1-23 脱出

「クソッ! 二人ともやられてる!」

「奴は向こうに逃げ込んだぞ!」

「逃がすな! 俺達の手で片づけるぞ!」


 複数の男達の声と足音が、俺が潜伏している倉庫の事務所に迫ってくる。こっそりと見つからず、穏便に脱出するはずだったのだが。さすがに、ロクな装備を持たず、六対一の立ち回りをする程の度胸と実力は、俺は持ち合わせていなかった。しかし、早々にあの拷問部屋を生きて抜け出した事が露見し、構成員六人は警戒モードへと突入してしまった。


 物事はそうそう上手く進まないということか。


 派手な音と共に、眼下の扉が蹴破られた。続いて、ショットガンを構えたオーク男と、拳銃を構えた人間男が室内になだれ込んでくる。


 男達は、室内の家具を次々とひっくり返し、机の下や収納ラックの陰などを虱潰しに探し回った。だが、その何処にも


「奴は何処に行った!?」

「間違いなくこの部屋に居るはずだ。捜すぞ。見つけだして、バラしてやる。最大限の苦痛と共にな!」


 この部屋に突入してきたのは二人だけか。これならなんとか片づけられそうだ。


 俺は、両手両足の力を抜き、床に飛び降り立った。今まで、天井と二つの壁がぶつかる部屋の四隅にその身を押し込めていたのだ。一見するとすぐにバレそうな身の隠し方である。しかし、部屋の天井の高さがある程度あったことと、仲間を殺されて頭に血が昇っており近眼的になっていた男達、という二つの要素が俺に味方した。 


 最も手近に居て、俺に背を向けていたオーク男の元まで全速力ダッシュ。奴が、俺の存在に気がつく前に、俺は手にした拳銃の銃床を奴の後頭部に叩きつけていた。

 骨が陥没する音と、意識を失った巨体が地面に崩れ落ちる音が、同時に室内に響きわたる。


「てめえ!」


 一瞬で仲間の異常に気がついた人間男が、俺に拳銃を向ける。そして、発砲。だが、その弾丸が突き刺さる前に、俺はオーク男を肉の盾として目の前に立たせていた。


 ブスッ!


 小気味の良い音と共に、弾丸がオーク男の身体に吸い込まれ、同時に、赤黒い血が一帯に飛び散る。一方、俺は無傷だ。


 用済みになった肉の盾を前へと押し出し、俺は右手に保持していた拳銃を人間男に投げつけた。オーク男が倒れるのとほぼ同時に、投擲物となった拳銃は人間男の頭部に直撃。


「ぐえっ!」


 直撃を食らった人間男が、額から血を流しながら、呻く。その両手は額の傷をかばうことに用いられ、俺を拳銃で狙うという考えは霧散むさんしたようだった。一瞬の予断も許さず、俺は人間男の元へと突進。男の額に拳から繰り出される渾身の一撃をお見舞いしてやった。人間男もあっさりとダウン。


「あと四人......!」と俺は荒い息づかいで呟いた。


 激しい運動のせいか息切れと動悸が止まらない。緊張との複合的効果による一時的なものだろう。なにしろ、ニューラル・インターフェースはオフラインにされ、戦闘時感情揺動ようどう最適化処理や疼痛とうつう伝達神経ペプチド抑制処理といった、戦闘支援は一切なしで戦い続けているのである。自然的に分泌されるアドレナリンだけが、心の友といえる状況だ。


 とはいえ――。


 あまりにも度が過ぎている。心臓は異常ともいえる速度で鼓動を繰り返し、肺はその身に穴が空いたのかでもように酸素を欲し続けている。さらに、体内を循環する血液は沸騰でもしそうな勢いで熱くなっている。


 この状態を異常と呼ばずになんと呼ぼうか?


 机の上に腰掛けて荒い呼吸を繰り返していると、唐突に、ニューラル・インターフェースが再起動した。HUDが目の前に現れ、その復活をあるじにアピールしている。

 なにが呼び水となって復活したのかはわからないが、この状況では死ぬほどありがたい。早速、戦闘時モードを起動させよう。その後、ヴェルダさんとコンタクトを取って――。


『やあ、私だよ』


 浮き足だった俺に冷や水をぶっかけるかのように、ニューラル・インターフェース上に残された、一つの音声ログが強制再生され始めた。この音声ログの作成人物は――。


『シスルだよ』


 血の気が引いていくのがわかる。現在、我が身に巻き起こっている身体面の異常とシスルの存在が、一つの線となって繋がったからだ。


『この音声ログが再生されているという事は、ゲームに勝って拘束から抜け出したという認識でいいかな? まずは、おめでとう、と言っておこう』


 直後、音声ログ上のシスルは、神妙な声から爆笑の渦へと一転。


『キャハハハハハ。なーんてね。やっぱりキャラに合ってない声作って、喋るのはキツいな。おっとっと、失礼。時は金なりってよく言われるもんね。それでは、早速、本題に入ろうか......』


 どう転んでも俺にとって不利益になる内容に違いない。あのアマ、何を考えてやがる......?


