第105話

 ……今、こいつは何をほざいたのだろうか。

 あまりにも突飛な提案すぎて、俺の処理能力が追い付かない。


「あー……すまんが、リリス。もう一度言ってもらえるか? ちょっと、俺の耳が遠くなったみたいだ」

「あらあら、カーミラっちほど長く生きてないのに老けすぎじゃない?」

「おい」


 クスクスと笑うリリスに対し、何故か巻き込まれた師匠がジロリと睨みながらツッコミを入れる。


「だからー、ムクロっちが私にキスしてくれればー、ここは退いてあげるーみたいなー?」

「何でだよ!」


 理不尽な要求もそうだが、リリスの腹立つ喋り方も相まって苛立っていた俺は思わず声を荒げる。


「つーか、一体どんな因果関係があってそんな結論になったんだよ」

「じ・つ・はー、私ね……初めて会った時からムクロっちが好きだったの……。だから、ムクロっちがキスしてくれたら、何でもいう事聞いちゃいそう……かな?」


 聞きたくなかったそんな事実!

 くそ、美女ならともかくなんでこんな色物魔人に好かれなければならんのだ!

 それだけならまだしも、キス……だとぅ!?

 ふざけんのも大概にしやがれってんだ馬鹿野郎!


「ムクロ……」


 俺が心の淵から湧き上がる怒りに打ち震えていると、渋いおっさんになった師匠が憐憫の視線でこちらを見ながら肩に手を置いてくる。


「お前の犠牲は忘れないぞ……」

「キス確定ですか!?」


 まさかの裏切りである。

 

「お兄ちゃん、犬に噛まれたと思って諦めよ?」


 アグナまで!

 くそ、俺に味方は居ないのか?

