1-4 セーフハウス
扉を勢いよく押し開け、同時に敵を向かえ討てるように銃を構えた。......クリア!
不意打ちを警戒しつつ、慎重に108号室室内に足を踏み入れる。
室内は、宿としてはオーソドックスなベッドルームと旧式のユニットバスの二部構成だった。ジリジリと室内のクリアリングを進めていく。敵が待ち受けているリスクはもちろんだが、ブービートラップが仕掛けられている可能性も見逃せないだろう。ベッドシーツの下に電子励起爆薬でも仕掛けられていてはたまったものではない。
死角を慎重に潰していき、ベッドルームのクリアリングが完了した。正確には、ブービートラップの有無の調査は未完了である。しかし、敵対者の存在は認められない。室内の当面の安全を確保してからでもトラップ調査は遅くないだろう。残るはユニットバスだ。
ベッドルームに背を向け、入り口からすぐ側にあるユニットバスにつながる扉の横に身を寄せた。左手をドアノブに掛け、ゆっくりと動かしてみる。ドアノブは抵抗無く動いた。施錠はされていない。
間髪おかず、俺は勢いよくドアを開け放した。壁から身を乗り出し、ユニットバス内に銃口を向ける。そこに居たのは、こちらに向かって拳銃を向けた一人の若い男!
俺は咄嗟に発砲しようと引き金に指を掛けたが、直後、何か様子がおかしいことに気がついた。ギリギリで発砲を踏みとどまり、引き金から指を離す。すると、俺と対面していた若い男も引き金から指を離した。俺が銃口を床に向けると、呼応するかのように目の前の男も床に銃口を向けた。
この男は......俺だ!
ユニットバスの中には、初めから敵対者など存在しなかった。そこにあったのは、洗面台の上に設けられた一つの鏡のみ。
つまり、俺は鏡に向かってさながら一人芝居をするかの如く、鏡の中の自分と拳銃を突きつけ合っただけだったのだ。
ブービートラップの危険性すらも忘れて俺は鏡に駆け寄った。鏡の中の自分は、自分であるはずなのに初対面の他人に思えてしまう。一瞬、自分の事を他人だと錯覚したのも無理はない。自らの相貌すらも今の俺からは失われているのだから。
外見から伺える種族は、やはりヒューマノイドであった。毛髪の色は黒。肌の色には誤差レベルと言っても過言ではないが、白みが掛かっている。外見年齢は、種族「人間」でいうところの20歳前後。もしかしたら、まだ十代かもしれない。だが、それらの外見的特徴以上に俺の関心を引いたのが、上下の犬歯が微妙(2~3mm程)に長いこと。肌の特徴と合わせて鑑みるに、どうやら自分は吸血鬼種族に属するということが推測された。
俺は、二重の安堵から息を吐き出した。一つ目の安堵は、室内に敵対者の脅威が認められなかったこと。敵とトラップ、二つの脅威への警戒によって、生じる心労は二倍だ。二つ目の安堵は、自分の容貌を確認できたこと。自分の顔すらもわからないというのは、想像以上に堪える。「本当に自分はこの世に存在しているのか、もしかしたら幽霊なのでは?」目覚めてからの道中、そのような妄執じみた疑念がずっと頭の中にこびりついていた。自分の顔を視認することによって、俺は現世に定着されたといっても過言ではない。今や、俺は顔を持たないゴーストではなく、実体を持って活動する一個人だ。その事実が俺を想像以上に勇気づける。よし、......やるぞ!
