第76話

 ふかふかのベッドに体を沈め、お日様の香りがする枕に顔をうずめ惰眠を貪る。

 カーテンの隙間から日の光が漏れ、目覚まし時計がけたたましい音を鳴らして朝を知らせるが、睡眠欲の方が勝ちベッドから抜けれないでいる。

 起きなければとは思うが、布団が俺を解放してくれようとしない。

 これは、俺が悪いのではない。気持ち良すぎる布団がいけないのだ。

 ……ああ、このまま時間が止まれば永遠に寝ていられるのに。

 そう願うが、神様はどうやら認めてくれなかったようだ。


「お兄ちゃん! 朝だよ、起きて!」

「椋郎兄様……起きて」


 ガチャリと扉が勢いよく開け放たれ、二つの物体が俺の体にのしかかる。


「ぐべふ!?」


 当然、完全に弛緩しきっていた俺は、その衝撃をモロに受ける事となる。


「お前ら……」


 俺は、自分の体の上に乗っている二人の人物を恨めしそうに睨む。


「お兄ちゃん、起きた? 学校行く時間だよ!」


 目が覚めた俺を見て、一人が無邪気な笑みを浮かべて朝から元気いっぱいといった様子でそう言う。

 俺の二人の妹の内の一人、明久奈あくなだ。


「椋郎兄様は……いつもお寝坊さんだから、こうしないと起きないから」


 そしてもう一人の妹、亜卯良あうらもそう言う。

 

「……分かった分かった。ほら、起きるからさっさとどいてくれ……」


 可愛い妹二人に起こされてしまっては、俺もいつまでも寝てるわけには行かない。

 素直にその場から動く妹二人を見ながら、俺は勢いよく起き上がる。

 え? シスコンですがなにか?

 妹の為なら、俺は何だってできるさ。

 

 俺の名前は鹿羽 椋郎しかばね むくろう。ルックスは中の中、学校の成績も平凡街道真っ只中の普通の高校生である。

 

「じゃあ、俺は着替えるからお前達は、先に下に行っててくれ」

「はーい!」

「わかった」


 俺の言葉に、二人はコクンと頷くとパタパタと騒がしく階段を降りていく。

 まったく……二人共可愛いなぁ!

 あの二人ならば目に入れても可愛くない。もし、彼女達に彼氏が出来たら、俺は死んでしまう自信がある。


「……さて、馬鹿な事考えてないでさっさと着替えるか」


 朝食を食べる時間を考えると、これ以上遅くなれば遅刻確定である。

 毎日学校に行くのは面倒だが、俺は親に養ってもらっている身。

 学費を出してもらっているのだから行かないわけにもいくまい。


「……憂鬱だ。何で学校なんてあるんだろうか」


 俺は盛大に溜め息を吐きながらポツリと呟く。

 ……とまぁ、そんな日課の愚痴をぼやきながら着替えが終わった俺は、飯を食べる為階段を降りて居間へと向かう。


「ふわ……あ、おはよう母さん」

「おはよう、相変わらず寝坊助さんね。もう高校生なんだからしっかり起きれるようになりなさいな」


 あいさつをしながら居間に来ると、母さんが困ったような表情を浮かべながらそう言う。


「そういう文句は布団に言ってよ。あいつが俺を離すまいと誘惑してくるんだから」

「はは、中二乙」


 俺が弁解をしていると、席についてちゃっかり朝食を食べている少女がツッコミを入れてくる。

 眠そうな半眼で無表情だが美少女とも言える顔立ちで、俺と同じ学校の女子の制服を着た彼女の名前は――


「レム……お前は何で、俺の家で飯を食ってるんだ」

「もがむごまぐ」

「飲みこんでから話せよ」


 行儀悪いな、もう。


「んぐ……。あなたのお母様に誘われたからだけど?」

「母さん……」

「あら、別にいいじゃないの今更。レムちゃんは幼馴染なんだから。ねー?」

「ねー?」


 母さんとレムがお互いに「ねー?」と言い合う。

 レムはともかく、母さんはもう良い年なんだからそういう子供っぽい行動は本当に辞めて欲しい。

 

