1-19 ラン&ガン

『ヘッケル、KIA戦死


 戦術拡張現実のチームステータスレポートには、無慈悲なその一文が表示されていた。


 だが、わざわざその報告を見なくとも、眼下の路上に目を通せば、ヘッケルさんが死亡したというのは一目瞭然。なぜなら、うつぶせに倒れた彼の巨躯きょくの背中には、弾痕が無数にあったからだ。そして、そのどれもから、赤い血が漏れ出して、彼の周りに血溜まりを形成し始めている。


「チクショウ!」


 俺は、大声で悪態をつきながら、直前、両目が動きを捉えた場所へと照準を合わせた。続いて、断続的に引き金を引き続ける。


 敵に当たらなくともいい、その場に釘付けすることさえできるのなら。


 俺が制圧射撃を敢行している間に、レイアマティさんは車列中央の車両の残骸まで駆け寄り、そこに屈み込んだ。


『散布を開始します!』


 エレクエさんの宣告と共に、各所に設置されていたジャミングスモーク・ディスチャージャーが、文字通り、ジャミングスモークを噴いた。ジャミングスモークは、光を妨害するのみならず、センサー及び、各種超常技能を無力化する。これは、ジャミングスモークに、レーダー波や超常技能を攪乱する特殊な粒子が含まれているからだ。 


 俺達は、緊急時に備えて、予め作戦地域のあらゆる場所に、ジャミング・スモークディスチャージャーを設置していた。当時は、これが命綱になるとは思ってもみなかったが。


『今から、そちら側の建物に移動する! 援護を――』


 レイアマティさんの思念通信が突如として途切れた。同時に、チームステータスレポートに表示される『レイアマティ、KIA戦死』の文字。


「そんな......!」


 エレクエさんの悲痛な小さな叫びが、こちら側にも聞こえてきた。


 まさか!


 制圧射撃の手を緩めずも、一瞬だけ視線をレイアマティさんが居た位置に向けた。その場所は、今にも、ジャミングスモークによって覆われそうになっている。

 そこにあったのは、事切れたレイアマティさんの電子生命体内包フレームの残骸だった。一瞬でわかったのは、高所からレーザーで頭部を狙撃されて、おそらく即死であったこと。次の瞬間には、周囲から押し寄せるジャミングスモークで、レイアマティさんの死体は覆い隠された。


 バカな! ジャミングスモークのわずかな間隙を突いて、正確にレイアマティさんを狙撃したというのか!


 高所、狙撃といったキーワードから推測できる敵の正体は、ただ一つ。ターゲットの一人、ラウニネー・エヴァンズだ。


 監視センサー群の緻密な監視網をすり抜けて、ヘッケルさんを背後から銃殺した奴といい、敵は高度な戦闘能力を有している。

 俺達は敵を罠に掛けたつもりだった。しかし、実際は、敵の落とし穴の前で敵を待ち構えるという、醜態を晒していただけのようだ。


 どうする!? どうすればいい!? どうすれば助かる!? 


 そんな出口の見えない、脈絡のない問いが、俺の頭の中をグルグルと駆けめぐる。


 どうすれ――。


 突如として、後ろから左腕を掴まれ、そのまま猛然と引っ張られた。その勢いで、砂袋が敷き詰められた、ゴツゴツとした床に背中を叩きつけてしまう。

 だが、その衝撃が、俺を現実世界へと引き戻した。倒れた俺の目に映るのは、所々がひび割れている天井。そこに、逆さのエレクエさんの顔が現れた。どうやら、彼女が愕然としていた俺を現実世界へと引き戻した張本人らしい。


『なにボサッとしてんの! 私達だけでも撤退するよ!』


 そう言い放つなり、エレクエさんは俺から離れていった。


 気がつけば、HUDの残弾数表示は0となっていた。カチッカチッと、ファイアリングピンが何も入ってないチェンバーを、叩き続けている音が響いてくる。どうやら、上の空で引き金を引き続けていたようだ。


 我に返った俺は、すぐさまひっくり返っていた我が身を起こし、マガジン交換作業に取りかかり始めた。


 確かにエレクエさんと言うとおりだ。作戦は無惨にも失敗し、リーダーであるレイマティさんを初めとするリシェドの中核メンバーも死んでしまった。しかし、それでも、俺とエレクエさんはまだ生き残っている。私情を殺して、生きて撤退することに全力を尽くさなければならない。


 視界の片隅では、エレクエさんが廊下と繋がるドアの側に張り付き、廊下側を覗いている姿が見えた。


『撤退ルートを提示して! できるだけ早く!』

『やれるだけやっている!』


 エレクエさんとヴェルダさんの、緊迫したやり取りがリシェドの全体通信チャンネルを駆け巡る。


 俺が、リロード作業を終えて、エレクエさんの側まで駆け寄ると、HUD上に撤退ルートが浮かび上がった。

 エレクエさんは、『ありがと』とヴェルダさんに一言だけの礼を絞り出し、そして、背後にいる俺に振り返った。


『先導する。後ろは任せた』

『了解』


 エレクエさんは俺の返答に頷くと、前に向き直し、廊下へと躍り出た。俺も彼女に追随する。


 ◇◇


 視界が一切利かない濃煙が辺り一帯を覆い尽くしていた。俺達二人は、その中を慎重に、しかし、素早く移動をしていた。アンブッシュ待ち伏せに使った建物から脱出し、僅かなスペースの路地を足早に進んでいるのだ。目指すは、少し離れた場所にある、撤退用に置いていたホバービークルだ。


