1-32 チェックメイト

 明白に終わりが近づいているが、それでも戦い続けなければならない。思わぬアクシデントはあったが、プラン変更は無しだ。何が何でもインファイトに持ち込み、撃破する。


 応急処置を済ませたサイトは、ゆっくりとその場から立ち上がった。そして、足音を立てぬよう、そろりそろりと歩き出す。


 やることは変わらない。息を潜めて気配を消し、シスルの意識外から襲いかかる。その繰り返し。俺が死んで二人とも死ぬか、奴だけが死ぬか。終わりを迎えるその時まで、繰り返されるルーチンワークだ。


「よっ......と」


 その声と共に、何かの大きな物体が落ちるような風切り音。数秒後に、鈍い着地音が1階全体に反響する。


「前言撤回、黒焦げになってるといいな。時は金なりってね」


 それが意味することはただ一つ。シスルが直々に

 

 サイトは素早く、最も手近な遮蔽物に身を寄せ、気配を消すよう努める。

 

 一体、何故? 

 

 サイトの脳内に疑問符が浮かぶ。


 シスルはこれまで、積極的に攻勢を仕掛けてこなかった。このビル全体を警備するかのように巡回するだけ。もちろん、サイトが姿を現すと猛然とカウンターを与えたが、積極的にサイトを狩りだそうとはしてこなかった。

 それに、上階という高所の利を生かして、アンブッシュを仕掛ける方が遙かに安全である上、有利だ。


 シスルが突然、方針を転換した意図が分からない。この戦闘に飽きて、手早く俺を処理する気になったのか?


「クライアントおうちが思った以上にヤバイことになってるらしい」


 サイトの内なる疑問に答えるかのように、シスルが誰にも聞かれていないのに滔々とうとうと喋り出す。


「ドカーン! 爆発。派手に炎上中だとさ。カチコミされたってのはちょっと前に連絡来てたから知ってたんだけどね。知るかよって、スルー決め込んでたんだけど、このレベルにまでなるとさすがにマズイかなって。クライアントが死んで、報酬貰えなくなるとムカツクし」


 足音と共に声の出所も移動している。


――動き始めたか。


 どうやら、エチェベリア邸に出向いていた別働隊は、派手な立ち回りを演じているらしい。


 何はともあれ、向こうからこちらのフィールドに出向いてくるとは好都合だ。


「階段を上る手間が省けたな」


 さして、面白くもないジョークを小声で呟き、サイトも移動を開始する


 シスルの後背こうはいを突くために、奴の動線の時計回りを描くように。静かに迅速に慎重に。そして大胆に。

 床に散らばっている破片やらゴミやらを踏まないように、足先に細心の注意を払う。少しでも音を立てれば、瞬く間に弾丸が飛んでくるだろう。


 今のところシスルへの隠密接近は、順調に進捗している。奴は回り込もうとする俺の存在に――。


「そこか」


 シスルのその一言と共に、突如としてサイトが張り付いていた遮蔽物に、銃弾が飛んでくる。


――バレた!


 サイトは、舌打ちして遮蔽物の陰から飛び出した。そして全速力で走り始める。


 最早、小細工は不要だ! いや、そもそも奴に小細工は通用しない! 一気に距離を詰めてる!


 銃弾をくぐるサイトを突き動かす、動的な感情。怒り、復讐心。過去の清算、未来への前進への渇望......。


 濁流のようにサイトの体の隅々を渦巻き、そして、彼に機動力を与える!


 遮蔽物から遮蔽物へ、目にも留まらぬ速さで駆け抜ける。まるで、シスルの周囲に円を描くように。徐々に、シスルとの距離が詰まってゆく。


 道中、すぐ側を飛来してくる銃弾の質量が感じられた。


 だが、当たりはしない!


 根拠は無いが、そう思える何かをサイトは抱えて動き続けた。


 走り、跳び、時にはスライディングし、とうとうサイトはシスルの左側面へと躍り出た。 


 サイトとシスルの距離は20メートル。


 シスルはまだ、射線をこちらへと向けていない。サイトの機動スピードに追い付けていないのだ。


――チャンスだ!


「ウォォォォォォォォ!」


 雄叫びを挙げながら、距離を一挙に詰める。同時に、シスルへと拳銃を乱射。


「マジか!」


 初めて、シスルが驚きの声を挙げた。思わぬサイトの猛攻に一瞬遅れて、回避行動を取る。しなやかな後方への跳躍。


 後一歩と言うところで、10mmJHP弾が吸い込まれたのは、サイトが狙いをつけたシスルの胴体ではなく、彼女の左手のサブマシンガンだった。

 派手な金属音と火花と共に、シスルの左手から、銃身が数多の破片を撒き散らしながら離れていく。


 シスルもすぐさま、サイトに向けて可変式磁力兵器にて銃撃を再開するが、サイトは射線を外すように、シスルの右斜め前方へと向かって、高速移動を続ける。


 どんどん、サイトとシスルの距離は縮まっていく。


――距離5メートル! 


