1-3 闖入者

 俺が廃棄場の出入り口ゲートをくぐってから、夕刻の闇が辺り一帯を包み込むまでわずかな時間もなかった。とはいえ、廃棄場に面していた、現在地である9区パテカナンセ区画は、闇の静寂からは程遠い様相を示していた。街灯、建造物の照明、輝くネオン、ホログラム広告、地面と頭上双方の道路を行き交うホバービークルのライト等の無数の光源が闇を切り裂いているからだ。


 俺は今、紙片に書かれていた住所目指して、道行く人々に混ざりながら歩みを続けていた。俺からざっと見える範囲でも、人間、エルフ、オーク、ドワーフ、猫耳の獣人、ゴーレム、タコ型外的宇宙出身種族、アンドロイド、ドローンタイプ電子生命体内包フレーム......。多種多様な種族の個人が各々、目的地目指して歩みを進めている。その情景に特に違和感は感じない。


 廃棄場を抜け出して歩き始めてから15分が経過した。目の前に表示されているマップに沿って移動を続けていると、どんどん町並みのスラム化が進行していく。そんな状況に俺は一抹の不安を抱えていた。何度もポケットから紙片を取り出し、見返してみるものの、書かれている住所は変わりはしない。つまり、目的地へは順当に近づいているということだ。


 不安感に耐えに耐えた25分間。とうとう俺は、紙片に書かれていた住所にたどり着けた。そこにあったのは、出所不明の生体パーツや部分的身体機能拡張モジュールを販売している怪しげな身体強化パーツショップと、使用料金が異様に安いネットカフェに挟まれていた、一軒の安ホテル「グアララト」であった。


「ここか?」


 本当にこの場所で合っているのだろうか? 道中と同じように紙片を手にして住所を確認してみる。当初で確認していたものに間違いない。

 では、マップの方は? こちらもやはり正確無比のようだ。

 やはり、ここで間違いない。となると、住所の他に書かれていた「108」という数字は部屋番号を示しているのだろう。


 確信を得た俺は、目的地にたどり着いた興奮半分、何が待ち受けているのか分からない事に対する不安半分で、「グアララト」に足を踏み入れた。


◇◇


 グアララトのロビーは、お世辞にもロビーとは言い難いものであった。枯れかかった観葉植物が一鉢に、ボロいソファなどの応接セット。エントランスの真正面に鎮座していた、簡素な事務用デスクが受付の役割を果たしているのだろうか。そのデスクを挟んで、老人の人間族の男が座っていた。老人の頭は白髪で真っ白に染まっており、どこかやつれている印象を周囲に与えるだろう。俺が、グアララトのエントランスをくぐったとき、彼は目を瞑って椅子の背もたれに寄りかかっていた。


 寝ているのだろうか? 俺がロビーの周囲を見回してから、受付に歩み寄っていくと、老人の目が見開かれた。老人の視線が俺の顔を精査し終わった途端、老人は再び目を閉じた。


 何も言われないと言うことは、俺はこのホテルの宿泊客ということなのだろうか?

 とりあえず、108号室へと向かって答え合わせをしてみるとしよう。そう考えて、受付の横を通り過ぎようとしたとき、俺はあることに気がついた。


 部屋のキーらしきものを持ち合わせていないということに。気が進まないが、この老管理人に申告するしかないか。


「あのー、すみません。部屋のキーを紛失してしまったのですが」


 申し訳なさそうな声で老人に語りかける。


「生体認証キー。物理キーはない。キメて記憶喪失にでもなったのか?」


 老人は瞼を上げることもなく、めんどくさそうに喋った。


「似たようなもんですね。お手数おかけしました」


 俺は、老人に一言お礼を述べ、客室フロアへと移動を開始した。老人に、俺に関して聞きたいことは山程あったが、反応を見る限りまともに取り合ってくれはしないだろう。ちなみに、老人は俺の言葉に何の反応も示さなかった。


◇◇


 105、106、107。あった、108。とうとう、ここまでやってきた。一種の達成感と緊張感が俺を包み込む。ドアには旧式の生体認証キーがついていた。俺自身がそのキーなのであろう。すぐに扉を押し開けたい衝動を押さえ込め、俺は通路に他人が居ないことを確認した。ショルダーホルスターに収められた拳銃に手を掛ける。


 室内に何が待ち受けているか分からない。敵が待ちかまえていたり、ブービートラップが仕掛けられていたりしてもおかしくはない状況だ。室内をクリアリングする必要があるだろう。


 拳銃を右手に持ち、ドアの横に張り付く。ここで、深呼吸を一度。よし、覚悟は決まった。行くぞ。

 俺が、生体認証キーに手を伸ばしたその瞬間、108号室のドアが内側から勢いよく押し開けられた! 


