#2
「おい、早くしろ。いつ追っ手が来るかわかんねぇ……」
「OK、あとは逃げるだけだ!」
裏路地に乱雑に停めたライトバンの前で、男たちは合図を交わした。辺りに人影はなく、表通りを支配するエンジン音などの喧騒さえ届かない。
高価な白いスーツを着た男が運転席に座ると、助手席に座る丸サングラスの男が発進を制止した。
「待てよ、アントニオに撤収するって伝えないと……!」
彼が新品のプリベイド携帯端末に見張り番の番号を入力すると、呼び出し音が静かな路地に響く。
「アントニオの奴、何やってんだよ……!」
丸サングラス男の苛立ちに呼応する様に、見張りのいる方から物音が響く。木箱から黒影が飛び出し、アスファルトに倒れた。
「……アントニオ!?」
照らした月光は、額から血を流した見張りの男の姿を鮮明に映す。彼は白目を剥き、気を失っている。その身体に外傷は無いが、彼の頭上には瘴気が浮かんでいた。
「おい、誰にやられた!? ファミリーの掃除屋か!?」
車から降りた助手席の男はアントニオを揺さぶり、詰問した。しかし、彼が漏らすのは唇から余った荒い息だけだ。
「あっ、アレ見ろ! あいつは……!」
運転席の男が指さす先には、一人の少年が立っていた。
少年は漆黒のジャケットとパンツに返り血を浴びさせ、大きなシルクハットで顔を隠している。しかし、その隙間から覗く燃えるようなワインレッドの瞳は、覚悟と殺意を帯びていた。
「おいおい、噂の『血みどろの幻影』じゃねぇか!?」
サングラスの男はアントニオを置いて助手席に乗り込み、それを合図にライトバンはトップスピードで路地を抜ける。
狭い道に置いてある荷物を薙ぎ倒しながら大通りに出た車は、突如轟音とともに急停車した。
「チッ、後輪がパンクしやがった……!」
「だから四駆にしろっつったんだよォ!」
言い争いをする彼らの前に躍り出た黒装束の少年は、フロントガラス越しに彼らを見えない弾丸で撃ち抜いた。
* * *
『いやー、ホント凄いよね……めっちゃ無表情で撃ち抜いてたもん! ちょっと怖かったんだけど、何考えてたの!?』
「いや、『コロッケ食べたいなー』って……」
『そこは年相応なんだ……?』
汚れたジャケットを脱いだライは、洗濯の面倒さを嘆きながらライトバンのガサ入れを始める。
「外れ。まぁ、一人捕らえたから問題ないか」
ライは運転席と助手席で泡を吹いて倒れている男から鍵を奪い取り、ドアを開いた後部座席に潜り込む。開封済みのガムや芳香剤に混じり、アタッシュケースが置かれていた。
見つけたアタッシュケースには、自らの尾を喰らう蛇のエンブレムが刻まれている。それを開けると、白い粉末の入った小袋がぎっしりと詰め込まれていた。
「あー、なるほどね! イリーガルなやつね……。志柄木さーん!?」
あたふたとしながら上司の名を呼ぶライの前に、丸く肥えたタヌキがとことこと現れる。戸惑う彼を尻目に、タヌキは機械的に声を張り上げた。
『伝言ヲ……! 志柄木ニ伝言ヲ!』
「で、伝言……!? もしもし、志柄木さん。聞こえますかー?」
『聞こえてるよ』
「うわっ!?」
無機質な声は穏やかな老紳士の声に変わり、茶縞の尻尾がぴんと跳ね上がる。
『僕のディーク――チャガマの能力がコレなんだよ。テレビ電話みたいだろ?』
「なるほど……。いや、そんなことより! 今回の車もハズレでした。ただ……」
『ただ?』
「このライトバンに積んであった荷物、どうもクスリっぽいんですよ。それにケースのマーク……」
『……ちょっとチャガマに見せてくれないか?』
ライが言われたとおりにケースを見せると、チャガマ越しの志柄木は感嘆した声を上げる。
『なるほど、ヴェルティゴ
「ヴェルティゴ一家?」
『この街で、最近幅を利かせてる外資のマフィアだよ。
「やっぱりこの街の治安って結構アレなんですね……。とにかく、アントニオとかいうディークノア能力発現前の宿主も確保しておいたので、ここから先は志柄木さんと南雲に任せますね!」
『了解。報酬も振り込んでおくね!』
* * *
アルカトピア警察本部、地下5階。広い会議室の角に防音パーテーションで区切られた小部屋は、DCCCに与えられた権限の小ささを意味していた。警察上層部にとってディークノアの存在はUMAや妖怪めいた不確実な物であり、実質的な独立部隊であるこの部署の存在も権力者の道楽趣味と見放されていたのである。
「さて、南雲くん。会議を始めようか……」
「では、私から。夕澄の私への態度についてなのですが……。志柄木さんから叱っていただけませんかね?」