 レムレス……は、リリスによって深い眠りについてしまっているから話は聞けない。

 もっとも、レムレスなら無表情のまま「さぁ、ブチュッと行きましょう。舌とか絡めて絡めて」とか言いそうではあるが。


「そうだ、ディオン! お前は、俺の味方だよな!」


 俺がディオンの方を向いて叫ぶと、彼女はフイッと視線を逸らす。


「あ、愛の形は人それぞれだし……頭ごなしに否定するのは良くないよ……」

「お前ひとりの犠牲で、全てが救われるんだ。男らしくいけって!」

「ムクロさん……貴方の雄姿、しかと目に焼き付けます」

「わ、私、目をつぶってますね……!」


 ディオン、ファブリス、ジル、イニャスの順番でそんな事を口々に言う。

 つうか、ジル。目に焼き付けなくていいから助けてくれよ。

 どいつもこいつもオランダも! 他人事だと思って、傍観しやがって。


「さぁ、ムクロっち……答えを聞かせてもらおうじゃないの」


 俺が薄情者達に恨みの念を送っていると、リリスが話しかけてくる。


「他の奴らじゃダメなのか? ほら、特に師匠とか渋くていいと思うのだが」

「おい、ムクロ! 師匠を売るとはどういう了見だ!」

「シャラップ! 最初に俺を売ったのは師匠でしょうが! ここは、師匠らしく男らしいとこ見せてくださいよ!」

「私は女だ馬鹿者!」

「今は男でしょうが!」


 俺と師匠は、困惑する皆を置いてけぼりにしギャーギャーと盛大に口喧嘩をする。


「あんもう、ほらほら! 二人共喧嘩しちゃだめよ? 私の為に争わないで、仲良くしましょう?」


 やかましく口喧嘩をする俺達を見てリリスが困った顔をしながら近づいてくる。


「――と」

「見せかけて!」

「「死にさらせぇ!」」


 俺と師匠は同時に目を光らせると、リリスに向かって攻撃を放つ。

 師匠は黒く巨大な槍を力一杯に投擲し、俺は可能な限り密度を高くした闇の矢をリリスの顔面めがけて放つ。


「はぶぅ!?」


 流石に油断していたのか、俺と師匠の攻撃をまともに受けたリリスは勢いよく吹き飛ばされる。

 そして、城の壁に叩きつけられるとそのまま瓦礫の山に埋もれた。


「へ、どーだリリス。俺と師匠の愛と友情のツープラトンは」

「どこに愛と友情があったんだ、どこに」


 自慢げに言う俺に対し、ジト目の師匠が無粋なツッコミを入れてくる。

 できればそこは乗っておいてほしかった。

 まったく、師匠はノリが悪いんだから。


「き、君達は喧嘩をしてたんじゃないのかい?」


 目の前の光景に呆然としていたディオンは、そんな事を尋ねてきた。


「俺と師匠が喧嘩? ははは、そんな事あるわけないじゃないか。あくまで、リリスのアホタレを油断させる作戦だったんだよ」


 事実、リリスはまんまと騙されていた。


「お兄ちゃん、いつそんな打ち合わせしてたの?」

「そうですよ。ここに来るまでにそのような打ち合わせはしてなかったと思うのですが……」


 俺の説明に対し、アグナとジルが疑問の声をあげる。


「……ふ、俺と師匠くらいになるとアイコンタクトで伝わるものなんだよ」


 仮にも師弟関係なのだ。それくらいは造作もない事である。


「なんか、次元が違うな」

「ですぅ……」


 ファブリスとイニャスは、なんだか呆れたような口調でそう言う。


「ふ、ふふふ……やるじゃなぁい。二人共。流石にちょっとびっくりしちゃったわぁ」


 リリスの声が聞こえたので、瓦礫の山の方を向けばほぼ無傷なリリスが這い出てくるところだった。


「ちっ……相変わらず頑丈だな」


 リリスの様子を見て、師匠は不機嫌そうに舌打ちをする。

 俺が七罪一の紙装甲ならば、リリスは七罪一の鉄壁。

 頑丈さだけならピカイチである。


「……いっその事、虚無なる寙ブラック・ホールで吸い込んでしまおうか」


 いくら防御が堅いとはいえ、安心と信頼の虚無なる寙ブラック・ホール先輩に掛かれば、たちどころに奴を吸い込んで、平和が訪れる事だろう。


「それはやめとけ。奴がかけた呪いは奴にしか解けんからな。なんとか、奴に自主的に呪いを解除させるしかあるまい」


 だよなぁ……。

 くそ、だからこいつには会いたくなかったんだ。限りなく面倒くさいから。

 面倒くささだけなら、あのリュウホウすらも凌駕する。

 リュウホウはウザいだけだから、まだ我慢できるしな。

 それにしても、割と本気で攻撃したのだが全然効いている様子が無いな。

 前会った時よりも耐久力上がってるんじゃないのか?


「……ふふ、上がっているのは耐久力だけじゃないわよ?」

「何っ!?」


 まるで俺の心を見透かしたようなセリフを吐いたリリスは、いつの間にか俺の背後に立っていた。


「タマモっちから力を貰ってね、新しい能力に目覚めたの」


 ウェルミス達も授かったって言う能力か。

 確かに、同じ幹部ならリリスも貰っていても不思議はない。


「私の貰った能力はね、攻撃を受ければ受けるほど身体能力が上がる能力よ」


 何その、ドM御用達能力!?


「さぁ、覚悟なさい」

「く、は、離せ!」


 本能的に危険を察知し逃げようとするも時すでにお寿司。もとい遅し。

 俺は両腕を掴まれてしまい逃げることができなかった。

 ならば……。


「師匠、俺の額の石を壊してください!」


 一度死んで逃げようと思い、俺は師匠に向かって叫ぶ。


「あら、そんな事させないわよ?」


 俺の言葉を聞いたリリスが、師匠から死角になるように俺に覆いかぶさる。

 うわぁ、近い近い!

 見た目に反して、無駄に甘ったるい匂いが漂ってきて俺の頭が異常反応を起こしている。


「さぁ……私と熱いベーゼを交わしましょう?」

「だ、誰か助け……ボスケテ!」


 俺が周りを見渡しながら助けを求めると、全員こちらを見ないように顔を背けている。


「さぁ……ムクロっち……」


 俺の抵抗虚しく、奴の分厚い唇が徐々に迫ってくる。


「や、やめ……アッー!」


 領主の城の中で、俺の悲痛な叫びが響き渡るのだった。

 ……もうお婿にいけない。

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