1-12 急襲
アラートを受け取ってからすぐ、行動に移す。このセンサーの分析によると、有毒気体の正体は麻酔ガスのようだ。第一に麻酔ガスへの対処を実行せねば!
急いで、多次元モバイルストレージから、セキュリティショップで購入したガスマスクを実体化させる。そうこうしている間に、やけに甘ったるい匂いが漂ってきた。それが、さっきまで食していた、食用人工血液トマトジュース味のパックから発せられるものではないことは明白だ。
今のところ、ガスによる影響は出ていない。しかし、それは時間の問題だろう。これ以上、呼吸を続けて、ガスを吸い続けるのはマズイはずだ。息を止め、ガスマスクが実体化されるのを今か今かと待ち続ける。
急げ!
待ちに待って、ガスマスクの実体化が完了した。中途半端な呼吸状態で息を止めたため、窒息寸前だ。息苦しさと格闘しながら、ガスマスクを手早く装着。
ようやくこれで呼吸ができる。フィルター越しに、新鮮な空気を肺に目一杯取り込む。
当面の問題は解決されたが、まだまだその他の問題への対処に迫られているという事実に変わりはない。侵入者と一戦交える覚悟をせねば。
マルチプルアラートセンサーの情報によれば、侵入者の総数は四人。廊下側に二人、窓側に二人という陣容だ。108号室は1階にあるため、窓は裏路地に直結している。逃げやすいといえば逃げやすいが、逆の立場にしてもそれは同義。容易く室内に侵入できるということだ。
わざわざ麻酔ガスを投入するということは、麻酔によって意識を失った、俺の首を容易く掻き切るというプランに違いない。とはいえ、ガスマスクによって、その計画の第一段階は頓挫したわけだ。俺が奴らに付け入る隙があるとすれば、そこだろう。
敵の正体はおそらく、ルミナスファミリーα構成員か、もしくは同組織の息が掛かった者。尾行でもされて、このセーフハウスの存在がバレたに違いない。
もしくは――。
あの少女か。
今にして思えば、少女の正体が何であれ、第三者が出入りしていたセーフハウスを使うべきではなかったのだ。とはいえ、後悔後に立たず。
それにしても、前提から大きなミスがあったとはいえ、準備を怠らなくて良かったと常々思う。無防備なまま過ごしていれば、あっさりと死んでいたに違いない。
過去の自分の判断に、後悔と満足が入り混じった評価をしながら、拳銃のスライドを引く。同時にニューラル・インターフェースを戦闘モードへと切り替えた。
それら一連の動作と共に、ドアが破壊される音、窓ガラスが割られる音。二つの音が左右から鳴り響いてくる。少しの間を置いて、ルームドアと窓に張り付けておいた展開式装甲板が、耳障りな金属製の悲鳴を挙げるのが耳に飛び込んできた。
俺を取り囲んでいる連中が、計画の第二段階、室内への突入へと踏み切ろうとしてきている。だが、バリケードとして機能している展開式装甲板によって、多少なりとも時間を稼げるはずだ。
さて、どうやって脱出するべきだろうか? この部屋から抜け出るには、ルームドアもしくは窓の、二方向しかない。だが、ツいていないことに、そのどちらも侵入者によって塞がれている。最低でも、どちらか二人の侵入者と対峙することを強要されるわけだ。
こうなると、ルームドアと窓、どちらを脱出ルートとして選択するかという話になるが――。
......ルームドアだ。
何か根拠があったという訳ではない。ただの直感に従って、俺は行動を起こしていた。
ルームドアへと猛然と突撃。瞬く間に、ルームドアに到着し、展開式装甲板を固定していた固定具を解除した。そして、侵入者との対峙に備えて、拳銃を構える。
次の瞬間、展開式装甲板は床へと落下し、同時に無数の殴打に晒されたルームドアがこちら側へと倒れてくる。廊下と部屋を隔てていたドアが無くなり、両者は繋がった。そこにいたのは、ガスマスクを装着して、右手にレーザー・トーチ、左手にサプレッサー付きの拳銃を抱えている人間の男。
「えっ?」
男は素っ頓狂な声を挙げた。ガスマスク越しにも男が困惑している様子が見て取れる。
「やあ」と言いながら、俺は、男の心臓と頭部に向けて発砲した。そのどちらにも、弾は命中して男は物言わぬ死体と化す。銃撃を受けた男が地面へと崩れ落ちるよりも早く、俺は廊下へと躍り出た。視界の左側に、同じく拳銃を保持した人間の男が映り込む。
左に敵!