『今、どんな気分? 気分て言っても、心の方じゃなく、身体の方の気分ね。私の予想だと、胸は高鳴り、血肉踊るって状態になってるんじゃないかと思うんだけど。どう? 当たっている?』


 忌々しいことに大体当たっている。もっとも、『胸は高鳴り、血肉踊る』などという生易しい状態ではない。時間経過につれて、どんどん症状は悪化していく。このまま行けば、冗談抜きで俺の身体は爆発するのではないだろうか。


『実は、君達がスヤスヤ眠っている間に、トラソルリッグを投与させて貰ったのだ。十中八九、その効能は知っているだろうからくどくど説明なんて野暮な真似はしないよ。えっ、知らない? 無知もはなはだしいな......。まあ、遅効性毒物が全身を蝕んでるって認識でいいんじゃない?』


 予想通り毒物が使用されていた。となると、血管にインストールしている部分的身体機能拡張モジュールの、血液洗浄システムが命綱になる。ニューラル・インターフェースの復活に伴って、その機能を回復するはずだが、果たして間に合うかどうか......。


『これから未来の私が、脱出のチャンスを与えるとか言って、舐めプムーブするじゃん。でも、本当に生きて脱出されたら困るじゃん? そんな事されたら冗談抜きで、私の立場が危うくなるし。遊びたいけど、遊んでいるとマズい。そんな二律背反を解決するための保険処置として、遅効毒を使わせて貰いました』


「ふざけるなっ!」


 俺は、音声ログの向こうにいるシスルに怒鳴りつけた。怒りに身を任せて近くにあった観葉植物のプラントを蹴倒す。HUDには、血液洗浄システムが起動した旨の表示が現れていた。しかしながら、状況は一向に変わらず、俺の身体を蝕む症状は悪化していく。今や、立っていることもつらい状況だ。


『暗殺業をやっているんだから、多分、毒物対策の部分的身体機能拡張モジュールはインストールしているよね? 間に合うといいねえ。運が良ければ、記憶喪失とか言語障害とか精神疾患程度で済むかも。言いたかったのはそれだけ』


 音声ログの再生が終了した。身体の方は、血液浄化速度が間に合わないせいか、嘔吐感と頭痛と目眩が酷くなっている。とても立ってはいられない。思わず膝を折ってしまった。そのまま、胃の内容物を床にぶち撒ける。


 このままでは、意識を失うのも時間の問題だ! 何か手を打つ必要が――。


 朦朧とする意識の中で、俺は何とか立ち上がった。そして、直感に従い、よろよろと業務用デスクまで足を進める。目的地に辿り着くなり、俺は崩れるようにしてデスクの上に上半身を預けた。デスク上にあったメモ用紙の束から、一枚を引きちぎり、その隣にあったボールペンを手にする。


 書くべき内容はシンプルだ。現在地、9区パテカナンセ区画にあるセーフハウスの所在地コードと部屋番号『108』。

 今更、こんなことを書いても意味が無いのは目に見えている。なぜなら、失神した俺はこのまま怒り狂った構成員達に殺されるだろうから。だが、直感が俺にセーフハウスの所在地を書き示せと指示している。その直感を信じてみよう。

 ペンを手にした右手が酷く震えて上手く書けない......。


 結論としては、なんとか書き上げることが出来た。その字はミミズが這ったような酷い造形ではあるが、識字可能なレベルは保てたはずだ......。


 俺の意識は最早、風前の灯火。失神するまで一刻の猶予も残されてはいない。書き殴ったばかりのメモ用紙を乱暴に折り畳み、ポケットに突っ込む。


 そこでとうとう俺は力尽きた。全身から力が抜けていく。頭部が床と衝突する頃には、意識は完全に闇に呑まれ、何も感じなくなっていた。

 

 


 

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