#3

「もうすぐ着くから、じっとしてるんだよ……」


 ハンドルを握った男は、ライに向かって笑顔でそう言う。後部座席の窓は全てカーテンで覆われ、フロントガラスからイルミネーションに彩られた街が見えた。この日はクリスマスイブの前日深夜、街に喧騒が広がるのは当然といえる。

 志柄木に囮捜査の提案をされた時、ライは弟に渡すプレゼントを志柄木に預けた。サンタの代わりになってもらい、ケーキを食べている時に家に来てもらう心算なのだ。彼はこの仕事を早急に終わらせ、弟の待つ家に帰るつもりだった。

 ライは怒りを表情に出さず、おどおどした人畜無害な少年を装っている。早く誘拐犯のアジトに潜入し、家で帰りを待つ弟を失望させないようにしないといけないのだ。


    *    *    *


「つまり、笛吹き男はこの洋館で誰かと落ち合ってるんだよ……!」

「あえて拐われることで、そこに潜入する。そういうことですか?」


 初めて会議室に呼び出されたライは、机に広げられた白地図を眺め、作戦内容を確認する。アルカトピアの全景が記されたその地図に書き込まれたルートマップは、事件現場と犯人の移動経路を示していた。


「そうだね。僕も洋館の周辺に潜り込んで支援するから、ライくんは斥候として情報を伝えてくれ!」

「えっ、南雲の仕事は……?」

「南雲“さん”と呼べ。私は不測の事態に備え、ここで作戦を立てる……」

「へぇ……。一人だけ仕事楽すぎない?」

「何かあった時のリカバリーの重要性を知らないな? うちは少数精鋭だ。人海戦術は取れないが、交渉次第では一般の捜査員を派遣して笛吹き男の本拠地を包囲することができる。だから、私の仕事も必要なのだよ」

「少数精鋭ねぇ。マジでこんなに少ないとは思わなかったけど……」


 文句を垂れるライを微笑みながら見つめ、志柄木は静かに口を開く。


「こんな仕事に巻き込んで、申し訳ないね。詫びと言ってはなんだが、君の安全は確実に保障しよう……!」


 ライは大袈裟だとばかりに苦笑した。


「じゃあ、何かあったら骨は拾ってくださいよ……!」

「そうならないように善処はするよ。だから、少しこっち向いてくれない?」

「なんでですか!?」

「決戦前の禊だよ!」


 志柄木は机に置いたポラロイドカメラのシャッターを押すと、南雲やライのいる場所まで走る。ぎこちなく笑う彼らの間で、老紳士は穏やかな笑みを浮かべていた。


    *    *    *


 ヘッドライトの照らす景色が、徐々に変わっていく。イルミネーションが煌めく市街地を抜けて郊外へ突き進んでいくワゴン車は、暗い海の見える埠頭へたどり着いた。


「さぁ、着いたよ!」

「あれ……? ここ、家じゃないんだけど……」

「あぁ、そうだったかい? でも、今日はもう暗いし、この倉庫で一泊していかない?」


 “笛吹き男”は、ライを倉庫の中に招き入れる。彼は戸惑いつつ、犯人の本拠地に足を踏み入れた。目的地は洋館だと聞いていたが、ここは湾岸エリアの埠頭。真逆の立地である。彼は困惑を隠してしおらしく振る舞った。

