1-8 再会
4月15日 18:00
ショットバー「ヤカテ」は、9区ナルヌーク区画の大通りの一角に、人目を忍ぶようにひっそりと営業をしていた。俺が現在セーフハウスとして用いている、安ホテル「グアララト」からは6km程離れた位置にある。
ネクサスネットによる調べ物が終わった後、俺は昼寝や拳銃(調べた結果、『LT-78 アクシエフ』であることが判明)の
無人タクシーを捕まえて、「ヤカテ」に到着したというわけだ。
重厚感ある木製の入り口ドアを押し開けると、蝶番が軽い金属製の悲鳴を挙げるのが耳に入ってきた。アルコール特有の刺激臭がほのかに香る店内は、間接照明によって心地よい感じの薄暗さが保たれている。常連客と思われる人々によって混み合うテーブルやボックス席。彼らは、入店してきた見知らぬ顔であろう俺に一瞥もくれることなく、友人との談笑に熱中している。
さて、店内には、触手でシェーカーを振っている女性スキュラのバーテンダーと俺を除いて、16人の先客がいた。この中から、ワーウルフ男を探さなくてはならない。しかも彼は、俺と同じく変装をしているだろう。どうやって探したものか――。
『ケストレルだな。こっちだ。カウンター席の最奥末端』
俺の脳内に、昨夜通信越しに聞いた、ワーウルフ男のものと同じ声が響いてきた。
その声に従って、カウンター席の最奥に目を凝らしてみる。確かに一人の獣人が、カクテルを嗜んでいた。
「こちらへどうぞ」とバーテンダーが、空いた触手で空席のカウンター席を指し示した。
「すみません、先に友人が来ているはずですが......。あっ、彼ですね」
そう言いながら、俺は右手を差し出すようにして、ワーウルフ男を指し示した。我ながら下手な演技だ。
「失礼いたしました。それでは、御友人のお隣の空席へとどうぞ」
「ありがとうございます」
俺は、バーテンダーの指示に従い、ワーウルフ男の隣の空席まで歩み寄っていった。そして、席に腰掛ける。
「まずは、生きて再会できたことを喜ぼう」
席に着くなり、俺の左隣に位置するワーウルフ男が、辛うじて聞き取れ程の声量で呟いた。彼もリアルタイムフェイスホログラムを用いているのか、モニター越しで見た精悍な顔つきではなく、老いた顔つきとなっていた。右頬に刻まれた特徴的な一本の切創の古傷も存在していない。
もっとも俺も、鏡で見た若い男とは全くの別人の、眼鏡を掛けた金髪の白人男性になっている。
「そうですね......。正直なところ、身の回りで何が起こっているのかわからないってのが実状ですが」
俺もワーウルフ男に合わせた声量で返答をする。
バーテンダーが近づいてきた。
「ご注文は?」
「スプモーニで」
「かしこまりました」
バーテンダーが離れていく。
「そういえば、昨夜は、俺のコードネームを伝えることを失念していたな。『ヴェルダ』だ」
「では、改めてよろしくお願いします。ヴェルダさん」
ここで、バーテンダーが再び俺達の元へと接近してきた。触手の一つに俺が注文したカクテルを携えながら。
「スプモーニです」
「どうも」
俺は礼を述べながら、バーテンダーの触手からスプモーニを受け取る。一つの職務を果たしたバーテンダーは、新たなカクテルを作成するために俺達から離れていった。
「本来なら乾杯でもするところだが、そんな状況でも気分でもないな」
「そうですね」
ヴェルダさんに同調しながら、カクテルに口をつけた。口に広がるほのかな酸味とビターな甘み、そして柑橘系の香りが鼻を抜けていく。
「記憶は戻ったか?」
「本名らしきものは思い出せましたが、それっきりですね」
ヴェルダさんは眉間に皺を寄せた。
「じゃあ、始めから話しておいた方がいいか」
「是非」
ヴェルダさんは、重々しい口調で語り出した。
「元々、俺達は
「ウェットワーク......暗殺ですか」
ヴェルダさんが頷き、言葉の先を紡ぐ。
「コールコード『リシェド』。それが俺達のウェットワークチームだった」
話が見えてきたぞ。俺は、リシェドの一員として業務を遂行するために、この都市にやってきたわけだ。そして、作戦行動中にヘマをして、敵に拉致られた......、と。
「話を続けよう」とカクテルに口をつけながら、ヴェルダさんが続ける。
