13

「……いるか、進」


「……」


 真っ暗な部屋で、進は寝るでもなくベッドに仰向けになっていた。

 意外にも、彼の目に泣いたような腫れぼったさは見えなかった。


 私は息を呑んで、彼を見つめる。

 天井を見上げる進の、死体のようにぴくりとも動かず、さりとて魂が抜けたようにも見えない姿には、異様な覇気があった。


 無理もない。


 あれだけ好きと言っていた羽根貴音に――振られてしまったのだから。


 進も、覚悟していたことではあったのだろう。 基本的には弱気なやつだ。普段から、付き合ってることについての不安を私に度々漏らしていた。


 しかし、やはりショックは大きいようだった。


「――ああ、優樹か……どうしたの」


 部屋に入って数分経ち、進がようやく反応した。私は彼にどう声をかけたものか考え、答える。


「……別れたと、お前から連絡が来たんでね。どうしてるかって思って来てやったんだよ」


「そっか……心配かけたみたいだね……」


 もぞもぞと、少しだけ体の位置を変える進。今日初めて、私と進の目が合った。


 濁りきった、なんの希望もない瞳。私はぞっとした寒気を覚えて、ついその目から逃げてしまった。

 いつだって最後には希望を持っていた進が、あんな目をしているのを見るのは初めてだった。


 進なら、「改めて話し合ってみるよ」くらい、笑って言ってのけると思っていたのに……。


 胸が締め付けられるように痛くなり、私は言葉を失った。


 つらそうな進を見ていられなかったし。


 こんな進を見たくもなかったから。


「全部、自分が招いたことだよ……僕は彼氏らしいことをしてやれなかった――いや、こんなことを考える時点で間違ってる。こういうのが、いけなかったんだ……僕が彼氏として頑張ろうとしすぎたことが」


「……」


「彼女のためになにかしてあげようと気張って、彼女を傷つけないために本心を押し殺して、いつしか僕はなんのために頑張っているのかわからなくなって……」


「……」


「それが彼女に伝わっていたんだろうね……そして彼女もきっと、僕と同じように気張ってたんだ。自惚れじゃないけど、彼女は僕のことを好きになってくれていた……少なくとも、最初のうちは。……今は、違うだろうけどね」


「……」


「きっと、もう一度やり直したって無理だろうな……僕らは、あまりにも長く、……」


「だったらなんだよ……」


 気づけば。

 私は、声を出していた。


「なんなんだよ!」


 絞り出すように、ひねり出すように、怒りに震えながら。

 私は進の胸ぐらをつかんで体を起こさせ、さっきは見られなかった彼の淀んだ瞳を正面から射抜く。


 自分の怒りがどこから湧き出ているのかはわからない。


 ふぬけている進の姿に腹が立っているのか。


 あるいは、私を選ばなかったくせして、羽根さんからすぐに引き下がろうとする彼に対しての逆恨みからなのか。


 わからない。


 だけど、この怒りを我慢できそうにはなかった。


「それくらいなんだ! そんな理由で、お前は諦めるのか! 聞いてりゃお互いにまだ本音で話してないんだろ? だったら、全部てめえの妄想じゃねえか! 違うのか!」


「……」


「好きなら、まだ好きって貴音本人にちゃんと言えばいいだろうが! 全部自分の本心伝えてみればいいだろうが! それすらしないで、かっこつけて引き下がってんじゃねえよ!」


「――もう無理なんだよ!」


 ようやく、進は叫んだ。

 がんじがらめになっていた鎖を引きちぎり、雄叫びを上げるように。


「あの時、言葉が出なかった! 別れようって言われて、なにかを考える頭がどっかに行った! 伝えたい言葉があったのに、ちゃんと話し合いたかったのに、なにも言えなかったんだよ!」


