第106話
――パキン。
ガラスが割れるような音が辺りに響く。
――パキン。
また一つ割れる。
――パキン、パキン。
割れる音は断続的に響いていた。
パキン、パキン……パキパキパキッ!
断続的に響いていた割れる音は、やがて凄まじい速度で何度も、何度も何度も響き始める。
「……ムクロ君、大丈夫かい?」
あまりの光景に見かねたディオンが、遠慮がちに尋ねてくる。
「あんまり、だいじょばないかもしれない」
そう答える間にも、パキンとまた割れる。
「うっふふ~、念願のムクロっちとのキ・ス! 私、幸せ!」
あ、また割れた。
抵抗虚しく、リリスにまんまと唇を奪われてしまった俺は、計り知れないほどの精神的ダメージを受けている。
……大体予想はついていると思うが、あえて言わせてもらおう。
先程から辺りに響く何かが割れる音……それは、俺の額の宝玉である。
俺の核であるそれが砕ければ、当然俺も死んでストックを消費してしまう。
リリスとのあのおぞましいイベントのせいで、俺はかれこれ二桁は死んでいる。
短時間に死に過ぎて、三十から先は数えていない。
――それだけ、あいつとのキスはおぞましいものだったのだ。
「おら、リリス。約束は果たしたんだから、さっさと呪いを解除して出ていくがいい」
俺が死の連鎖から抜け出せていない間、師匠が口を開く。
「もちろんよん♪ うふふ、ムクロっちとのキスだけで一週間は何も食べなくても平気だわ」
リリスは、熱に浮かされたような恋する乙女の表情で顔を赤らめながらそう言う。
……これが俺好みの美女ないし美少女ならば、大変男冥利に尽きるセリフなのだが……いかんせん、セリフを吐いたのがリリスの為にまったく嬉しくない。
「さて、それじゃあ約束通り呪いは解除してあげるわ」
「わぷっ!?」
リリスがパチンと指を鳴らせば、ディオン達は煙に包まれる。
そして、再び姿を現した時には元の姿に戻っていた。……ディオンは全く変わっていないが。
特に胸の部分。
「ふふ、これで皆元通りのはずよ?」
「元通りだと? ふざけるな!」
リリスの言葉にディオンが反論する。
まぁ、男だった間の事は記憶が無くなる訳じゃないし精神的ダメージは残ったままだから元通りではないわな。
「ボクの胸が無いままじゃないか!」
ディオン……君の胸は元から無いんだよ……。
う、目が無いはずなのに目頭が熱く……!
「うふふ、ごめんなさぁい。ナイチチちゃんの胸を大きくするって言うのは私にはできないのよ」
「ナイ……っ」
「もっとも、男にして大胸筋を膨らませるって意味ならある意味大きくできるけどね」
リリスは、ディオンの方を見ながらからかうように笑う。
「ふざ……」
「さて、私はさっさと逃げさせてもらうわね? 機会があればまた会いましょっ」
ディオンの言葉を途中で遮ったリリスはそう言うと、俺達が止める間もなく姿を消すのだった。
「ちっ、逃げ足の速い奴め……タマモのアホタレの居場所を聞き出そうと思ったのに」
あっという間に姿を消したリリスを見て、師匠は忌々し気に呟くのだった。
◆
「本当に……本当に感謝する……っ。貴殿らが来てくれなければ、我々はどうなっていた事か……」
「ワシらは別に助けようと思って助けたわけではない。礼ならディオン達に言うがいい」
あの後、リリスが去った事で捕まっていた人たちも解放した俺達は領主に呼び出され、直々にお礼を言われていた。
ていうか、なんだか師匠の手柄みたいな風になっているが、実際は俺が多大なる犠牲と引き換えにしたという事をしっかりと心に刻んでほしい。
とはいえ、それをわざわざ言ったりはしないが。
何故なら面倒だから!