 倉庫の中は薄暗く、時折床板が軋む音が響く。乱雑に置かれた木箱でいくつかに小分けされた部屋を見渡しつつ、ライは男に手を引かれて歩く。


「坊や、ここでちょっと休んでいてよ! 俺は外の様子見てくるから、そこの子と仲良くしてね!」


 大きな柱が特徴的な部屋では、鎖に繋がれて震えている少年が体育座りをしている。白い服とズボンを穿いた彼は、蒼白な頬を涙で濡らしていた。

 誘拐犯が去ったあと、ライは震えている少年に声をかける。


「やぁ。大丈夫、ヒーローが助けに来たぜ……!」

「ヒーロー……?」


 白装束の少年は肩を震わせ、自分より何歳か年上の少年の表情を伺った。ライが微笑むと、頰に涙の線がある少年は無感情に笑う。


「君、名前は? 好きな音楽とかある?」

「ナオ、です……。好きな音楽は、特に……」

「俺はライ——夕澄ライ。あっ、MDプレイヤーあるんだ。俺のオススメ曲、聴く?」


 ナオと名乗る少年は、ライに弟の姿を重ねさせた。彼はナオの頭をしっかりと撫でる。

 MDプレーヤーを渡されたナオは、嬉しそうにイヤホンを付け、音楽を聴いていた。


『そろそろ出ていい?』

「OK。あの男に見つからないようにな……」


 ライの精神で待機していることに業を煮やしたミューズがライの肩に止まり、翼を広げる。ライがその翼を指で弄ぶ姿を目撃し、ナオは慌ててイヤホンを外した。


「ねぇ、ヒーロー。そのコウモリってディーク……?」

「お前、ディークが見えるの?」

「うん! 僕の相棒はここに来た時に出会ったんだけど……」


 ライは周囲を見渡すが、それらしい姿は見えない。ミューズもディークの気配を感じとろうとするが、区分けされた部屋の外に気配を感じるのみだった。恐らく笛吹き男のものだろう。ライはミューズに耳打ちされ、そう推察する。


「嘘じゃないよ! 臆病だからなかなか出てこないけど、確かにいるんだ!」

「……どこに?」

「見えないの……?」


 ライは首をひねる。ミューズが感知しないディークは今までいなかった。しかし、ナオという少年が嘘を吐いているとも思えない。彼は深く考えることを諦め、見える、と言った。


『ライくん、そろそろ志柄木さんに電話したほうが良くない?』

「そうだ、今のうちに……!」


 ライは志柄木に借りた携帯端末をポケットから出すと、出入口を警戒しながら通話を試みる。


「もしもし、志柄木さん! こちら、例のアジトに到着しました!」

「今どこにいる!? まさか、洋館近辺じゃなかったのかい……?」

「埠頭です。埠頭の倉庫に連れ去られました。今のところ、一人の生存者と接触……!」

「埠頭だって……!? しまった、湾岸エリアか……!」

「とりあえず、続けて調査します。なるべく早く増援お願いします!」

「南雲に連絡しよう。作戦を立て直す必要がありそうだ……」


 ライは連絡を終え、周囲の観察を再開した。小分けされた部屋は決して衛生的とは言えず、用を足す場所と思しき水溜まりが角の排水溝近くにできている。ライは思わず鼻を摘み、涙目で遠くを見た。小部屋の奥に、重い扉がある。


「ナオ。この部屋の奥の扉なんだけど、あそこにも誰かが居るのかな?」

「あの人が言うには、『俺の大切な人が隠れてるから入っちゃダメ』なんだって……」


 ライはナオからその話を聞くと、小さく扉をノックする。返ってくる音はなく、開けようにも固く閉ざされてびくともしない。


「ちょっと待ってろ……!」


 彼は緋銃グリムを発現させると、鍵穴に押し当て、軽く引き金を引いた。

 ぴしり、と静かな倉庫内に物音が響いた。錠前が壊れたのだ。


「よし、開いたぞ……」


 扉の奥はカビの匂いが充満し、ひどい湿気と臭気にライは顔をしかめる。さほど広くもない部屋には不釣り合いな大きさの円卓が置かれ、ハエのたかったコンソメスープが並べられていた。


「趣味悪いなぁ……」


 そう言い、顔を上げたライの表情が変わる。円卓には何者かが既に座っていたのだ。


「おい、なんだよ……。何なんだよアレ……!」


 そこには小学生ほどの少年少女が集い、円卓上の汁物をスプーンですくっていた。誰も彼も虚ろな目をし、濁った液体を掬っては口に入れる直前で皿にこぼしている。

 ライが近づいて耳を澄ますと、心臓の鼓動が確かに聞こえた。しかし、呼吸の音は聞こえない。整備不良のからくり人形のように、延々と無機質な動作を繰り返しているだけだ。


「生きてる……! こいつら、生きてる!」


 ライは思い出す。笛吹き男に誘拐され、まだ見つかっていない被害者の顔は、ここにいる彼らに瓜二つだった。


「……見てしまったね」

「…………!?」


 背後の声は、やけに冷静だった。部屋の観葉植物を買い換えたかのようなフランクさで、笛吹き男は彼らの自慢を始める。


「そこの子、可愛いだろ? 須藤みかちゃん、刑事の娘だ。見ていても綺麗だし、触れても最高だった……。魂を抜く時、興奮したよ。そこの男の子は妙に反抗的だったけど、三日ほど放置プレイしたら従順になった。締まりも良かったね!」

「…………」

「さて、君も俺の秘密を知ったからには、生かしておけない。ここの足りない一枠になるんだ。光栄に思ってくれなきゃ……!」

「…………野郎」

「ん?」

「クズ野郎…………!!」

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