10

 拷問や処刑にすら飽きてきた頃、南の世界の魔王から食事会の招待状が届いた。

 拷問や処刑に夢中で、ここしばらく魔王と顔を合わせていないことを思い出した。

 俺はその食事会に出席した。場所は南の世界の魔王の城にて執り行われた。

 俺は魔王の城に向かうついでに、南の世界がどんな状態か視察することにした。

 こっそりと変装をし、一般市民に溶け込んで南の世界の街へと繰り出した俺は、愕然とした。

 南の世界の連中は、誰もが満面の笑みを浮かべて歩いていたからだ。

 北の世界とは大違いだ。あいつらが笑っている顔を俺は見たことがない。

 それだけではない。南の世界はみな裕福だ。商店はどこも賑わい、物を買うにしても値切る様子はない。笑顔で金を払い、商品を受け取っている。盗もうとする輩も見当たらない。

 これが北の世界なら、路上には浮浪者や乞食が溢れ、商店など始めてもありったけの商品を盗まれたり、強奪されるから、まるで商売にならないはずなのに。

 道端で世間話をしているやつらもいる。聞き耳を立てていれば、何と魔王の悪口をほざいているではないか。

 俺が支配する北の世界であれば、この時点で死罪であり、魔物たちがひっ捕らえて『拷問場』へと連れてくる手はずになっているが、そいつらの元に魔物が近づいてくる気配は一匹もなかった。というか、南の世界では魔物自体まったく見かけない。

 北の世界では、魔物は『拷問場』に連れていける人間を探して血眼で街を徘徊しているというのに。

 俺は驚き尽くめの中、魔王の城に到着し、食堂にて食事会は始まった。

 食事会といっても、豪華な料理が並ぶテーブルの前についたのは魔王と俺だけだった。

「勇者――いや北の魔王よ、その後はどうだ? 元気にやっているか?」

「あぁ、見ての通りぴんぴんでやってるよ。そっちはどうだ?」

「まずまずだ。別段問題もなく、平和にな」

 魔王の口から出た平和という単語は、一気に俺に動揺を与えた。

 先程まで見てきた南の世界の光景を思い出す。

 今訊ねるべきことではないのではないかとも思ったが、今訊ねなくとも、いずれ訊ねていただろう。だから今訊ねた。

「南の世界の様子を見てきたんだけどな――その――何だ、あれは?」

 上手く言葉にできず、曖昧な問い方になってしまった。

「うん? どういうことだ?」

「何であんなに平和なんだってことだよ」

「平和なことが可笑しいことなのか?」

「だってお前は魔王なんだぞ。この南の世界は、お前が支配する世界なんだぞ」

「それが何だというのだ?」

「魔王は世界征服を企み、そして世界を征服すれば暴虐無人の限りを尽くし、人々を苦しめ、この世を混乱に陥れる。そう噂されて恐れられてたから、勇者たる俺も派遣されたんだ」

「つまり私が支配する世界が、こんなにも平和なわけがないと?」

「そういうことだ。何でこんな平和な世界になった?」

「それは私が政治に世界が平和になるように働きかけているからな」

「方法を訊いてるんじゃない。お前の心情を訊いてるんだ」

「心情といったって、この南の世界が平和である方がいい、というのが私の心情だが」

「いつからそんな風に心変わりした?」

「心変わり? 心変わりなんかしとらんよ。元から私は私。それ以外のものではない」

「――何のために――何のために世界を征服しようなんて考えた?」

「何のために、とは?」

「お前は人間どもを苦しめるために世界を征服したかったんじゃないのか? 破滅へと導くために征服をしたかったんじゃないのか? それとも――最初から平和のためだったのか?」

「それをお前に説明する義務が、私にあるのか?」

 俺はカッとなり、がたっと椅子から立ち上がって、魔王の顔を指差し叫んだ。

「誰がここまで手助けしてやったと思ってる! 俺の協力がなけりゃ、お前は世界を征服なんかできやしなったし、そもそもあのとき俺に倒されているのが普通だったんだぞ!」

「わかっているよ。お前のおかげだと、よくわかっている」

 魔王はあくまでも冷静な態度だった。

「認めよう。私は平和のために、世界を征服しようと目論んだ」

 俺は魔王の告白に、ただ目を丸くするしかなかった。

「魔王が――あの極悪非道と文献にも記された魔王が――何で――」

「確かに、私は極悪非道だったよ。数百年間、封印される以前は」

「それが、何でこんな風に――」

「まぁそう慌てるな。ゆっくり話そう」

 魔王は一度ごほんっとわざとらしく咳払いをして、語り始めた。

「数百年前、封印される前の私は、それはもう魔王と呼ばれるのに相応しい振る舞いをしていた。人々を殺し、苦しめ、破滅に導くために世界を征服しようとした。そこに勇者がやってきた。君ではない。数百年前の、言うならば初代勇者だ。私はその勇者と戦った。お前のように世界の半分をやろうなんて誘ったりはしなかった。世界は私だけのものだと思っていたからな。しかし、私は結局その勇者に負けた。そして封印され、数百年間の眠りについた。その際に勇者の溢れる正義に犯されてな。それですっかり改心させられてしまった。封印が解け、数百年の眠りから醒めたときには、悪事をする気などこれっぽっちもなかった」

