1-5 ショッピング

 二十分ほどして、ようやく行動を起こす気力が出てきた。デスクチェアから立ち上がり、伸びをする。こわばった筋肉がほぐれていく感覚がとても心地よい。伸びをしながら、今後の行動プランを考えてみる。


 現在の時刻は、4月15日0時を迎えてから少し経ったところ。ワーウルフ男と合流するまで18時間の猶予がある計算になる。


「あっ」


 ここで俺は、二つの事に気がつき、驚きの小さな呟きをもらした。ワーウルフ男の名前を聞いていないではないか。もう一つは、強烈な空腹感を感じていること。


 前者はまあなんとかなるだろう。名前を聞き出すことは失念していたが、顔は認識している。現地で実際に合流すれば男と他人を識別できるはずだ。

 後者の問題が、現在の俺にとってはもっとも深刻だ。俺の胃袋は、食物を寄越さなければ自らを消化するぞ、と脅迫じみた胃痛を脳に伝達してくる。


「まずは食料を入手しなくちゃな」


 不幸にもこのホテルには自販機の類は見あたらなかった。ワーウルフ男は不用意に外出するなと言っていたうえ、変装用の道具も何一つないが、リスクを犯して外出する必要がある。


 廃棄場からこのホテルに辿り着く道中にて、コンビニエンスストアを何軒か見かけた。最も近いストアはこのホテルから200メートルも離れていないはずだ。


 そうと決まれば善は急げ、だ。俺は早速、108号室を抜け出して、夜の雑踏へと一歩踏み出した。


 ◇◇


 俺は、コンビニエンスストアを目指して、夜の市街地を歩いていた。街灯が煌々と輝き、建造物の窓から洩れる無数の光。深夜にもかかわらず、昼間と見間違うような光量が町を満たしていた。


 殴り合っている酔った二人の人間と、彼らを囲んで熱狂しているグループの側を、つかつかと早足で通り抜ける。夕方、ここを歩いたときは、酔った吸血鬼同士が殴り合っていたな......。そんなことを考えながら。


 初めてこの道を歩いた時と比較して人気や喧噪さの差異は感じられない。とはいえ、道行く人々の顔ぶれの大半は、サキュバス等の夜魔よまや吸血鬼種族などの夜間生活種族に置き換わっていた。


 夜は大半の人々が寝静まり、一部の限られた歓楽街が不夜城と名を馳せる......、というのは今は昔。朝に起き昼に活動して夜に就寝する、というのはあくまで、人間などの昼間ちゅうかん生活種族の生活サイクルにすぎない。夕方に起き夜に活動し朝に就寝する、というサイクルを持つ夜間生活種族の存在によって、この都市は24時間寝静まることなく動き続けてる。


 というわけで、道行く人々に夜魔がやたらと多いのは、現在地が歓楽街から近いというだけの要因だけではないのだ。


「ねえ、お兄さん♪ 私と遊んでいかない?」


 俺の右斜め背後から妖艶な声が聞こえてきた。


 反射的に声の主に向けて拳銃を引き抜きそうになった。が、その直後に、明らかに拳銃を向けるべきではない人物が発する言葉であることに気がつくことに成功。


 俺は喉元に張りつめた空気をゆっくりと吐き出し、これまた緩慢な動作で声の主の元へと振り返った。


 そこにいたのは、大方の予想通り、(外見年齢が)若いサキュバスであった。やたらと露出度が高い扇状的な格好をしている。いかがわしい店のキャッチか、美人局のどちらかであることは容易く予想できるだろう。警察に追われている犯罪者のような面持ちの男に、わざわざ逆ナンをかける女性はそうそういないだろうから。


「すみません。ちょっと仕事中なんで......」


 俺はサキュバスに対して軽く会釈をしてから、再び目的地に向かって歩き出した。軽く愛想笑いを浮かべたつもりだったが、敵への恐怖から明らかにひきつった笑い方になっていたのは否めない。


「あ、ちょっと待って......」


 背後から先程のサキュバスの、俺を呼び止める声が聞こえてきた。しかし、構わず早足で歩き続ける。やがて、彼女の存在は背後の人混みの中に掻き消えた。


 ワーウルフ男との通信を終えてからというもの、男が発していたという言葉が頭にこびりついていた。


 誰も彼もが俺の命を狙っている気がしてならない。とてつもない精神的プレッシャー。あたかも、俺の精神がすり鉢に押し込められてすられているようだ。他者の存在に対して過敏になっているのだろう。さっきのサキュバスにも、あわやというところで拳銃を突きつけるところだった。


 外に長居するとロクなことがないな。さっさと用事を済ませて帰還しよう。俺は、ストレスに押しつぶされないように歯を噛みしめながら、歩くスピードを速めた。


 ◇◇


 とうとう、コンビニエンスストアに辿り着いた。大手コンビニエンスチェーン「ユオンクィプ」。


 ドアを押し開けると、心地よい風が俺を包んだ。空調が効いているのだろう。外も無風かつ適温・適湿で不快という感覚からはほど遠かったが、店内は快適度が一段上がった感覚だ。