領主とのやりとりは師匠達に任せて、俺はバルコニーの方へと向かう。
「……はぁ」
バルコニーの縁で頬杖を突きながら俺は静かに黄昏れる。
眼下に広がる街では、住民たちがお互いに抱き合って喜んでいる。
やはり、リリスの呪いで男化していたのか、今は女性があちこちにいる。
……まさか、七罪の一人であるリリスがタマモ側につくなんてな。
今まで出会った奴らは全員、タマモについていなかったのですっかり油断していた。
元々、七罪は自分勝手な奴らの集まりではあったが、人間達側に必要以上の干渉をしないと決めていたのでタマモにつくというのが信じられなかった。
「あいつは……どうなのかな」
今まで出会ったのはタマモを除いて四人。まだ、最後の一人に出会えていない。
どこでどうしているのかは分からないが、奴までタマモ側についていたらどうしようか。
相性などはあるが、基本的に七罪の戦闘力は全員似たような感じである。
もし、タマモ側に七罪が三人居るとなると、少々厄介な事になる。
「あいつとは、誰の事でしょうか?」
「……レムレス」
後ろから声を掛けられたのでそちらを見れば、どこか仏頂面のレムレスが立っていた。
「話は聞きました。私が寝ている間にリリスさんと浮気をしたそうですね」
「いや浮気じゃねーし」
一体、どういう風に話を聞けばあいつと浮気をしたという事になるのだろうか。
そもそも、俺には恋人とか居ないから浮気でも何でもないのだが。
「浮気ですよ浮気。私という大正妻が居ながら他の方とキスをするなんて万死に値します。だから死んでください」
「死なねーわ。つーか、いつお前が大正妻になったんだよ」
普通に初耳だっつうの。
「おかしいですね。私の記憶だと、マスターと出会った時から私はマスターの正妻のはずなんですが」
「その記憶は大幅に改ざんされていると思うんだけど」
ていうか、レムレスは一体どうしたんだ?
いつもに比べて、ずいぶんそっち方面でぐいぐい来るな。
「……マスター」
「うん?」
「マスターは、リリスさんとキスをして……嬉しかったですか?」
「君は一体何を言っているのかな? 嬉しいわけないだろうが、馬鹿ちんが」
奴とのキスのせいで俺が何回死んだと思ってるんだ。
可能なら、今すぐにでもこの記憶を抹消したいくらいである。
「……では、マスター。もし……もし、よろしければ……」
レムレスは真剣なまなざしをこちらに向けながら、ゆっくり近づいてくる。
「レ、レムレス?」
俺は、レムレスの知らない表情を見て少し後ずさる。
やがて、彼女の顔が俺の眼前へと迫ってきて、唇と唇が触れそうに――。
「あぼぁっ!?」
「きゃっ」
瞬間、俺の頭が爆発した。
「な、何事ですか?」
「あーあーあー、やだやだやだ! 甘酸っぱい空気に引き寄せられて見れば、知人のラブシーンとか、ホント妬ましいですわぁ……あまりにも妬ましいから爆発させてやりましたわ」
「……貴女、何者ですか?」
俺がすぐさま復活すると、レムレスが闖入者と対峙しているところだった。
闖入者はバルコニーの縁に立っていた。
金髪碧眼で、髪の毛は腰まで伸び、所謂姫カット。髪の毛の間からは二本の捻じれた角が生えている。
服装は、この世界でも珍しい花柄の和服を着ていた。
金髪に和服というこれ以上ないくらいのミスマッチではあるが、不思議と彼女によく似合っていた。
綺麗な瞳の下には酷いクマが出来ており、体からは全てを妬む様な負のオーラが漂っている。
「……レヴィアータ」
「お知り合いですか? マスター」
レムレスの言葉に、俺はコクリと頷く。
まさに、先程俺が心配していた人物である。
流石にこんなすぐに会えるのは予想外ではあったが。
「奴は、俺達七罪の最後の一人……
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