1-13 逃走劇
あと10メートル......5メートル.......今だ!
俺は、歩いていた道から突如、左折をし、裏路地へと足を踏み入れた。そして、全速力ダッシュ。
『奴らが食いついた。追いつかれるなよ?』
謎の協力者の男の思念通信が頭の中に鳴り響く。
無論だ。命懸けの鬼ごっこは、これまでの人生の中で一度たりとも経験したことはないが、やれるだけやってみよう。俺を捕まえられるものなら捕まえてみせろ。
路地裏は、この時間帯でも薄暗く、表の繁華街の汚さをより一層強めた感じだ。路上には、タバコの吸い殻や酒の空き瓶などが散らばり、それらにつまづいて転けないように細心の注意を支払わなければならない。
右、直進、左、左、直進、右、と複雑に入り組んだ路地裏の地形を最大限に生かせるように進路をひたすら変化させる。まあ、変化させるといっても、謎の協力者が示したルートを辿っているだけなのだが。HUD上にそれらルートが表示されるため、道の間違いようが無いというのはありがたい。
「マジかよ......!」
全力疾走の最中に俺の目に映った、ルート前方を立ち塞ぐ金網。それの高さは2メートル程で、最上部には有刺鉄線が張り巡らされている。よじ昇るのは御免被りたいところだ。
どうする――!?
この障害物の突破には、金網手前1メートルの、右側壁際にある障害物が役立つだろう。それは、正体不明の液体を垂れ流している、錆びてへこんだ大型のゴミ箱。そう判断した俺は、それめがけてより一層足を速める。
そして、加速した勢いのまま、ゴミ箱の上へジャンプ!
見事、ゴミ箱の上に飛び乗れた俺は、数歩分駆けてから間髪入れず、ゴミ箱をジャンプ台のように蹴った。
空中には飛翔できたが、それだけでは満足せず、さらに建造物の外壁を地面のように駆け抜ける。勢いが失われたかけたタイミングで、外壁を渾身の力で蹴った。
届くか――!?
左足がスレスレの距離で有刺鉄線とすれ違う。成功だ!
地面がぐんぐんと近づいてくる。着地の衝撃を前転で逃がし、疾走を再開。ものの数秒で、十数秒前までと同じスピードを取り戻せた。
『追跡状況は!?』
協力者に思念通信で現況を問いただす。
『人間組二人は君の後方ルート、70メートル地点。ハーピー女は建造物の屋上を移動している』
なるほど、空を飛べるハーピー女が俺の頭上から監視。現在位置及び俺が辿ったルートを人間組に知らしめているというわけだ。単に追跡を振り切るという事だけを考えるならば、最悪の事態。しかし、俺達の真の目的は奴らを目的地まで誘導すること。そう考えるならば、俺を見失わずしっかりと食いついてくれることは、願ったり叶ったりだ。もっとも、この状況は謎の協力者が本当に協力的であることが前提なのだが。
『あんたらは、ちゃんと奴らに食いついているのか?』
協力者が俺と挟撃を図れるように、殺し屋達を逆追跡できていなければ話にならない。
『心配するな。バッチリと奴らの背中が見えてるよ』
『なら、そのまま
『そうしたいのはやまやまなんだが、そうすれば女に逃げられる』
荒ぶる呼吸の中、俺は鼻で笑う。
『俺は新鮮な生き餌ってわけか』
『否定しない。なるべく活きがよく見えるような立ち回りをしてくれ』
皮肉にも一切悪びれた様子もなく協力者は返答してきた。
思念通信が終了した。俺は再び走ることに没頭する。
「またかよ!」
曲がり角を右折すると、またしても、進行ルートを塞ぐ障害物が現れた。しかし、今度の障害物は無機物ではない。ガラの悪そうな、人間やデュラハンといった多種族四人組の男達である。男達は、猛然と自分達に突っ込んでくる俺の姿を見て、愕然とした