「良いじゃないか、相手は小学生だよ? 若さ故の向こう見ずな姿勢、君も好きだろ? 南雲管理官!」
「若さ、ですか。それには私も憧れるところがありますが。まだ子どもだからこそ、礼儀は弁えさせるべきではありませんか?」
「礼儀は後から身についていくさ。それに、あの子は強い。笛吹き男への切り札になり得る人材だよ。多少の無礼は寛大な心で許してあげようじゃないか!」
志柄木は微笑み、自ら淹れたコーヒーを啜る。南雲は神経質そうに眼鏡の位置を調整すると、自らを落ち着けるように咳を一つした。
「私は、そもそも彼を採用する事さえ違和感があったのです。高給に釣られた、義務教育も済んでいない少年ですよ!? 危険な戦闘を行わせる実働部隊として雇うなど、まるで紛争時の少年兵では……」
「ディークノアに対抗できる人間が少ないことくらい、君が一番わかっているだろう? 事態を早急に解決するために必要な人材なんだ。それに、彼はまだイノセントだ」
「イノセント……?」
「南雲くんもそうだし、ライくんもそうだよ。まだ自らの能力が分かっていないディークと契約できるのは、僥倖なんだ。彼らの生態や能力発現のきっかけを観察することができれば、今後の対抗策を練りやすくなる。ディークを排斥するのではなく、共に生きる社会だって出来るかもしれない」
「確かに、ディークの能力は研究すれば人間に利用価値のある物になる事は分かっています。ですが、それをわざわざ国家権力がする必要は……」
「もう一つ理由が必要かな?」
老紳士はキラキラした表情を真顔に戻すと、アルカトピアの街が記された地図に赤い円をつける。
「これが事件現場の監視カメラに映った車のナンバープレート。それと近隣の目撃情報を照らし合わせると、毎度犯人がひとつの場所に止まった形跡がある。もしかしたら、ここで誰かと落ち合っているのかもしれないんだ」
「それは他部の捜査員も挙げていましたね。私としては、推測の域を出ない与太話という感じですが」
「アルカトピア郊外、南東エリアの古びた洋館だ。与太話でも、足で調べる価値はある。もし笛吹き男が本拠地としているなら、二重に罠を仕掛けるんだ」
「志柄木さん……まさか……」
「君のいた警察組織では、オトリ捜査は違法だったっけ? ここが法の番人でさえ匙を投げる場所なら、可能だろう?」
志柄木は決断的にニヤリと笑うと、かつての相棒の息子に期待を込めるように拳を握る。
危険は承知だ。事前に説明は行ったし、追加手当の約束もした。あとは何が起きても対応できるよう、全力でバックアップをするのみだ。
* * *
「ふー、コロッケも買ったし! アレも買ったし! 満足満足!」
『いっぱい給料もらったし、もっと高級品だと思ったんだけど……。意外に安かったね!』
冬の夜風はライの手を少し冷たくさせた。プレゼント用の紙袋を握る手に痛みが走り、彼は落とさないようにそれを強く握る。
身震いをしながら相棒と帰り道を歩くライは、道路に面した公園の前でふと足を止める。満月を模した街灯が照らすブランコに、眼鏡をかけた少年が腰掛けていたのである。
「あっ、兄さん! おかえり!」
「ハクト……。お前、何でこんなところに!?」
「えへへ。兄さんがなかなか帰ってこないから、迎えに来たんだよ!」
ハクトは安心を実直に顔に浮かべ、兄に歩み寄った。ライは咄嗟に紙袋を後ろ手に隠し、怒っていいのか喜んでいいのかわからないような表情で弟の頭を小突く。
「いいから、帰るぞ! 今日はコロッケ買ってきたから、熱々のやつ食べような!」
「ねぇ、兄さん。最近、無理してない?」
「なんでそういう事聞くんだよ?」
「割りの良いバイト見つけたって言ってたのに、最近の帰りは遅いじゃん。あまり一緒にいれないのは仕方ないけど、兄さんが無理してるなら僕も頑張って節約するからさ……!」
ハクトは聡明だ。ライは前々からそう考えていた。我慢などしなくて良いのに、経済事情を慮るあまりクリスマスプレゼントさえ断ろうとしていたのだ。
クリスマスはちょうど1週間後だ。サプライズをすれば、弟は喜ぶだろうか? ライは一芝居打つことを思い至る。
「クリスマス、良い子にしとけよ。その日は休み貰うから、早く帰ってくるよ。そうだ、一緒にケーキ食べようか!」
「ホントに……? ねぇ、何に誓ってくれる!?」
「そうだなぁ、あの月がふたつにでもならない限り、絶対に帰ってくるさ……!」
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