1-11 トラウマ

 俺は薄暗く、細い一本道をひたすら前進していた。左右の壁は冷たい石でできており、人一人がやっと通れる程の狭さ。前へと進む度に、後ろの道が砂の城のように崩れ去ってゆく。


 やがて、俺の目の前に錆び付いた金属製のドアが現れた。ゆっくりとドアノブを回し、ドアを押し開ける。嫌な金属音を立てながらもドアは難なく開け放たれた。中は、さっきまでのような通路ではなく小部屋となっており、部屋の中心にはオークの男が一人突っ立っているだけ。


「あなたは......?」


 俺は、思わずその男に声を掛ける。面識は無いはずだが、男の顔に見覚えがある。男は俺の呼びかけに対し、一切反応を示さなかった。


 一歩前へと、俺が足を踏み出した、その時。オーク男の額に穴が空いた。穴は銃創であり、この銃創はレーザーによるものであることが一目でわかる。男は瞬く間に地面へと崩れ落ち、彼の周りには血が広まり始めた。


 俺は、直ぐに辺りを見回してみたが、狙撃者の姿は見あたらなかった。そもそも、この狭い空間に俺達以外の他者の存在が入り込むことは不可能だ。


 小部屋の先には、またしても錆び付いた金属製のドアがある。つまり、続きがあるということだ。この部屋に居続けていても、なにも得られる知見はないだろう。俺の直感がそう告げている。


 部屋の中心部にある男の死体を大きく迂回して、ドアまで辿りつく。


 ドアを押し開けると、先程の部屋と全く同じサイズ・レイアウトの小部屋。そこにはヒューマノイドタイプ電子生命体内包フレームの男が一人、立っていた。さっきと同じような感覚が俺を包み込む。


 俺が彼に近づこうとすると、銃撃音が室内に鳴り響いた。男の身体中に無数の穴が空き、男は地面に崩れ落ちる。俺は彼に駆け寄ってみたが、既に事切れていた。室内を精査してみるが、やはり敵の存在を見つけることは出来ない。


 俺は首を左右に振り、立ち上がった。まだ、続きがある。この部屋にもやはり、先に続くドアがあるのだ。


 次の部屋では、人間の若い女が立っていた。自分よりも少し年上といったくらいの年齢だろうか。 


 またこのパターンか。この女もどうせ死ぬに違いない。


 感覚が麻痺してきたせいか、どこか他人事のように感じられる。


 だが、今までと違うのは女の右手にリボルバーが握られていたこと。女は表情一つ変えずに、ゆっくりとそのリボルバーを俺に向けてきた! 


「待ってくれ!」と俺は叫んだ。


 しかし、女は躊躇無く、その引き金を引いた。思わず俺は目を瞑る。


 カチャリ――。


 撃鉄は空のシリンダーを叩き、室内には小気味の良い金属音が鳴り響いた。弾倉には弾丸が込められていなかったのだ。その事実に俺は胸をなで下ろしたが、次の瞬間、血の気が引いた。


 なんと、女は銃口を自分の側頭部に押し当てたのだ! そして、女はニヤリと不気味な笑みを浮かべてから、引き金を引き始めた。


 カチャリ――。


「待てっ!」


 慌てて俺は、女の蛮行を止めるために前に駆け出そうとした。だが――。


 カチャリ――。


 足が動かない。まるで、足がコンクリートで固められたかのようだ。


 カチャリ――。


 相変わらず、女はニヤケ顔で引き金を引き続けてる。察するに、ロシアンルーレットスタイル。即ち、六連発の回転式弾倉の中に一発だけ弾丸が込められているのだろう。早く止めないとこの女の頭が吹き飛んでしまうに違いない。


「やめろっ!」


 自由に動かせる両手を伸ばして女からリボルバーを取り上げようとする。が、あと少しのところで手が届かない。


 カチャリ――。 


 もう、少しの猶予も残されてない。むしろ、ここまでを引き当てていないことの方が、幸運の賜物なのだ。だが、女は構わず引き金を引き続けようとしている。なんとしても、止めなければ――。

 

 バンッ!


 努力むなしく、とうとうその時はやってきた。俺の目の前で銃声が鳴り響き、女はバッタリと倒れ込んだ。女の側頭部から発せられた、わずかな血しぶきが俺の顔面に降りかかる。


「そんな......」


 女が倒れ込んでからしばらくして、ようやく俺の足の拘束も解けた。慌てて、女の元へと駆け寄り、首筋に手を当てる。......脈は無い。


 俺はへなへなと地面に尻をついてしまった。あと少しで女を助けられたかもしれないという後悔。正体不明の怒り。諸々の感情が濁流のように、俺の中を駆け巡る。 


 しばらくして、よろよろと俺は立ち上がった。袖で顔に付着した血を拭い、次の部屋へと続くドアへと歩き出す。


 もう充分だ――。


 次の部屋には、なんと、ヴェルダさんが元気な様子で立っていた!