男達は、俺が現れるまで、何かしらの物品で満載になった鞄の受け渡しをしていたようだ。答えはすぐに明らかとなった。ファスナーが少し空いた部分から見え隠れする、白い粉が詰まった透明パッケージ。
ヤクか。
多次元モバイルストレージは確かに便利だが、管理企業によって、それに収められる物品の数々は監視されている。そのため、麻薬等の非合法な物品はこうして、伝統的な手渡しによる流通が計られているのだ。
ともかく、麻薬取引の現場に現れた異物に対し、売人達は拳銃を取り出したりナイフを取り出したりして、各々迎撃の姿勢を取り始めている。まあ、確かに、謎の人物が唐突に駆け寄ってきたら誰でも警戒はするだろう。
「止まれ! 殺すぞ!」と俺に向けて拳銃を構えた売人の一人が叫ぶ。
だが、俺には、こいつらと戯れている時間はない。走る勢いを一切弱めず、俺も叫び返す。売人達に睨みを利かせる事も忘れずに。
「追われてる! 道を開けろ!」
俺の必死さに圧されたのか、売人達は、まるで
何事もなく、その
「チッ。なんなんだよ、あいつは?」
背後から売人達がぼやくのが聞こえてきた。
すぐにわかるさ――。と心の中で呟く。もうすぐ、奴らは殺し屋達と対面することになるだろうから。
段々と呼吸がきつくなってきた。全速力で、迷宮のように入り組んだ裏路地を走り抜けるのは、なかなか骨が折れる。しかも、そこに追われているという焦燥が加わっているため、疲労のスピードが速まっているように感じられる。
その時、後方から数回、くぐもった何かの破裂音が響いてきた。その音はあまりにも微かであったが、しかし、俺の両耳はそれを逃さない。
サプレッサー装着時の銃声だ――!
なるほど、殺し屋達は道を塞ぐ売人達を、直接的な手段を用いて排除したというわけか。
まずいことに、俺が売人達とすれ違ったのは、ほんの数十秒前。距離を詰められてきているということだ。
だが、目的地も目と鼻の先まで迫ってきている。ここまで来れば、持久力勝負だ。余力を振り絞って、最高速の維持に努める。
が、とうとう、背後から足音が聞こえてきた。
追いつかれたか!
振り返って直に追跡者の姿を確認したいという欲求にかられたが、必死に我慢をする。振り返れば、その分のスピードロスが生じ、捕まりかねない。だが、次の分岐路を通過すれば目的地だ!
突き当たりの分岐路を、勢いよく左折する。
俺の目の前に現れる、完全なる行き止まり。ここが、この逃走劇の最終目的地だ。
そうだ、これでいい。
肩で息をしながら、満足げに自分が居る袋小路を見回す。この薄暗くてジメジメとした袋小路が決戦の場になるとはな。
段々と迫ってくる追跡者達の足音。決戦の
「腹を
小声で呟き、覚悟を改める。そして、ショルダーホルスターから拳銃を引き抜き、勢いよくそれを構えながら振り返った。
◇◇
そこにいたのは、俺をここまで追いつめた(という設定になっているのは奴らには知る由もない)二人の殺し屋。と、俺に向けられる二つのサプレッサー付き拳銃の銃口。
ヴェルダさんから送られたターゲットの顔写真と全く同じものが、俺の目の前にあった。
一人は、厳つい顔をした長身の筋肉質の男。私見だが人を殺してもなんとも思わぬどころか、嗜虐嗜好を持ってそうだ。もう一人は、眼鏡を掛けて顔の下半分をガスマスクで覆った、知的だがどこか神経質そうな細身の男。二人とも、手にした拳銃を精密な狙いでサイトに突きつけていた。俺が少しでも不審な動きをすれば、瞬く間に蜂の巣にするつもりのようだ。
俺と殺し屋達、双方が銃を突きつけあう展開。だが、俺が一人であるのに対し追跡者は二人と、俺の分はかなり悪い。表面上は。