素早く身体を右回転させ、回転の勢いに任せた右腕の肘打ちを、男の顔面に叩き込んだ。骨が砕ける感触が肘に伝わってくる。男はグチャグチャになった鼻から血を吹き出し、倒れ込んだ。奴のガスマスク内は血の海だ。
「朝っぱらからうるせえなあ。殺されてえのか」
背後から聞こえてきた声に反応して、俺は素早くそちらに銃を向ける。
俺の目に飛び込んできたのは、108号室正面の107号室のルームドアから顔を出し、きょろきょろと辺りを見回している宿泊客のゴブリン男だった。男は明らかに酒に酔った様子だったが、廊下に転がる男達と自分に向けて拳銃を構えている男を見て、血相を変えた。
「すっ、すみません! 私は何も見ていません!」と、慌てて107号室のルームドアは閉じられた。
やれやれと俺は安堵して、構えた拳銃を下ろした。しかし、安堵できたのは、ほんの一瞬。一際大きい破壊音が108号室内から響いてきたからだった。
突破された!
一瞬でその事実を察し、俺は108号室内の窓から丸見えになっている現在位置から逃げ出すように、死角となる前方向へと飛び込んだ。
その判断は正しかったようで、破壊音が鳴り響いてから寸分たがわず、107号室ルームドアに数発の銃弾が突き刺さった。もたもたしていたら間違いなく被弾していただろう。
内心で冷たい汗をかきながら、俺は素早く身を起こし、108号室ルームドア側の壁際へと屈んだ状態のまま背中を張り付けた。そして、拳銃を持った右腕だけを室内に突き出す。そのまま2回引き金を引いた。このブラインドファイアには、敵を殺傷する目的や期待は全くしていない。期待するのは、俺が逃げ出すまでの牽制効果、ただそれのみ。
急いで右腕を引っ込めさせ、俺は同程度の素早さで床を蹴った。現在位置から最も近いのは、非常口。奇しくも、あのエルフの少女を追跡したときとは逆の、俺が逃げる側という構図となっている。
走れ!
必死になって、廊下を全速力で駆け抜けた。遮蔽物が何もないこの通路で背後を取られたら、間違いなく蜂の巣にされてしまう。できることといえば、敵が108号室から出てくる前に、非常口へと辿り着くことのみ。
この廊下は、ほんの数十メートルしかない距離なのだが、今の俺にはまるで数百メートルにも感じられた。非常口へと通じる曲がり角までもう少しだ――。
「いたぞ!」
背後から男の叫び声が聞こえてきた。同時にサプレッサー特有のくぐもった銃声。
左方向への曲がり角に差し掛かっていた俺は、慌てて曲がり角の奥にダイブした。先程と同じように、数瞬前まで俺が居た位置めがけて銃弾が飛来してくる。もし奴らが手にしているのが、実弾兵器ではなくレーザー兵器だったら、非常に危ないところだった。
「クソッ!」
俺は悪態をつきながら、廊下側に向かって一発、ブラインドファイア。そして、すぐさま目と鼻の先にある非常口のドアを蹴破った。俺が今すべき事は、尻尾を巻いて逃げ出すことで、追跡者達を撃滅することではない。それに弾薬はもう底をつきかけている。
薄暗い路地裏へと躍り出る。ガスマスクを剥ぎ取り、人気の多そうな場所へと俺は駆け出した。
◇◇
ホテル襲撃から20分後。俺は、人混みに紛れて、行くあてもなく9区内の繁華街の一角をさまよっていた。平常時なら歩行者で一杯の歩道は、不快要因でしかないだろうが、今の俺にとっては安心をもたらす要因となっていた。
とりあえず、追跡の手を振り切れた......と思う。今のところ、奴らは攻撃を仕掛けてきていない。それとも、単に無関係な一般市民が多すぎるため、手出しできないだけだろうか?