 視覚及び情報支援の一切を封じられた、現在の状況においては、聴覚と第六感だけが頼りになる。そして、道標となるのが、ヴェルダさんの手によって予めインプットされたルート表示。これがなければ、俺達は前に進むことさえ困難だっただろう。


 先を進むエレクエさんの、おぼろげに見える背中のシルエットを見失わないように苦心しながら、必死に彼女に追随する。同時に、周囲、特に背後への警戒も怠らないように心掛ける。ジャミングスモークは、そこに存在するものを覆い隠しはすれど、存在そのものまでは消してはくれないからだ。


「もう少しで、煙の切れ目だ。覚悟はいい?」


 エレクエさんが足を止めずに、肉声で俺に問うてきた。ジャミングスモーク下では通信妨害下にあるため、ニューラル・インターフェースを用いた思念通信は使えない。


「いつでも行けます」

「よし。――ん?」


 俺も気がついた。背後から複数の謎の気配、そして、カサカサと気色悪い音が近づいてくるのを。


「走れ!」


 そう叫び、エレクエさんは猛然と前方へと駆けだした。言われるまでもない。俺も彼女の後を追うようにして、全速力で走る。

 やがて、視界が一気に晴れた。ジャミングスモークの効果地帯から抜け出したのだ。


 目の前では、エレクエさんが煙が立ちこめる、これまで辿ってきた道にアサルトライフルの銃口を向けている姿が見えた。俺も彼女に倣い、手早くアサルトライフルを構える。


 ダットサイトの向こうには何の変化もない。そこにあるのは、もくもくと立ちこめる白い煙だけだ。だが、着実に、あの気色悪い音は近づいて来ている。やがて、煙越しに全長50cmの巨大な虫のようなシルエットが浮かび上がった。得体の知れない正体との対峙への緊張から、思わずフォアグリップを握る力が強まる。


 次の瞬間、は煙から飛び出してきた。そいつの姿は、まさしく巨大な昆虫といった容貌で、俺達に対し敵対心を抱いているのは間違いなかった。

 躊躇わず引き金を引く。エレクエさんもほぼ同じタイミングで発砲し、虫は一瞬にして、細分化された肉片となった。しかし、安堵する間もなく、第2、第3の虫が煙の向こうから押し寄せてくる。


 こいつらはただの巨大な虫ではない。その証拠に、死ぬとあたかも幻であったかのように、その姿を消滅させる。おそらく、テミム・ラハラの妖術によって生み出された傀儡くぐつだ。


『後ろ!』


 エレクエさんの叫びに呼応して、俺は、素早く背後に銃口を向けた。何と、虚空から複数の虫が湧き出してきているではないか!

 俺が発砲するよりもいち早く、その中の一体が口から白い糸を飛ばしてきた。回避が間に合わない!


 糸は俺の右腕を捉え、ガッチリと固着した。最悪だ。これでは射撃できない。そうこうしている間にも、他の虫達が俺達に向かって押し寄せてくる。このままではやられてしまうだろう。


「離せっ!」


 俺は、自由に動かせる左腕で、鞘からコンバットナイフを抜き出した。そして、素早く、糸を発している虫へと向けて投擲とうてき。苦し紛れに近い行動であったが、ナイフは見事に、虫の眉間へと突き刺さった。虫は耳障りな甲高い断末魔の叫びを挙げ、気色悪い色の体液を撒き散らしながら、ばったりと地面へと伏す。


 虫が絶命すると同時に、あれ程強力に右腕を固着していた糸が消滅した。虫の死体も消滅し、眉間に突き刺さっていたナイフは地面に、カランと音を立てて落ちた。


 今や両腕は自由の身だ。急いでアサルトライフルを構え直し、突進してくる目の前の虫達を弾丸で薙ぎ倒した。まさに間一髪。


 リロードをしながら『際限が無い! 逃げましょう!』と俺は叫んだ。


『だね! しっかりついてきて!』


 背中合わせで、後方から押し寄せる虫達を迎え撃っていたエレクエさんも俺に同調する。そして、踵を返して走り始めた。俺も大慌てで彼女の後を追う。

 今や、虫達は全方位から湧き出しきて、俺達に襲いかかってくる。この状況では、足を止めること、それはすなわち、死を意味する。


 ひたすら走り、目に入る虫達を撃ち倒していく。できることはそれだけだった。時折、俺は転回し、後ろ走りになりながら、後方から迫り来る虫達を射殺した。

 しかし、まさしく焼け石に水。消えかける同胞の死体を踏みつけて、次から次へと新たな虫達が押し寄せるのだ。


「次から次へと......!」 


 あまりの虫の多さに悪態をつかずにはいられない。

 

『こっち!』


 声に応じて振り返ると、通りに面した倉庫のような建物の中へと、エレクエさんが駆け込む姿が見えた。俺も後背の虫達への攻撃を切り上げ、建物の中目掛けて一目散にダッシュする。


 中では、一足先に倉庫へと足を踏み入れたエレクエさんが、錆びだらけのスライド式金属製扉を閉めようと、長い取っ手に手を掛けていた。しかし、長く開閉されていなかったせいか、なかなか動かないようだ。エレクエさんを手伝うため、俺も取っ手に手を掛けた。最早、一刻の猶予もない。虫達は目と鼻の先まで接近してきている。


 二人の力が加わることによって、ようやく扉は働く気を起こしたようだ。苦しげな金属音を辺り一面に響かせ、動き始める。あわや、虫達が飛び込んでくるという状況の直前に、扉によって外界と内側は区切られた。


 幸いなことに奴らは、扉の取っ手を掴んで横にスライドさせるという知能を持ち合わせていないようだ。ドンドンと扉に虫達が衝突してくる音が響いてくる。間一髪だった......。

 


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