「ルミナスファミリーα。『1074・ハリケイレス』第5交易都市9区をシマとする、
俺の眼前の情報群に4名の顔写真が浮かび上がった。送信者はヴェルダさんだ。筋肉質の褐色人間男、女ハーピー、どこか病的な印象を受ける眼鏡と口だけを覆うガスマスク人間男、ヴィクトリア朝の服装の
「なぜです?」
「敵対組織との抗争、周囲への威迫目的、自警団員の排除、まあ、一言二言では言い表せないな。ともかく、その四人組がここで暴れ出した」
地面を指しながらヴェルダが語る。ここ、即ち第5交易都市9区だ。
「その4人が我々のターゲットだった......というわけですね」
「ああ。クライアントは大方、自警団か敵対組織か、そのどちらかだろう」
いつの間にか、俺のカクテルグラスは空になっていた。バーテンダーに2杯目のカクテルを注文する。そういえば......。
「先程、連中の顔写真が送られてきましたが、この目の前に浮かぶ情報群は一体何なんです?」
「目の前の情報群......? ああ、ニューラル・インターフェースのことか」
「ニューラル・インターフェース?」
「有機脳にインフォメーション・ナノバイオプロセッサを敷設し、有機脳をそのまま一つのデジタルデバイスとして利用する技術だ。お前の目の前に浮かんでいるのはニューラル・インターフェースによる
「頭の中にバイオプロセッサか.....」
俺は、己の頭を右手の人差し指でコツンコツンと叩いてみた。特に意味はない行為なのだが。
「ワームホールを使って、直接脳内に敷設されてるはずだから、手術痕の類は一切無いだろう? それに、インフォメーション・ナノバイオプロセッサは活動を停止すれば脳細胞の一部として脳と一体化するように設計されている。除去手術の事は心配するな。さて、そろそろ話を本題に戻してもいいか?」
俺は首を縦に振る。そして、話の本筋の内容を反芻。
「ルミナスファミリーα雇われの殺し屋四人組を消すために、我々は現地入りした......」
「そして、失敗した。一斉攻撃を敢行したが、件の殺し屋集団のカウンターを食らってな。
バーテンダーの触手が近づいてきた。2杯目のカクテルを受け取る。
「作戦は継続するんですか?」
俺の問いかけに対し、ヴェルダさんは目を瞑りながら首を左右に振った。
「撤退だ。リシェドが大打撃を受けてから、俺は上に指示を仰いだ。すると、即時撤退命令が出された。4日前の話だ」
では、なぜ、ヴェルダさんはまだここに留まっているのだろうか。長く留まれば留まる程、彼の上に降りかかるリスクは増大するはずだ。
答えは明白。行方不明者を放ったまま、自分だけが逃げ出すという判断を、彼は下さなかったということだ。理由が、彼自身の矜持なのか、チームメンバーを見捨てないという義務感なのかはわからない。だが、事実、彼は自らのリスクを度外視してこの場所に踏みとどまっている。
「そう、どうしてもMIAの二人を見捨てて逃げ出す事ができなかった。人道主義者としては申し分ないが、プロのウェットワーカーとしては失格もいいところだ」
ヴェルダさんは自嘲気味に吐き捨てた。
「もう一名のMIA該当者は?」
「駄目だ、エレクエとはコンタクトは未だにつかないし、奴の消息を追える戦力も情報もゼロだ。だが、お前と合流できただけでも、踏みとどまった価値があった」
「それでは......」
ヴェルダさんは手元のカクテルを一気に飲み干した。
「今すぐ逃げるぞ。昨夜の通信で言ってなかったからアレだが、逃げ出す準備は出来ているか?」
「いつでも行けます」
俺もヴェルダさんに倣い、残りのカクテルを一気に飲み干す。
事実、荷物は全て尻ポケットの中にある、多次元モバイルストレージに納められている。また、セーフハウスには残して困るようなものは何一つ置いていなかった。
「近くにレンタルした改造ホバービークルが駐車されてる。まずは、そこまで行くぞ。酒は奢ってやる」
そう言いながら、ヴェルダさんはカウンター席から立ち上がり、「二人分の会計を」とバーテンダーを呼びつけた。
ここは素直に彼の好意を受け取っておくとするか。
「ごちそうになります」
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