#5

 ライが目を覚ました場所は、見渡す限り真っ白な世界だ。天井も床も消え去ったような空間に確かに立っている彼は、視線をぐるりと動かして周囲を観察する。


「死後の世界って、何も無いんだな……」


 手をつけていないスケッチブックのような背景にコラージュのように映る自らの姿は、不恰好で、シュールだ。ライは少し微笑みながら、その背景に溶け込むように寝転がる。


『いや、なんで順応してんの……?』


 白い世界の奥からフェードインしてくるように現れたコウモリは、目をつぶっている主に対して呆れながら話しかける。


「おはよ、ミューズ。ここ、どこ? やっぱり死後の世界?」

『そうだね〜。ヴァルハラって言われたり、彼岸って言われたりもするけど、あの世とこの世の境目が正しいかな……』


 ライはシルクハットをひさし代わりに顔を覆い、陽光を身体で浴びた。光源の分からないそれは、不思議と暖かい。

 死。彼は未だ現実離れした、ふわふわと浮世から離れた感情を持て余していた。その言葉を口に出して初めて、ずきずきした背中の疼きを感じてしまう。


「そっか。死んだんだな、俺」

『いや、厳密には死んでないよ。死んだのは私!』

「えっ?」


 ライは改めて目の前のコウモリを観察する。血は出ていないし、表情も元気だ。と、少年はここまで思ってコウモリの表情の違いなど知らないことに気づき、一人で乾いた笑いを漏らした。


『君の肉体は、確かに死んだ。でも、君の崇高で綺麗な精神は、何らかの事情によってまだ生きてる。私がもらう予定だった精神は、何故かまだここに現存してるの。これ、結構ラッキーなことだよ?』


 ライはかつて父親から聞いた話を思い出す。願いを叶える前のディークは契約者の命と一蓮托生であり、そのために宿主の生存を最大限保障しようとする。契約を終えない限り、宿主の死はディークの死なのだ。


『だから、私のディークとしての身体をあげようかなって! 君の自我は残したまま、種族を人間からディークに変える方法があるんだ。記憶があれば、生前の身体も再現できるんだ。ヒトの身体を維持するのにかなりエネルギー使うけど……」

「でも、それだとミューズの精神は……?」

『消えちゃう。けど、それは立場の問題じゃん? 君の精神が消えるか、私の精神が消えるかの話であって……』


 ミューズは眉と思われる箇所を下げて、笑った。

 ヒトの身体を奪い、日の下に生きることを至上命題とするディークにとって、人間に自我を明け渡すのは異質なことなのだろう。そうライは推測する。それは、本質的に緩慢な自死だ。


「あのな、相棒に迷惑かけてまで生き返るつもりはないよ。そういうの、一番ダサいじゃん……」

『じゃあ、弟くんの生活の保証はどうするの? 聖夜クリスマスに帰る約束は?」

「……そんなの、どうでもいいし」

『どうでもよかったら、わざわざディークへの願い事にする?』


 図星を突かれて黙るライに、ミューズは諭すように語る。その声色は穏やかで、彼の未来を案じるようなニュアンスを含んでいた。


『あのね、ライくん。君はまだ若いんだよ! 12歳って、人間ではまだ未来のある楽しい時期なんでしょ。まだ、死ぬべきじゃないんだよ。だからさ、君の未来に賭けさせてよ。滅多にないセカンドチャンスだよ? ずっと若い姿のまま居れるんだよ!? 弟くんとの約束を守るためにも、君が生きるためにも。私の身体を使ってくれない?』

「……恩に着るよ、ミューズ」


 ミューズは宿主の返答に満足したような笑みを浮かべると、彼の肩に止まり、撫でろ、と言わんばかりに羽を動かした。ライは自らの感情を表情に表すまいとしながら、その身体を撫でる。彼らを繋いだのは短い時間だったが、魂を共有した仲だ。言葉を交わさずとも、その心情を互いに理解できる。


『じゃあ、頑張ってね。私の身体で変なことしないように!』

「……するわけないだろ。コウモリの性差なんて判らないし!」


 ライの言葉に微笑みを浮かべながら、ミューズの身体は突如輝きだす。その口から蒸気が放出されると、白い世界はライの足元から崩れていく。


    *    *    *


 志柄木が現場に着いた時、廃倉庫は混沌としていた。倒れている男は拳銃を握って気絶し、所々から血を噴き出していた。その後ろの部屋では、たくさんの子供たちが泣き叫びながらその場でへたりこんでいる。


「なんと、酷い……。そうだ、ライくんは……!?」


 老紳士があたりを見渡すと、乱雑に積まれた木箱の影に黒服の少年の姿を見つける。既に流れている血は乾き、瞳孔は開いていた。


「……ごめん、間に合わなかったよ。支援は最大限する、と言ったのに……」

 小さな肩を抱えると、背中に風穴が空いている。そこから流れる血を、転がっている薬莢やっきょうを、志柄木は確認し、すべてを察する。


「笛吹き男、お前が……ッ!」


 老紳士の静かな怒りは、貨物に隠れた二つの影に気づかないほど深かった。


    *    *    *


 小さな頭に、手が触れる。


 宿主は殺したが、ディークは全てを目撃しているかもしれない。ディークごと殺せなかったのは失策だ。次の契約者に情報が漏れてしまっては、偽装が無駄になってしまう。男は苦悶しながら、自らのシナリオを維持する方法を考えていた。

 偽の記憶を植えつけて、笛吹き男に全ての罪を押し付けることには成功したはずだ。さらに万全を期すために、その上に二重ロックを掛けよう。このディークの記憶をリセットするのだ。

 アルベルトはディークを「記憶をキーに存在する情報生命体」だと説明した。それなら、自身の能力はその対策をするために存在するのだろう。細部が残っても構わないが、大まかに白紙で記憶を覆わねばならない。まだ発現したばかりの力の使い時だ。


 その男には、目的ねがいがあった。私財を投じ、研究者を雇い、研究材料の調達係としてとある犯罪者を見逃した。まだ、それを白日の下に晒すわけにはいかない。たとえ築き上げた人生を投げ打つことになっても、別人に姿を変えたとしても、その目的ねがいは果たされるべきなのだ。


 男は持ち帰ったそのディークを街の雑踏に放り投げ、ほくそ笑む。ディークが目を覚ます未来に、自らの願いが果たされることを祈りながら。

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