 ……そして、非常に認めたくはないが目の前で当たり前のように朝食を食べている少女レムは――俺の幼馴染である。

 しかも、隣同士というラブコメかよとツッコみたくなる状況だ。


「それに椋郎。あなた、私が迎えに来ないとすぐにサボろうとするじゃない」

「……ソンナコトナイヨ?」

「こっち見て話しなさい」


 レムがジーッと睨みながらそう言うので、俺はひたすら目を合わせないようにしながら朝食を食べる。


「それじゃ、行ってきまーす!」

「いってきます」


 先に朝食を食べ終えた明久奈と亜卯良がランドセルを背負って玄関へと向かう。

 二人は小学生で、うちの区の小学校は高校よりも登校が早いのでもう出発しなければならないのだ。


「二人共、車には気を付けろよー」

「もう! 分かってるよ、お兄ちゃん!」

「レムお姉ちゃん。帰ってきたら、遊ぼうね」

「はい、遊びましょうね」


 四人でそんなやりとりをした後、二人は元気よく登校していく。

 俺とは相性が悪いレムだが、どういうわけだかうちの妹二人とは仲が良いのだ。

 

 ……さて、俺もさっさと準備をしなければ。



「それじゃ、母さん。行ってくるよ」

「はいはい、いってらっしゃい。弁当は持った?」

「持った持った」

「そう。じゃあ、レムちゃん。うちの椋郎をしっかり見といてね」

「お任せください。お義母様」

「いや、なんでレムに頼むんだよ」


 しかも、レムのお母様が何か意味合いが違って聞こえたし。


「だって、あんたったらレムちゃんが居ないと何にも出来ないじゃない」


 出来ないんじゃないんだよ、やろうとしないんだよ。

 やれば出来る子って昔から言われてるんだからな、俺は。


「……まあいいや。ほら、レム。さっさと行くぞ」

「はいはい」


 レムは呆れたようにそう言うと、俺の後に続いて玄関を出る。


「……今日も良い天気ね」

「そうだな」


 眩しいくらいの快晴で、あちこちでは他の登校中の生徒が歩いている。

 いつもと変わらない……そう、毎日経験している・・・・・・・・日常だ。

 平和で、モンスターも居ないごく平凡な日常。

 

「……あれ?」

「どうかしたの?」

「あ、いや何でもない」


 俺が素っ頓狂な声をあげると、レムが不思議そうな顔をしながら尋ねてくる。

 が、俺はすぐに首を横に振り誤魔化す。

 

(……俺、なんでモンスターも居ないなんて思ったんだろうか?)


 日本にそんなのが居るはずもないのに。

 そんなのが居るのは漫画やアニメ、ゲームなどの創作の中だけだ。

 

「……変なマスター」


 俺の様子にレム〇§は……おかしそうにクスリと笑う。


「マスター? 今、……俺の事マスターとか言った?」

「え? 今、そんな事言ったかしら? 何、椋郎は女の子にご主人様とか呼ばれたい願望でもあるの? 変態なの? 死ねば?」

「ちょっと聞き間違えただけなのに辛辣すぎやしませんかね?」

「どう聞き間違えたら、マスターって聞こえるのよ」


 確かにそうだが、それでも言い方ってものを少しは考えて欲しい。

 俺でなければ、とっくに心が折れているだろう。

 