「でも街や村じゃ魔物が暴れてただろ? あれはお前の差し金じゃないのか?」

「確かに魔物どもは私の配下だ。私が仕向けたといっていい。しかし待て。まだ話は終わってない。封印が解けて復活を遂げた私は、人間に化けて街や村を見て回った。この世界で、人間に混じって余生を過ごそうと思ったのだ。しかし、私は人間界の実情を知って愕然とした。浮浪者や乞食が路地裏に溢れ、毎日のように国同士が戦争をしているのだ。街の人々も村の人々も、みな一様に暗い顔をしていた。勇者の心に触れたせいで、良心を開花されていた私は、どうにかしてこの世界の現状を改善させたいと考えた」

「まさか、その結論が世界征服だったとか言わないよな?」

「ご名答。私が辿り付いたただ一つの解答。それがこの世界を征服することだった」

「馬鹿な。お前は征服を完了するために、たくさんの人間を殺しただろ? あれだけの人間を殺しておきながら、どの口が平和なんぞとのたまってるんだ」

「多少の犠牲はつきものだったのだ。私も本意ではなかった」

「そんな言い訳が通用するか? そんなのはエゴだろ」

「確かにエゴだ。確かにエゴだが、私は頭に浮かんだ考えを実行せざるを得なかった」

「それで魔物たちを使わせて、国々を支配していこうとしたのか?」

「そうだ。そうしているうちに、お前が来た。勇者のお前だ」

「俺を仲間にすることで、さらに征服が捗ったと?」

「あぁ。まさか、ここまでお前が活躍してくれるとは思ってもみなかったがね」

「お前が世界の半分をやってでも俺を引き入れたのは、そんな理由か?」

「いや違うな。私は――」

 魔王はそこで一端黙り、どこか遠くを見るような目をした。

「――単純に同じ立場で話のできる仲間が欲しかっただけかもな、私は」

「は? そんなアホな理由で――」

「アホな理由かはともかく、お前が私の野望に大きく貢献してくれたのは事実だよ。お前がいなかったら、お前の言う通り私は世界を征服できていなかったかもしれない。それは本当に感謝しているし、有り難いと思っているよ、心の底から――」

 ありがとう、と魔王は頭を下げた。

 魔王の頭頂部を呆然と眺めながら、むらむらと怒りが湧いてきた。

「お前、今まで俺を騙してたのか?」

「騙してはいない。一言も征服の理由は説明していないだろう」

「だ、だが、魔王が世界を征服する理由が、平和のためとは普通は考えないだろが」

「私の征服を志す理由が、そんなにお前にとって重要なことだったのか?」

「それは――」

 俺は言葉を詰まらさざるを得なかった。

 なぜ自分がこんなに激昂しているのか、自分自身でもよくわからなかった。

 ただただ腹が立って腹が立って、どうしようもなかった。

「それより、お前の支配する北の世界の様子はどうだ?」

 魔王の唐突な話題変換に、俺はドギマギする。

「よ、様子はどうと訊かれても――」

「知っているぞ。相当酷いらしいな」

 魔王はそこでふと真顔になり、俺を睨むような目をした。

「配下の魔物に偵察に行かせたのだ。そして偵察した結果を伝えられて驚いたよ。北の世界の現状は、以前の世界――いやそれ以上に悲惨なことになっているとな」

「だから何だ? 北の世界を俺のものにしたのは、他でもない、お前だろが」

 俺は負けずと睨み返し、言い返した。

「そうだ。世界の半分をやると約束したのは私だ。だから北の世界はお前のものだ。しかし、今の北の世界の現状に目を瞑ることは、私には到底できそうにない」

「何をしようってんだよ? どう足掻いても俺のもんは俺のもんだ。渡さねぇぞ」

「渡さないなら、奪うまでだ」

 魔王はゆっくりと席を立ち上がり、もったいつけた口調で言った。

「北の世界に戦争を仕掛ける。勝った方がすべての世界の支配者だ」

「な、そんな本末転倒な。お前は戦争のない世界のために征服を――」

「それとこれとは話が別だ。私は目的を達成するためには手段を選ぶ気はない」

 魔王の瞳は、それが嘘ではなく本気であることを物語っていた。

 俺は決心し、溜息をついた。仕方がない。これはもう仕方がない。

「わかったよ」

「お? 戦争する気になったか? それとも大人しく北の世界を渡すか?」

「どっちでもねぇよ」

 決心した俺の動きは速かった。

 腰に携えた伝説の剣を抜き、一瞬で首を刎ねた。

 刎ねられた首は宙を舞い、数度回転すると、床に転がった。

 魔王の濃い紫色の血が、辺り一面に飛び散り、俺の顔や身体も返り血で汚した。

 残された魔王の身体は、ゆっくりとその巨体を後ろに転倒させた。

 しばらく食堂内を、鼓膜が痛くなるような静寂が占拠した。

「なんてことを・・・・・・」

 周りを取り囲んでいた召使いの魔物の一匹が、ぼそりと呟いた。

 俺は怯えた表情や、呆然とした表情を浮かべる魔物たちを見回して言う。

「今日から南の世界の支配者も俺な。文句はないよな?」

「良いわけないだろ」また別の魔物の一匹が怒りを露わにした声を上げた。

「あ、そう。嫌だっていうなら方法は一つだ」

 俺は魔王の紫色の血をまとった伝説の剣を、高々と掲げた。

 これで、もう俺が南の世界を支配することに反対の声を上げる者はいなかった。

 かくして、俺は殺した魔王に代わって、南の世界も支配した。

 つまり、俺は全世界の王、北の魔王ではなく、まさしく魔王になった。

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