#6

 トオルの毎朝の日課は、捨てるための朝食作りだ。手際よく二人分の朝食を作ると、自分のコーヒーを注ぐ。どちらも食事を摂る必要はないが、習慣じみた行動は一度染みつくとなかなか離れない。


 雇い主が死んで、もう2年経つ。ここに来てから4年も経つということでもあるのだ。

 ラウンは相変わらず部屋に引きこもりがちで、食事を届ける際に顔を合わせるのみだ。それも突き返され、結局捨てることになるのだが。


 あの忌々しい事件の日から、彼らの日常は少しずつ変化していった。

 銃声が聞こえた次の晩に、懸念通りスーツの男が現れ、地下室と書斎から研究結果のレポートを遺体と共に回収していった。ラウンは、それらの行動に何も言わなかった。恐らく出資をしていたスポンサーの関係者なのだろうが、もう関係のないことだ。

 その後、ボルゾー氏の甥を名乗る若い男が現れ、形見分けとして研究室そのものの権利を譲り受けに来た。ボルゾー氏によく似た髪型の男だ。呆然とした表情で、ディークノアの研究を受け継ぐという事を話していた。トオルは幾らかの札束を握り、厄介払いができた、と思った。


 遺体が握っていた自動小銃をトオルが見つけたのは、持ち主が死んだ一週間後のことだ。その頃にはボルゾー氏がこの家に居た痕跡はほとんど残っておらず、様々な権利の譲渡でトオルが頭を抱えていた時だ。

 彼は何らかの使命感に突き動かされ、銃を分解した。そうしなければならない気がしたのだ。

 分解した銃の中には、金の鍵が入っていた。トオルは家中を探し回り、応接室で鍵のかかったかばんを見つけた。遺書と、大量のガラス製球体カプセルが入っていたのだ。

 遺書には、自らのエゴでラウンを傷つけてしまったことへの後悔や謝罪、ラウンとトオルに対する感謝の意が込められていた。

 悲しい男だ、とトオルは思う。エゴに生きてエゴに死んだかつての雇い主に、彼は無意識に黙祷を捧げていた。


 二つ目の変化は、彼らの関係性だ。

 話し相手からディークとして契約を変更した時、ラウンはわずかな違和感を口に出した。


「トオルって名前、もう使ってないよね? どうせディークになったんだから、それっぽい名前付けてみようよ!」


 少女のテンションに根負けし、彼は名前を変えることを承諾した。


「君のディーク、トラだっけ?」

『いや、ライオン……』

「トラなら虎徹って呼べるのに!」

『じゃあ虎徹でいいよ……』


 呼び方に頓着しないトオルが折れ、その日から彼の名前は『虎徹』になった。彼はその名前に文句を言いながら、少し気に入っていることに気づいた。


 三つ目の変化は、互いの心境だ。

 ある朝、ラウンは晴れやかな表情で目を覚ました。朝食を運び終えた虎徹に穏やかに挨拶をすると、頬を緩めて笑う。


「あー、今日はいい天気だー! 清々しい程に爽やかな一日だー!」


 皮肉や嫌味の類ではなく、本心からの言葉のようだ。虎徹が真意を図りかねていると、ラウンは静かに言葉を足す。


「ボクさぁ、今まで朝が来るのが怖かったんだ。この身体は特に関係なくて、もっと精神的な話だよ。目を覚ましたら、眠りにつくまで生きなきゃいけない。そんな義務的な何かを、ずっと感じてたんだ」

 でも、と彼女は続ける。

「最近、朝はボクを殺しにくる誰かが現れるときなんじゃないか、って考え直すようにしてる。目が覚めたら、死神の鎌が首元に迫ってるかもしれない、銀のナイフで心臓をひと突きにされてるかもしれない、ってね。そう考えると、ワクワクするんだ。気休めなんだろうけど、人生を終える相手を選べるかもしれないしね!」


 ラウンは、ボルゾー氏の善意に飽き飽きしていたのかもしれない。彼は咄嗟に思う。いつでも死ねる状態で死を禁じられていたストレスから逃れた今の彼女は、希望と絶望が入り混じった表情をしていて、綺麗だ。


『叶うといいな、その願い』

「何言ってんの? 君は僕の従者ディークなんだから、叶えてもらわないと、ね?」


 虎徹は、彼女が改めて願ったことを脳内で反芻はんすうする。ラウン・ボルゾーを殺せる者を探す、という願いだ。


「ところでさ、虎徹の願いってなんだっけ?」

『俺は……。生きる意味を教えてくれ、なんて願いだよ』


 くだらない願いだと笑われるかもしれない。そう彼は思う。実際、彼女は見惚れるような笑顔を見せた。


「あのさぁ。動物の生きる意味なんて考えるのは、小賢しい人間くらいだよ。命に意味なんてないし、それはもっと自由であるべきだ。いい? 生きるのに意味なんて求めちゃったら、疲れて楽しめないよ?」

 少女はふと真顔になり、言葉を継いだ。

「生きることは義務じゃない、権利なんだ。イヤになったら、いつでも手放せれば良いのにね……」


『お嬢。俺、ある決心ができたんだ』


 今の彼女には家族がいない。彼女を守る者もいない。彼女が死ぬまで身の回りの世話をする、“家族”が必要だ。そう虎徹は考えていた。


『髪を、お嬢と同じ色に染めようかと思うんだ……』


 君を守る騎士になる。それは前から決心していた事だ。だが、もう一つだけワガママを聞いて欲しい。彼は少女の瞳を見据え、そっと笑いかけた。


 “家族”を演じさせてくれ。同じ髪色など、緩やかな繋がりかもしれない。それでも。君が死ぬまで、守りたいんだ。

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