り向きそうになるのをなんとか堪えた。

「それがワタシのひみつだ」

「隠してたのか」

「かくしていた」

「なんで」

「少年が、さみしそうにみえたから」

「ボクが寂しいなんていつ言った!?」

「いっていない」

 彼女が地面を指す。指した先には水たまりがあった。皮膚の一部が剥がれた無様な顔。赤い目をした異形が立っている。

 もう隠せない。

「だが、さみしそうにみえた。魔法人形にこころがあるのかわからないが、少年にこころがあるのはしっている」

 肩を掴む彼女の手に力が込められる。逃げることすら阻んできた。

「魔法人形は魔法でうごく。それは、妖精のせかいにもいろこくあるもの。少年におこされたときから、にたようなものをかんじていた」

 あぁ、だから彼女はボクをイマードかと尋ねたのか。

「最初から、気づいていたのか……」

「かくしんはなかった。だが、かくしょうは、えた」

 雨脚が強くなり始めた。優しく叩いていた傘の雨音が激しくなる。

「少年は妖精だな」

 雨が覆う湖畔で、ボクは乾いた笑いを漏らした。

「そうだよ。妖精だよ。子どもの死体を食べて成り代わったんだ! 雨の魔法がかかっているのをいいことに、のうのうとこの町に住み着いている異形だよ!」

 彼女の手を振り払い、化け物の顔を晒す。見ろよと剥がれた両手を突きだす。

「だが、少年は、少年だ」

 驚きも怯えもしない。それこそ人形の無表情ではっきりと言い放った。

「少年は、こどもたちといて、たのしいといった」

「あれは嘘だ! 本当は楽しくなんかない! あいつらと一緒にいても迷惑で、つまらなくて!」

「少年は、ははおやをたいせつにしている」

「違う! あれは、この体の子どもが、そうしろって言ったから! 助けてほしいって望んだから!」

 きしきしと胸が痛む。叫んだ喉が痛む。どこも怪我なんてしていないのに、痛くて痛くて堪らない。視界が雨に濡れたように滲んだ。温かい雨水は堰を切ったように溢れだし、いくら腕で目を拭っても止まってくれなかった。

「ボクは、ボクはっ……!」

 彼女が頬に触れた。球体間接を手袋で隠した指で、溢れた涙を拭き取る。

「ただ、ボクはっ、子どもがっ、好きな、妖精で! 遊ぶのが好きなだけでっ、それなのに、ボクは」

 欲がでた。

 もっと、ここに、いたいと。

 帰りたいと望むはずが、ここにいたいと思ってしまった。

「少年は、このまちがすきなんだな」

 緩く首を振った。

「……それだけじゃない」

 それだけの単純な感情だけなら良かったのに。

「ボクは、人に、この町に、愛されたかったんだ」

「それはワタシもだよ、少年」

 彼女に優しく抱き寄せられる。

 冷たい体温は、やっぱり人のものではなかった。

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