 店内には店員の姿は一人も見あたらない。客の動向を監視しているであろう、店内の片隅に鎮座している1台の警備ドローンを店員の数に含めるのならば話は別だが。それと商品を陳列しているはずの棚も存在していない。


 店員に代わり販売活動を行っている12台のヴェンディング・マシン自動販売機が整然と列をなし、店内のレイアウトを形成していた。ヴェンディング・マシン間には不可視性フィールドが仕切りとして展開されており、隣接する客が何を購入しているのかを目視するのは不可能だ。プライバシー対策はバッチリというわけである。


 さて、店内にいる客は俺を除いて6人だ。その誰もが各々の必要品を求めてヴェンディング・マシンの前に立っていた。彼らに倣って、俺も諸々の品をショッピングすることにしよう。


 俺は、空いていたディスペンサーの前に立った。すると、眼前に浮かぶ情報群に「いらっしゃいませ」の文字が表示され、文字と同じ言葉を発する柔らかな女性の言葉が脳内に響いた。続いて、無数の商品カタログがポップアップされる。


 まずは、食料品だ。手始めに亜人種用の取り扱い人工食品カテゴリーを開いてみた。多種多様な人工食品が並んでいるようだ。


 食用人工精液......、俺はインキュバスやサキュバスじゃないのでこんなものは食べられないよ。

 食用人工培養人肉......の人肉には、健康被害を誘発する汚染物質がたんまりと含まれているという話なので、健康志向のオーガ族等の人々は人工性のものを食べるのが吉だ。


 あったこれだな、食用人工血液。


 食用人工血液一つのカテゴリーをとってみても、数万種類の商品があるようだ。ヴァンパイアといっても、単一種族ではなく無数の種族が存在するのであるから仕方がない。とはいえ、チマチマと手動で商品を探していては、目的の品に辿りつく前に餓死してしまうだろう。


 ワーウルフ男は、俺の種族はヴァンパイア・パラディシスタントと言っていたな......。その事を思い出しつつ、商品絞り込みをかけてみる。ヴァンパイア・パラディシスタント対応、高カロリー・高栄養......といったように。


 5分後、俺はおよそ一週間分の食事を賄える量の食用人工血液パックをカートに放り込んでいた。これは、現在の俺を取り巻く状況が、長期戦になることを見据えたものだ。とりあえずの備蓄として一週間分の食料を購入しておいて、あとは様子見しても問題ないだろう。


 主目標である食料品はカートに入れたが、まだまだ必要な物はたくさんある。ミネラルウォーター、使い捨て口腔自動洗浄モジュールを始めとした衛生用品、代えの下着や服など......。あの安ホテルにはアメニティ用品の類が一切ないので、必要な物は全て自分で買い集める必要があるのだった。


 最後にもう一つだけ。購入した品々を収納し、持ち運ぶための鞄の役目を果たす「多次元モバイルストレージ」をカートへと。


 これにて商品の選別作業は完了。問題は、支払い作業だが......。決済フェーズへと画面を進める。購入には、多世界交易都市共通電子通貨”セベウ”を必要とするようだ。


 カート内の商品合計金額は、5万セベウを越えていた。さて、俺の現金貯蓄がどれ程あるかという話になる。状況次第では、追い剥ぎを強いられる羽目になるだろう。


 意を決して、決済タブを開いた。俺の貯蓄は――。


 なんと、300万セベウ以上保有している!


 一文無しであることすらも覚悟していたが、状況はそこまで悪くないようだ。安堵によって思わず笑みを漏らしながら、俺は購入手続きを完了させた。事情を知らない他人から見ればさぞかし気持ち悪い光景に違いない。


 早速、購入した、手の平サイズの「多次元モバイルストレージ」がヴェンディング・マシン下部の商品転送口へと転送されてきた。このヴェンディング・マシンで購入した商品は、遠方の商品倉庫から転送されてくる。まさに、在庫要らずというわけだ。


 分割されて転送されてくる、購入した商品の数々。それらを全て多次元モバイルストレージに収納していく。収納方法は簡単。多次元モバイルストレージの先端部を、収納したい物品に向けて「収納」ボタンを押すだけ。すると、先端部から精査レーザーにも似た光線が放たれ、物品を他次元のストレージ(倉庫)スペースへと転送させるのだ。


 少しばかり時間はかかったが、こうして俺は購入した全ての品物を、懐の多次元モバイルストレージへと収納を完了した。


 さて、楽しいショッピングの時間第一部はこれにて終了だ。というのも、ここでは買えないが、どうしても必要な品々が存在するからであった。それらは、帰りに寄り道がてら入手を試みるとしよう。ともかく、俺はユオンクィプを後にし、寄り道込みの帰路を急ぐことにした。

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