1-10 孤立

 激しい衝撃と轟音と共に、浮遊感が車内を包んだ。最悪の事態だ。ガードレールを突き破り、ホバービークルは高架下にその身を投げ出したに違いない。やがて、二度目の大きな衝撃がやってくる。俺の意識はそこで途切れた......。


 ◇◇


 最悪の状況で目覚めるのは、死体袋の中だけだと思っていたが、どうやらその認識は誤りだったようだ。身体中は正体不明の痛みを訴え、何より悪いことに、車内に溜まった雨水で溺れかけながらの目覚めだったから。


 なんとか、水中から顔を出し、周囲の状況を確認する。ホバービークルは完全にひっくり返った状況で、車内は天地が逆転していた。次に、恐る恐る自分の身体を検査する。

 ......首と手足はまだ体とくっついているようだ。その事実にわずかながらも安堵できた。


 ニューラル・インターフェースのバイタルレポートによると、骨折や内蔵の損傷はなし。不幸中の幸いにも、俺は全身の打撲で済んだようだ。


 隣から弱々しいうめき声が聞こえてきた。


 そうだ、ヴェルダさんは!?


 慌てて、運転席を見ると、そこには変わらずヴェルダさんが居た。ぱっと見た感じでは、出血などの目立った外傷は見あたらない。しかし、左腕が明らかに異常な方向へ折り曲がっている。さらに、彼は青ざめた顔で苦しげなうめき声を挙げていた。


 俺は医療のプロではないが、明らかに素人目でも彼が重傷を負っていることは明らかだった。


「ヴェルダさん!? しっかり!」


 とりあえず、ヴェルダさんを抱えて車外に脱出するのが最優先だろう。慌てて、彼に肩を貸そうとした寸前で、思い留まる。むやみやたらと負傷者を動かしても大丈夫なのだろうか?


 数瞬の逡巡ののち、俺は首を左右に振ることで、己の迷いを断ち切った。少なくともここは、爆発や炎上等の危険性がある。共に外にでなければ。ベストな判断ではないが、ベターな判断だと信じたいところだ。


 まずは、脱出路確保のために、自分が座っていた助手席側のドアを、渾身の力を込めて蹴った。ビクともせず、打撲で痛めつけられた全身の痛覚が悲鳴を挙げている。だが、歯を食いしばって、二度、三度と蹴りを繰り返す。七回目の試みにして、ようやく立て付けの悪くなったドアは開け放たれた。


 次は――。


 自分の苦しい判断を信じ、ヴェルダさんの肩に腕を回した。ヴェルダさんに触れると、彼はより強い苦悶の声を漏らす。しかし、俺は心を鬼にして、彼を車内から引きずり出そうと試み続けた。


 時間はかかったが、俺達は横転したホバービークルからの脱出に成功。改めて外から眺めてみると、無数の弾痕で覆われ、衝突と落下の衝撃でぺしゃんこになったスクラップ寸前の金属塊がそこにはあった。よくこの状態で二人とも生きていたものだと、悲惨な状況なのに自虐的な笑いがこみ上げそうになる。


 相変わらず、俺達の頭上には忌々しい人為的な雨雲が広がり、雨水を吐き出し続けていた。


「落下地点から移動します。大丈夫です、必ず助かります」


 俺は真横にいるヴェルダさんに励ましの声を掛ける。が、ヴェルダさんは苦しげに頷くだけだった。


 二人三脚状態でよろよろとホバービークルから離れながらも、周囲に目を光らせるのを忘れない。雨の中、天を仰いでみると、地上からおよそ15メートル地点のハイウェイ高架に大穴が空いていた。あそこから落下したのだ。


 落下地点は、広大な無人プラントが広がる、9区内の工業区画だった。周囲には人気は全くない。しかも、無人プラントであるため、申し訳程度の照明が弱々しく闇を照らすだけであった。もっともマシな光源は、防御フィールド越しから煌々と闇夜を照らす、月光という有様だ。