『もう少しで配置に着く。時間を稼げ』
謎の協力者の来訪までには、今しばらく時間がかかるようだ。少しでも時間を稼ぐ必要がある。
「ど、どうやって俺に追いついたっ!?」
沈黙を破るようにして、俺の口から問いが発せられた。追いつめられて怯えている獲物を演じるために、少しうわずった声を作って。もっとも、その半分は演技ではなく、本心からの緊張と決戦に対する恐怖が含まれていた。戦闘時感情揺動最適化処理機能も働いてはいるが、拳銃を保持する両手も微かに震えている。
「上を見てみろ」
筋肉質の男が心底楽しそうに俺の疑問に答えた。同時に、頭上から羽ばたく音が聞こえてくる。
目線だけ上に向けてみる。そこには、二本のサイバネティックスアームでしっかりと構えたレーザーライフルを、俺の脳天へと向けているハーピー女の姿。
「空からも追跡されてたのか.....!」
俺は精一杯、驚いた素振りを演じてみせる。無論、協力者の報告でとうの昔に知っていた事実だ。
「さて、今度はこちらが質問をする番だ。答えるまで生かしといてやる。おっと、ふざけた回答は無しな。問答無用で殺すぞ」と筋肉質の男。
「何でも聞いてくれ」
軽口を叩いた瞬間、俺の目の前の地面が焦げ、そこから白煙が昇った。
「口を慎むのが身のためだと思うけど?」
頭上から女の声が聞こえてきた。おそらく、女ハーピーが威迫目的で照射したのだろう。
筋肉質の男が意にも介さない様子で続ける。
「聞きたいのはただ一つ。昨日まで無様に逃げ回っていたお前が、どういった風の吹き回しでここに戻ってきたのか、ということだ」
「ウェットワークチーム『リシェド』の業務完遂。即ち、お前ら雇われ殺し屋達を一人残らず殺すためだ」
「一人でか?」
「その通り」
俺の回答に対し、三人の殺し屋達は一斉に笑い声を挙げた。しばらくして、未だにニヤケ顔の筋肉男が口を開く。
「ハハハ、そこそこ面白いジョークだった。で、真の目的は? 他にもコソコソと潜伏しているネズミがいるのか? それとも、お前の飼い主が増援でも寄越したか?」
「だから一人だって」
別に嘘は言っていない。
「飽きた」
突如として筋肉男は真顔になった。そして――。
「楽しいお喋りの時間は終わりだ。そのチンケなおもちゃを捨てて降伏するか、今すぐ死ぬか、どっちか選べや」
筋肉質の男が勝ち誇った残忍な表情と声の調子で高らかに宣言してきた。
あまりにも無意味な二者択一だ。今すぐ死ぬか、いたぶられることを選択することで死をわずかに先延ばしにするか。
だが、奴らは気がついていない。奴らが死に、俺が生き残れる、第三の選択肢があることに。
『待たせたな。配置についた』
その選択肢を選ぶことは自身の生死を賭けた一度きりのギャンブルに等しい。だが、勝てれば一挙に勝利に向けて大きく飛躍することとなる。
壁に脳漿をまき散らしているのは俺か、それとも奴らか。数十秒後には全てが終わっているはずだ。
俺は白々しい演技をやめて、ゆっくりと口を開いた。
「三つ目だ」
「あ?」
筋肉質な男はその言葉を聞いても、余裕な勝者の態度を崩すことはなかった。俺の言葉は、さしずめ、死にゆく者の無意味な戯言だとでもいうように。
いいだろう、覚悟は十分だ。奴らを勝者の頂から地獄の底へと蹴り落としてやる。
もはや、精神を蝕んでいた恐怖心の類はどこかに飛び去り、手の震えも止まっていた。
俺は、言葉の先を紡いだ。
「俺は生き残るが、お前らは死ね」
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