残る脅威はブービートラップのみ。気を緩めず慎重に行こう。
俺は一旦108号室から退室し、廊下で見かけた清掃用具入れロッカーの元へと向かった。廊下内に不審な人物はなし。拳銃をホルスターに収め、ロッカーを開けた。立て付けが悪いのか、なかなか開かない。力を込める。苦しげな金属音を立てて、ロッカーは開け放たれた。
中には、モップ、バケツ、旧式の清掃用ロボット。俺は、早速、目的物を手に取った。モップである。先端からマイクロファイバーを取り外し、ロッカー内へと放る。長い棒と化したモップを持って俺は、108号室へと舞い戻った。
長い棒一つで取れる行動は複数ある。つつく、はたく、シーツを取りのける......。早速、それらの行動をフル活用して、ブービートラップが仕掛けられていそうなベッドやカーテンなどの怪しげな場所をチェックしていく。壁に身を隠し、腕だけを出すような形で、できる限り遠くから危険性を排除していく。できれば防爆スーツでもあればありがたいのだが、今の俺が頼れるのはこの薄汚い一本の棒きれだけだ。
10分後、俺は息も詰まるような緊張感から解放された。最早、108号室は安全な空間といっても差し支えないだろう。
律儀にモップを元の清掃用具入れロッカーに戻し、108号室の中へと帰還。内側からドアロックを施錠し、108号室は密室と化した。敵味方の存在もわからない、あらゆる意味で孤独な俺にとって、唯一の心休まる要塞と言えるだろう。もっとも、あの少女が不法侵入していたことを考えると、どれ程の堅牢さが担保されているのか疑わしいものだが。
緊張の糸が切れたのであろう、ここで疲労感がどっと押し寄せてきた。室内の痕跡に自身の記憶を取り戻すためのヒントを求める事も忘れ、ベッドに身を投げ出す。お世辞にも質の良いとは言えない硬さのマットレスの上で、仰向けになり目を閉じた。
突如として睡魔が瞼の上にのし掛かり、意識が深淵の底に吸い込まれてゆく......。
◇◇
何か夢を見ていた気がする。それも著しく不快な。現実のみならず、夢の世界ですら俺を苦しめなければ気が済まないらしい。だが、意外にも俺を泥のような眠りから現実へと引き戻したのは、悪夢による強烈なショックではなかった。
断続して鳴り響く電子音。それが、室内の一角に鎮座していた秘匿暗号化通信装置から鳴り響くコール音であることに、気がつくのには、それほど時間は要しなかった。
慌ててベッドから飛び起きる。今は何時だ? 俺は何時間、夢の世界にいた? 眼前に浮かぶデジタル時計によれば、現時刻は、23時30分ちょうど。108号室のクリアリングを完了したのが、たしか19時50分頃だったはずだから......。
「3時間40分ってとこか」
妙な納得とともに、俺は独りごちた。というか、こんなどうでもいいことに納得している時間はない。今現在もなお、秘匿暗号化通信装置が寝起きの頭には、不快なコール音を発しているのだから。
慌てて、ベッドの向かいにあるデスクの上に鎮座した秘匿暗号化通信装置の元へと駆け寄った。通信装置前に置かれた安物のデスクチェアに急いで掛ける。頭の中では使い方がわからなかったが、体が勝手に動くというあの奇妙な感覚のもと、俺はヘッドセットを頭に装着。次いで、秘匿通信回路オープンにする。
「やっと繋がったぜ! ケストレル、無事だったか!」
秘匿暗号化通信回路をオープンにすると同時に、眼前の情報群に一つのモニター画面がポップアップされた。そこに映し出されたのは、一人の
通信相手であろう、ワーウルフの男が発した、「ケストレル」、「無事」、といった一連のワードが、俺の心を揺り動かした。
俺の名前は「ケストレル」というのか!? 「無事」と聞かれるということは、俺は何かしらのトラブルに巻き込まれたというのか!? 矢継ぎ早に、通信相手のワーウルフ男に質問を投げかけたい心境ではあったが、何とか自制を試みる。
死体袋の中で目覚めた時点で、自分が何かしらのトラブルに巻き込まれたのは明白だろうし、ワーウルフ男の口調からして自分とこの男は旧知の中であることは間違いない。であるならば、自分が記憶喪失であることをワーウルフ男に伝え、冷静に必要な情報を得ていくことが得策といえるだろう。