 中から出てきたのは――。


 一人の少女だった。


 外見年齢は十代。耳は短いながらもエルフ種族のそれ。パーカーを着こなしたスポーティな格好。以上が、俺が一瞬で読みとれた彼女の外見情報だった。


 一瞬、少女と俺の目線が合致した。


「えっ! ゾンビ!?」


 彼女は俺の顔を見るなり、驚愕の表情を浮かべ、驚きの声を挙げた。


 反射的に俺は、手にしていた拳銃を目と鼻の先にいる少女に向けて、構えようとする。だが、俺が彼女に銃口を突きつけるより一瞬早く、少女が左手を俺に向けて突きだした。彼女の左手前方に魔法陣のようなものが出現。


 次の瞬間、電撃が少女の手から放たれ、俺に襲いかかってきた! 


 回避する間もなく、頭の頂点から足の指先まで、全ての感覚器官に火を放たれたかのような衝撃と痛みが容赦なく俺に襲いかかる。


「うあっ!......がっ.......!」


 声にならない悲鳴を挙げながら、俺は床に崩れ落ちた。全身の筋肉が異常な痙攣を繰り返すのが感じ取れる。とても立ってはいられなかった。右手から離れ、俺より一足早く床に落下した拳銃が、床にぶつかり鈍い音を立てる。


「ほん......ごめ......な......い」


 意識の遠くで少女が何か喋っている気がした。そして少女が、俺が来た方向とは反対方向に通路を走り去っていくのを、グニャグニャに歪む視角の片隅で捉える。


 意識が、遠ざかってゆく――。そして、再び舞い戻ってきた。


 苦痛が支配する暗黒世界ツアーから急激に現実世界への帰還。

 気がつくと、既に俺の目の前にいた少女は跡形もなく消え去っていた。


 情報群のデジタル時計によると、俺が少女に放電されてから僅か二十数秒程度しか経ってないようだ。感覚的には数億年は感電していたような気がするのだが。


 奴を追わなければ――。


 重度の筋肉痛のような痛みを訴える全身の筋肉を叱咤し、俺はなんとか冷たく硬い床から立ち上がった。拳銃を拾い上げる。その程度の皮膚と物体の接触ですら、拷問のような痛みが生じた。だが、歯を食いしばって耐える。なんとか追跡体勢の再構築に成功した俺は、壁に寄りかかるような形で、よろよろと少女が駆け去った方向へと歩きだした。


 まるでゾンビのように数歩前進したところで、体中の力が突如失われた。体勢を維持する事すら叶わず、床に膝を折ってしまう。


「逃がすか......」


 だが俺は、執念で体中に力を込め、再び立ち上がった。追跡を再開。永劫にも思える時間を経て、なんとか、少女が消えた通路の曲がり角までは辿り着いた。曲がり角の先にあったのは非常口。奴はここから逃走したのであろう。もたれかかるようにして、非常口を押し開ける。


 そこにあったのは、隣接する建物の壁と闇のみ。非常口は裏路地に面していたため、光源は左右の表路地からもたらされるわずかな光のみであった。首を左右に振って、少女の行方を捜したが、時既に遅し。少女は跡形もなくまんまと逃げおおせることに成功したのだ。


 何の成果も挙げることもできず、俺の追跡劇はここで終了した。少女が左右どちらの方向へ逃げ去ったのかもわからず、なにより追跡をできるような健康状態ではなかったからだ。


「クソッ......」


 力なく悪態をつきながら俺はホテル内へと戻った。非常口すぐ横の壁に背中をこすりつけるようにして、床に座り込む。 


 残されたのは、無力感と失望感、それと全身に残る深い苦痛のみ。加えて、あの少女は何者か? という新たな疑問もか。奴が使ったのは、魔術か超能力か? それともサイバネアームによる放電攻撃だろうか? それに108号室で何をやっていた? そもそもどうやって生体認証キーを突破した? 現時点でわかることは何一つない。


 あまりの状況の悪さと己の不甲斐なさに、俺は思わず苦笑を漏らした。が、すぐさま感電で過敏状態になっている腹筋が悲鳴を訴えたため、真顔へと引き戻されることとなる。


 気の抜けた俺は、しばらく思考を放棄し、全身の力を床と壁に預けた。肩で呼吸を繰り返す。呼吸するのも痛い。しかし、そんな状態を10分程続けているうちに、徐々に俺の体を蝕んでいた痛みは引いていった。


 これなら、なんとか動けそうだ。先程は精神力で体を動かしていたようなもので、本来ならば身動き一つ取れるような状態ではなかったのだ。

 

 呼吸を整えながら、ゆっくりと立ち上がる。そして、108号室へと向かう。予期していない闖入者の存在で念頭からは消し飛んでいたが、本来の目的はそちらの探索である。


 108号室の前に足を引きずるようにして辿り着いた。十分前と同じようにドアの横に張り付き、拳銃を構える。


 今度は何も飛び出してくるなよ......?


 心の中でそう祈りながら、俺はこれまた十分前と同じく、生体認証キーに向かって腕を伸ばした。

 

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