 外見だけは良いレムは非常にモテる。

 だが、その外見とは裏腹にその可愛らしい口から放たれる毒舌に心を折られた可哀そうな子羊達は後を絶たない。

 そして、ついたあだ名が『氷の女王』。

 なんとも中二チックでうらやま……じゃなかった、そんなあだ名を付けられるなんて可哀そうな奴である。

 その後も、俺達は他愛ない会話をしながら学校へと向かう。



「お、二人共朝から一緒に登校とは、相変わらず仲良いねぇ」


 昇降口で俺達のクラスメイトである男子がニヤニヤしながら話しかけてくる。


「これが仲良く見えるなら、お前は眼球を取り換えた方が良いぞ」

「えぐいっつーの」


 そんな会話をしながら、俺達は靴を履き替え教室へと向かう。

 そしていつも通り、退屈な授業をこなし学校が終わる。

 俺は面倒な事は基本したくないので帰宅部だ。

 レムは家庭科部に入っているので、帰りは基本一人になる。

 なんで家庭科部に入ったか聞いたら、花嫁修業の為なんだそうだ。

 冗談だと思って笑い飛ばしたら、思いっきりぶっ飛ばされたのはいい思い出である。いや、良くはないけど……普通に痛かったし。


「それじゃ、椋郎。私は部活に行くから寄り道しないで、ちゃんとまっすぐ帰るのよ」

「お前は俺のかーちゃんか」

 

 などといつも通りの会話をしながら俺達は別れる。

 ……そう、いつも通りのはずだ。

 毎日、似たような会話をしている。基本辛辣なレムであるが、俺はそんな彼女との会話が結構好きだったりする。

 ……これを言うとレムに殴られそうだから内緒だがな。


 俺は、これからもぬるく平和なこの日常を繰り返す。

 そう……いつまでもいつまでも。

 だけど。

 ……だけど、何かを忘れている。何を忘れたのかは思い出せないが、とても大事な事だったような気がする。

 思い出そうとすると、頭の中に霧でも掛かったかのように途端に思い出せなくなる。

 それが非常にもどかしく、具合が悪くなってくるようにも錯覚してしまう。


「……ちゃん」


 不意に誰かに呼ばれたような気がするが、見渡しても誰も居ない。

 しかし、何故かその声を聞いた瞬間少しだけ霧が晴れたような感覚が訪れる。


「ム……ちゃん」


 まただ。また聞こえた。


「俺を呼ぶのは誰だ? どこに居るんだ?」


 声を掛けるが誰も答えない。

 ……幻聴が聞こえるなんて、疲れてるんだろうか。

 学校に通うなんていう重労働を毎日こなしてるのだから、疲れているのは当然の話ではあるが。


「ん……?」


 俺が帰ろうと思った時、足元に何かが居るのに気付く。

 

「白蛇?」


 そう。それは、とても綺麗な白蛇だった。

 大きさで言えば、青大将くらいか。

 こんなコンクリートだらけの所に蛇が居るなんて珍しい。


「……」


 俺は爬虫類は苦手な部類だったが、不思議と目の前の蛇には親近感というか以前から知ってるというかそんな思いに駆られる。

 しばらくお互いに見つめ合っていると、白蛇はまるで俺について来いと言わんばかりに移動を始める。


「俺について来いって言ってるのか?」


 白蛇は言葉こそ発しないが、頷いたような気がした。

 俺は、まるで彼女・・に導かれるように歩き続ける。

 周りの風景が、段々白くなっていき……やがて真っ白な空間へと変わる。

 しかし、俺はそんな状況にも慌てることなく白蛇を追いかける。

 

「おい、どこまで行くんだよ」


 白蛇に話しかけるが、彼女はこちらを見向きもせずひたすら前へ前へと進む。

 ここまで来たら、どこまで行くのか気になった俺は黙ってそのままついて行くことにする。

 ……それからどれくらい経っただろうか。

 俺は、段々と眠気が押し寄せてきていた。

 もはや立っているのも苦痛で、今がどこに居るかもお構いなしに地面に寝そべってしまう。

 蛇もいつの間にか居なくなってしまっていた。


「はは……なんだか眠いや……ボクもう疲れたよ」


 ルーベンスの絵を見た少年のような事を言いながら、俺はそのまま襲い来る眠気に身をゆだね意識を手放すのだった。

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