「人間の盾」を用いているようで気が引けるが、生き残るためには何だって利用してやる。
......状況は最悪だ。唯一の安全地帯であったセーフハウスも失われ、武器も装備も不足している。ホテルでは5発発砲したため、拳銃の残弾数はわずか3発。また襲われたら抵抗のしようもない。
落ち着け――。頭を最大限働かせろ。最悪の状況下における最善策を導き出せ。
今朝、顔を洗いながら考えていた今後のプランは、セーフハウスという拠点の存在が前提だった。即ち、長期的なゲリラ戦を念頭に入れていたのだ。
今、最優先で為すべき事は、新たなセーフハウスの構築。とはいえ、9区をシマとするルミナスファミリーαという組織が、俺という外敵の存在を明確に認識した以上、好き勝手に行動することはままならない。9区に居るならば、一挙手一投足を監視されていてもおかしくはない、ということを念頭に入れておくべきだ。
一つのギャング組織と、雇われた有能な殺し屋四人組。個人がそれらを相手に回すには、あまりにも強大な敵、ということを再確認せざるを得ない。
一時的に9区から離れて潜伏し、ほとぼりが冷めてから、雇われ殺し屋集団にリベンジを挑む、という手もあるだろう。なにせ、時間は山程――。
『ホテルでは派手な立ち回りを演じたな。尾けられているぞ』
ニューラル・インターフェースに、ヴェルダさんから受け取った時と同じような思念通信が、謎の男から送られてきた。
唐突な出来事に驚いたが、それをおくびにも出さず、俺は人混みに紛れて同じ調子で歩き続ける。
思念通信はなおも続く。
『奴らは本格的に、君を消すつもりらしい』
通信と共に、3枚の画像データが送られてきた。いずれも、誰かの視角情報の一瞬を切り取ったと思われるものばかり。それらに映っていたのは、二人の人間男、そしてハーピー女。全員、背中を晒しており、
こいつらは!?
背中越しではあるが、間違いない。こいつらは全員、俺そして暗殺者チーム「リシェド」がターゲットとしていた、ルミナスファミリーα雇われの殺し屋達だ!
『忠告ありがとう。あんたは一体何者だ?』
とりあえず、目下一番の疑問を謎の通信者に投げかける。
『君と利害が一致する者、とだけ言っておこう。さて、君がこの窮地を抜け出せて、かつ、奴らを仕留めるプランがあるが協力してくれるか?』
『内容によるな』
今度は、マップデータが送信されてきた。一目見た感じ、どこかの裏路地のようだが......。
『裏路地?』
『そうだ。これから君には、我々が指定するルートを辿って貰いたい。そして、終着点で我々と君が力を合わせて、奴らを殲滅する......。要は挟み撃ちを仕掛けるというわけだ。君を囮にしてな』
俺が独力で尾行に気づき、追跡を振り切るために裏路地へと逃げ出す......、ふりをする。そうなれば、奴らは獲物が自ら袋小路へと追い込まれたと慢心し、尾行する自分達を尾行する者がいるとはつゆにも思わないだろう。そこにチャンスが生まれるというわけだ。しかし――。
『悪いが、あんたらが味方であるという保証はどこにもない。むしろ、助力に見せかけた罠である公算の方が高いんだが』
謎の通信者は鼻で笑った。
『敵であるという確証もな。とはいえ、絶対的な味方であるということを証明する術を我々は持ち合わせていない。全ての判断は君次第だ。さあ、どうする?』
状況証拠的には、謎の助言者が味方である可能性が高いが、絶対とは言い切れない。
これはギャンブルだ。賭けに勝てば、雇われ殺し屋集団を一気に三人も殺るチャンスを得られる。負ければ、人気のない裏路地で、ひっそりと人生の幕を下ろすこととなる。
俺は強く息を吐き出した。
いいだろう、この賭けに乗ってやる。奴らと戦う以上、どっちみち、いつかはリスクを負わなければならない時が来る。そのリスクを負うタイミングが、思いがけない速さで飛来してきた。ただそれだけの話だ。
『囮役は任せろ。逃げ足には自信がある』
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