「現在、記憶喪失状態です。えーっと、まず自分の名前を教えてください。ファーストネームがケストレルですか?」
「何だって!?」
モニター越しのワーウルフ男が一瞬狼狽えたが、すぐに平静を取り戻し、「記憶喪失のレベルは?」と問うてきた。
「自分に関する情報や、過去に何が起こったのか、すべてわかりません。ですが、特定の事象......、拳銃やこの通信装置などは感覚的に操作をすることが可能です」
「
「ケストレル......。サイト・サギノミヤ......」
俺は自分のコードネーム(とワーウルフ男が言っている名前)のみならず、会話には一言も出てこなかった未知の名前を、何かに取り憑かれたかのように呟いた。「サイト・サギノミヤ」という名は、「ケストレル」というコードネームを聞いた途端、突如として俺の脳裏に浮かんできたものだ。
記憶を失ったとしても、そうそう自分の名前を忘却することはないという。ともすれば、第2の名前といっても過言ではないコードネームを聞き、それと連動する形で本名がフラッシュバックされたとしてもおかしくはない。
コードネーム「ケストレル」。本名「サイト・サギノミヤ」。
自分の名前と言われればそのような気もするし、どこか他人の名を呼んでいるかのような気もする。要するにフワフワとしていて実感が感じられないのだ。まるで、これまで俺には定まった名前が存在しなかったのように。だが、ここは信じなければ話が進まない。俺のコードネームは、今から(これまでも?)ケストレルであり、本名はサイト・サギノミヤだ。
「種族はヴァンパイア・パラディシスタント。年齢は19歳。エールシス・セキュリティタスク社所属。俺達のチーム......とはもう言えないな、に加入して4回目の仕事を遂行していた。そして......奴らに拉致られた」
見聞きしたことのないワードがポンポンと男の口から飛び出し、俺の脳内は混乱を来した。激しい目眩がする......!
「おい、大丈夫か!?」
「何とか......。大丈夫です......」
目眩が和らいだ。肩で息をしながらなんとか、男の問いに返答する。
「わかる範囲でいい、そちらの状況を報告してくれ」
「およそ5時間前、9区廃棄物不法廃棄場にて、死体袋の中で目覚めました。そこから抜け出し、回収屋と名乗る一団の襲撃を受けたり、謎の少女から電撃攻撃を受けたりしましたが、何とか現在地まで辿り着きました。無傷とは言い難いですが、目立った負傷はありません。記憶を失ってはいますが」
「了解。とにかく無事で何よりだ。逆探(知)のリスクが高まるから長々とは話せない。今から言うことをよく聞いて、メモしてくれ」
「少し時間を下さい......」
確か情報群の中にメモ機能があったはずだ。......あったぞ。
「どうぞ」
俺は一言たりとも男が発する言葉を聞き逃すまいと身構えた。男の口からは、どこかの所在地コードがスラスラと流れ出た。その所在地コードを一言一句逃さず、メモに書き留める。
「その住所にあるバー、『ヤカテ』にて明日の
「バッチリです」
「OK。そろそろ時間がマズいな......。最後に一つだけ。俺達は、今や狩られる身だ。極力、外出は控えて他人との接触を最小限度に押さえてくれ。外出するのなら変装を忘れないように」
「気をつけましょう」
俺の返答に対し、画面の向こうの男は力強く頷いた。
「頼んだぞ。詳しい事情は後で話す。18時間後にまた会おう」
秘匿暗号化通信が途切れた。俺は、ヘッドセットを頭から取り外しながら目頭を押さえて、デスクチェアに背をもたれさせる。
回収屋達を相手に派手な立ち回りをした時よりも、重い疲労感が俺の身体中にのし掛かってきた。過去に関する情報が激流のように、俺に襲いかかってきたからだろうか。
俺は、深い溜め息をつき、しばらく身体を安物のシートに任せることにした
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