「じゃあ、今からそれを言えばいいだろうが!」


「今更言えるわけないだろ!」


「つまらねえプライドに縋ってためらってんじゃねえよ! お互い時間を置いて頭冷やした方が話しやすいことだってあるだろうが!」


「それでも、駄目なんだよ!」


「なんでだ! 意味分かんねえよ! なにがそんなにお前を、頑なにさせてんだ!」


「聞いちゃったんだよ……!」


「……なにを」


「もうこれ以上付き合えないって……冷めちゃったって……疲れた声で話してたんだよ……!」


「――」


「貴音は、僕が苦しめたみたいなものなんだ……」




『――今までぐだぐだ付き合ってきてたのが、意味わかんなくなっちゃってさ』


『――なんで私、彼と付き合ってるんだろって考え出したら、止まらなくなっちゃって』


『――最後に楽しいって思ったのも、いつか思い出せなくなっちゃったし』


『――もう付き合ってる意味なんてないかなって』


『――冷めちゃったんだよ、正直に言って』


『――もう、無理なんだ。疲れちゃって……』




 私は、進の濁り切った目を、再び見つめる。動揺と、驚きをもって。


 それを計らずも聞いてしまった進は、一体どんな気持ちだったのだろう。


 悲しみか、諦めか、もしくは自分に対する嘲りか。


 しかし、進はきっと……ほっとしていたのだろうと私は思った。


 これで終れると。


 これ以上苦しめずに済むと。


 これ以上苦しまずに済むと。


 でも、それでも。これだけ進が弱っているということは……。

 芯のところでは、どうしたって彼女のことが好きだったのだろう――。


「……急に、どうしたの?」


「……なんとなく、な」


 進の胸ぐらをつかんでいた手は、両手とも彼の背中に回されていた。

 頼りなく見えるけれど、がっしりとした体だ。 私はぎゅっと力を込める。


「…………悪い」


「えっと、なにが?」


「いや、その……知らずに、勝手なこと言ってさ」


「別にいいよ……僕も、目一杯叫べて、スッキリしたし……ありがと、優樹。なんか、しがらみから解かれた気分だよ」


 進も、私の背中に手を回し、ぎゅっと体を抱きしめた。その腕の感触に、私はさらにぎゅっと抱きつく力を強めた。


「……なあ、なんで進も抱きしめるの?」


「え、駄目だった?」


「駄目じゃないけど――いや、違うな。……嬉しいよ」


「は――」


 私の素直な気持ちに、進が驚いているのがわかった。顔を見なくても、彼が混乱しているのが伝わってくる。


「う、嬉しいってなんで……というか、急にどうしてそんな……?」


「いや、さ。進の話を聞いてたら、私もちゃんと、素直な気持ちを進に伝えなきゃなって思って……」


「そ、それは恋人ならって話で……別に誰に対しても素直になれって言ってるわけじゃ……」


「はあ……おい、ちょっと放してくれ」


「え? ああ、うん」


 私に応じて、進は抱きしめていた腕を離した。私も腕をほどき、進の顔を見上げる。


「それで、一体どうし――」


 塞いだ。


 なにも言えないように、塞いでやった。


 私の初めてで。


 彼の唇からそっと離れる。

 改めて見た進の顔は、笑ってしまうくらいに真っ赤になっていた。驚いて唇に手を当ててしまってもいる。


「ぷっ、あははっ」


「――あ、『あはは』じゃないよ! と、突然キス……なんてしてきて、どういうつもりなんだ!?」


「どういうつもりって、そういうつもりなんだよ」


「は、はあ!?」


 ああ、やっぱり進といるととても楽しい。

 それに、さっきみたいに死んだようになった進よりも、いつもみたいに軽口を叩きあえる進の方がよっぽどいい。


 私は、進が好きだ。


 こうして、弱気なところにつけ込んでやりたくなるくらい。


 こうして、気に入らないことがあれば怒ってやりたくなるくらい。


 こうして、片恋しているのにもかかわらず、彼女と別れたことを喜びもせずに彼と一緒につらくなってしまうくらい。


「それくらい察しろよ。いつもは、私がツンってしても察してるくせに。……それくらいのスキルがないと、彼女なんて持つの一生無理だぞ」


「う……た、確かにそうだけども、今はその話をしたいんじゃなくて!」


「本心で語り合うのは大切かもしれないけど、秘密の一つや二つは許してやる器が必要だぞ?」


「うん、まあ……って、だからそうじゃなくて! 優樹、まさかお前僕のこと――」


「さあ?」


「さあってなんだよ、さあって!」


 私は、進が好きだ。


 この、恋愛下手が好きだ。


 喧嘩もするし、嫌に思うこともあるけれど。

 この世界で一番心が通じ合っている。




 あなたが、好きだ。

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