 しかし、彼も死ぬのだろう。これまでの部屋の住人がそうであったように。


 ここまでの死の連続で、俺の感覚は完全に麻痺状態に陥っていた。目の前で巻き起こる死が、完全に他人事に思えるのだ。


 やはり、俺の予測は正しかったようだ。ヴェルダさんは、突如として顔を苦悶の表情に歪め、激しく咳込み始めた。咳をする度に黒々とした血が、彼から吐き出され床を汚していく。


 そして、最後に倒れ込みピクリとも動かなくなった。


 俺は、ヴェルダさんを迂回し、次の部屋へと足早に向かう。どうせ、彼は死んでいる。今の俺には一々、死亡を確認するほどの気力も残っていなかった。


 ドアを開けると、意外にもそこには何もなかった。次の部屋へと続くドアも、中心部に立っているはずの人も。


 ここで行き止まり。つまり、終着点ってわけか。


 部屋に入り、中心部に立った時、俺は察した。


 なるほど、この部屋のにえは俺ということか。


 金属製のドア特有の耳障りな開閉音が、俺の背後から聞こえてきた。続いて、足音が俺に向かって近づいてくる。背中に張り付く、何者かの気配と威圧感。


 このまま振り返れば死、現状維持でも死。直感がそう俺に告げる。同じ死ならば――。


 覚悟を決め、ゆっくりと振り返る。そこには――。


 ◇◇

 

 背後の人物が何者であるか知る前に、時間切れとなった。今、俺の目に映っているのは、もはやなじみとなった、安ホテル「グアララト」108号室内の様子。


 夢か――。 


 ふと、自分の顔に違和感を感じ、頬に指を這わせてみる。これは、涙の跡だ。寝ながら泣いてたというのだろうか?


 俺はベッドから身体を起こし、深い溜息をついた。


 徒歩2時間を掛けて、無人プラント地帯を脱出。その後、無人タクシーを乗り継ぎ、108号室に辿り着いたのは4月16日午前1時頃。


 道中では、恐れていた敵の追撃もなく、忌々しい人工雨も1時間程で収まった。


 そう、俺は敵の中枢たる9区中心部内に舞い戻ってきたのだ。ヴェルダさんと死別した場所は、9区と5区の境界線近く。徒歩でも充分、9区からの脱出が可能な位置であった。ルミナスファミリーαのシマである9区から抜け出してさえしまえば、奴らも追撃をしてくることはないだろう。容易く、交易都市中心部たる1区の世界移動港まで辿り着けたはずだ。


 しかし、俺はあえて脱出時とは逆方向のルートを辿り、敵地へと逆戻りした。まだ、《《やるべき事》》が残っているからだ。暗殺チーム「リシェド」唯一の生存者としての責務。同チームの業務完遂、すなわち、雇われ殺し屋四人組を一人残らず始末すること。


 常識的な判断をするならば、誰もが、撤退を選ぶだろう。とてもじゃないが勝ち目はない。しかし――。


 俺は独りになっても闘い続けると、自分自身に宣誓したのだ。


 自暴自棄になってるのかもしれないし、実際、その通りなのだろう。今の俺には、記憶も味方も存在しない。だから、失うものもない。やれるだけやってやる。


 決意を新たにした俺は、ユニットバスへと向かった。洗面台の鏡に映る俺の顔は、疲労から深く刻まれた目の隈と、涙の跡で酷いことになっている。さっさと顔を洗おう。


 早速、蛇口を捻る。蛇口から迸る冷たい水で顔をバシャバシャと洗った。


 やるべき事は山ほどある。最優先でこなさなければならないのは、武器・弾薬の調達。


 現在、俺の手元にある武器は、残弾数8発の拳銃「LT-78 アクシエフ」のみ。カーチェイスの最中に予備マガジン2本を撃ち切り、残された弾薬は最後のマガジン内に収められた9発だけだった。


 残弾数が一発足りないのは、昨夜の惨劇の後、単独移動の途中に試射したからだ。雨に濡れて使い物にならなくなっていたことを危惧していたが、幸いにも弾薬は発射可能な状態だった。


 とはいえ、8発の9mmJHP弾だけで戦闘を継続するのは、不可能もいいところだ。できれば今日中にでも追加の武器・弾薬を入手したい。


 蛇口を閉め、タオルで濡れた顔を拭き取る。


 物資調達後に必要なのは、情報だ。殺し屋集団の詳細なデータが決定的に欠けている。欲を言うならば、俺と共に拉致されたという、もう一人のリシェドメンバー「エレクエ」の情報も。彼、もしくは彼女が存命ならば、是非とも救助しておきたい。


 ユニットバスから退出した俺は、ベッドに腰掛ける。そして、食用人工血液パックの封を切った。


 いずれにしても、あまりにも分が悪い勝負だ。そもそも、勝負と言える程の勝算が存在するかどうかさえ危うい。こちらも傭兵などを雇って、戦力を増強することも視野に入れるべきだろう。それとも――。


 ここで、俺は食事がてらの思考を中断。ドアと窓、両方に設置されていた二台のマルチプル多目的アラートセンサーが、一斉にHUD上にアラートを発したからだった。内容は至ってシンプルだ。有害気体の検出、そして、複数人の不審者が接近。この警告が示す事実は至って単純だ。


 向こうから仕掛けてきたようだ!

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