 サイトは、拳銃の照準をシスルの左側頭部へとピッタリと張り付ける。

 銃口の先にあるのは、シスルの顔。その顔は、危機感の欠片も無い、平常時そのままの表情だった。


――奴はまだ、自分が追いつめられていることに気がついていない! 


 いくら化け物染みた回避力を発揮するシスルでも、この距離から放たれた銃弾を回避することは不可能である。


「これで終わりだ!」


 サイトが引き金に掛けた指に力を加えた、その時! 彼の全身を正体不明の重力波が襲った。


 直後、体が後ろへと吹き飛ばされる。 

 空中を飛翔する中、視界の片隅でシスルが、ニヤリと不吉な笑みを浮かべた気がした。


 凄まじい勢いで、サイトは後ろにあった柱に背中を叩きつける。


「グフッ!」


 背中を強打した衝撃で呼吸ができない。激しく咳き込みながら背中を柱にもたれかけさせる。


「EN2COM-Ⅱ。緊急時自周囲反重力波放射ユニット。今まで死に装備だったけど、初めて有効活用できて大満足、といったところかな」


 シスルが勝利を確信した足取りでゆっくりと歩み寄ってくる。

 一方、サイトは未だ全身を襲った衝撃から抜け出すこと叶わず、無様にも身動き一つ取れずにいた。


「この戦いの最終的な評価は、60~70点。最後の最後は面白かったよ。逆に言えば、それ以外はてんで駄目。ビッグマウスを叩いてたくせして、ロクに私にダメージも与えられず、そこに伸びてるのは体を張ったギャグか何か?」


 シスルが、可変式磁力兵器の銃口をサイトの頭に押しつけた。それは、持ち主の冷酷さを表すかのように、ひんやりと冷たかった。


「はい、チェックメイト」


 ここまでか――。


 ロクな装備も、そして何よりも、サイト自身の戦闘能力も残されていない。戦意が残されていても、モノが無くてはどうにもならない。


 悔いはない。

 全力を尽くして挑み、敗北しただけだ。シンプルに実力が不足していただけのこと。


 残されたはただ一つだ。


「お前は前提条件から間違っている......。この戦いに最初からお前に勝ち目はなかった......」

「は?」


 さっきまでの余裕がある可愛らしい声色から一転して、シスルの声そして口調は残虐な殺戮者のそれになった。


 シスルは可変式磁力兵器の銃身を、サイトの頬の横に大きく振りかぶった。そして勢いよく、をする。


「てめえ!」 


 鈍い音が大きく響きわたった。サイトの額及び唇の表皮が切れ、生暖かい血飛沫が辺りに飛び散る。


「この期に及んでグチグチうぜえんだよ! いつまで自分が負け犬じゃないと勘違いしてんだ!? 泣き喚いて、命乞いでもしろよ!」


 二度目の殴打。まるで、往復ビンタの如く、磁力兵器の無骨な銃身がサイトの側頭部を叩きのめす。


 どうやらシスルは、この状況になってなお、サイトが敗北を認めず淡々としていることにキレたようだ。


「『ごめんなさい! ごめんなさい! せめてひと思いに殺して下さい』ってな! あ、これだと命乞いになってないか」


 三度目の殴打。

 世界がひっくり返るような衝撃を頭に受け、ひどく意識が朦朧もうろうとする。視界がぶれる。


 だが、それでもサイトは表情を一切変えず、前に向き直った。そして先程と同じ調子で、淡々と続ける。


「......終わりだ。地獄に堕ちろ」


 腹はくくった。こいつになぶり殺しにされる前に、俺自身の手で全てに引導を渡してやる。


 サイトはニューラル・インターフェースにて、懐に忍ばせた電子励起爆薬に起爆コードを送信――。


 刹那せつな、ハリケーンを思わせるほどの強さを伴った強風が、サイトを吹き飛ばした!


 柱にもたれ掛かった姿勢のまま、右横に吹き飛ばされるサイト。シスルは、事態を把握する前に、咄嗟にバックステップで元の位置から離脱する。

 

 手酷く痛めつけられていたサイトは、受け身を取ることすら叶わなかった。接地と同時にゴロゴロと床を転がされ、うつ伏せ状態で地に伏す。呼吸を求めて、激しく咳き込む。

 しかし、気力を振り絞って顔を上げる。


 誰だ――? 敵の新手か――?


 目に額から流れる血が流れ込み、朦朧とする意識と相まって視界が赤く歪む。だが、それでも自分を吹き飛ばした”何か”の正体を見極めようとする。自爆するのは、それからでも遅くはない......。 


「貸し一つですよ、サイトさん。助けに来ました」


 が喋った。


 この声は――!


「いつまでそこに寝っ転がっているんですか。さあ、立ち上がってください。戦闘を続けて、”生きて”この女を殺すんです」


 サイトの視界が回復するのと、が暗がりから現れるのはほぼ同時だった。予期せぬ闖入者の正体が明らかになる。

 その正体はここに居るはずのない人物、ミリカであった。


 

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