 ありがたいことに、俺はこの程度の明るさでも十分行動できた。吸血鬼の種族的特性とでもいうのだろうか、夜目がよく利くのだ。この闇が追跡者達の目を欺いてくれることを祈って。俺達は、降りしきる雨の中をよろよろとした足取りで、しかし確実に前進を続けていった。

 

 ◇◇


 落下地点からおよそ200メートル移動した地点で事態は急変した。俺の力を借りながらも何とか自力で立って歩いていたヴェルダさんが、地面に倒れ込み、急激に咳込み始めたのだ。しかもその咳込む度に、彼の口からは血が吹き出ていた。吐血をするということは、内蔵が傷ついているに違いない。


「大丈夫ですか!?」と慌てて、手を貸そうとする俺を、ヴェルダさんは折れていない右腕で制止した。そして、自力でプラントの壁際まで這いずり、自らの背中を壁にもたれかけさせた。


 次の瞬間、俺のHUDに『予備物資』とメモ書きが付随された所在地コードが表示された。ヴェルダさんが俺のニューラル・インターフェースに送信したのだろう。


「保険だ......」


 落下してからというもの、初めてヴェルダさんが口を開いた。続けて


「ケストレル......俺は捨て置け......ゲホッ......一人で脱出しろ......」と今にも消え入りそうな声で呟き、激しく咳込んだ。咳込む度に彼の口からは血が吹き出し続けている。


 俺はハッと気がついた。重傷を負った者にこれ以上喋らせ続けるのはマズいという事実に。


「喋らないで! 手を貸します!」


 俺は、ヴェルダさんに手を貸そうとした。だが、彼は再び俺を右腕で制止する。その動作は、全く同じ動作のはずなのに、明らかに弱々しいものなっていた。


「致命傷を負っているのは......ゲホッ......俺自身が一番知っている.......。内蔵に骨が刺さってんだ......」


 薄々気がついていながらも、気がつかない振りをしていた事実を本人から容赦なく突きつけられた。そもそも、まともな医療設備が近隣地域に無く、ヴェルダさんを救うビジョンを俺は持ち合わせていなかった。それでもなお、彼に手を貸したのは、仲間を見捨てるという罪悪感を感じる行為を少しでも先延ばしにしたかったからという、打算的な理由に他ならない。


「......わかりました。恨まないでくださいよ」

「ふっ......こんなザマになるなら......ゲホッさっさと逃げだせば......良かったぜ」


 ヴェルダさんはゆっくりと目を閉じた。


「生き延びろよ......ケストレル.....」


 ヴェルダさんの弱々しい呼吸音はとうとう止まった。俺は事切れた彼の両手を組ませ、目を瞑り、しばしの間黙祷を捧げる。


 記憶的には、昨日今日出会った人物が死亡したに過ぎない。しかし、酷い喪失感と無力感が、俺の精神を蝕んでいた。今は失われている過去が、そうさせているのだろうか。


 何かに導かれるようにして天を仰ぐ。しかし、そこにはヴェルダさんを迎えに来た天使などはおらず、ただただ人為的な雨が降り注いでくるだけだった。


「仇は必ず......!」


 静かに宣言をしたのち、俺は遺体の側から立ち上がった。そして、ニューラル・インターフェースの地図上に現在地をマーキングする。遺体を抱えて移動することは出来ない。だから、全てが終わったのち、ここに戻ってきて遺体を回収する。必ずに。


 遺体に背を向け、俺は歩き出した。涙こそ流さなかったが、絶望的な状況下で、出会った唯一の味方を早くも失う悲しみは筆舌に尽くしがたい。しかし、悲しみに暮れて無為に時間を過ごす贅沢は、今の俺には許されていないのだ。


 独りになったとしても闘い続けなければ......!


 生存者としての責務を果たすために、俺は歩調を早めた。

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