第17話
「てりゃああああああ~!」
ファストの街の少し外れた丘の上にある屋敷。
そこで今、何とも気の抜けるような声と共に轟音が唸る。
「ちっ、こいつら雑魚の癖に数だけは居やがるな」
弓を構えた中性的な見た目の女……ファブリスが忌々しげに吐き捨てる。
先程の気の抜けるような声を発したイニャスが、敵を巨大な斧で薙ぎ払ってるのだが、減っては増え、減っては増えてを繰り返しており、一向に数が減らない。
おかげで、結構な時間をその場に留められてしまっていた。
「まずいですね……こんな所で足止めされていては、儀式に間に合わなくなってしまいます」
「だからって、焦ってはダメだ。そうなれば奴らに隙を突かれ、負わなくていいダメージを負ってしまう」
焦るジルに対し、リーダーであるディオンは敵に対処しながら冷静に言い放つ。
ディオン達は、王都でとある依頼を受けてファストの街までやってきていた。
裏の世界を統べる巨大な組織である彼らが、何やら不穏な儀式をこの街で行うと聞き、一等級冒険者であるディオン率いる
そして、正確な日時と場所を調べた彼女達は、こうして阻止しに来たのだが、当然敵達も警戒しており、こうして数で対抗されてしまっているのだ。
いくら、一騎当千の実力を持つ彼女達でも、満足に動けない室内で数に攻め込まれてしまえば対応するだけで精一杯になってしまう。
このままでは、儀式を阻止できない。
そうした焦りが、少しずつ彼女達の精神を蝕んでいく。
「なーんだ、あいつかと思ったら違う奴らかよ」
「誰だ!」
突如聞こえてきた声に、彼女達は一斉に声がした方へと向く。
すると、まるでモーゼの十戒のように敵が左右に分かれると奥から金色の髪を肩で切り揃えた十二、三歳くらいの少年が歩いてくる。
手足には黒い呪印のようなものが刻まれており、禍々しい雰囲気を放っていた。
「……子供?」
「油断しないでください。こんな所に居るんです。ただの子供ではないでしょう」
少年を見て、少し拍子抜けしたファブリスを戒めるようにジルが言う。
「……君は、一体何者だ?」
ディオンが剣を少年に向け、警戒しながら尋ねる。
ディオン自身は、少年が只者じゃないと早くに察知していたからこその行動だ。
気を抜けばやられる。それがディオンの感想だった。
後ろに控えているイニャスも斧を構えていつでも動けるように待機している。
「たくよー、せーっかくあいつの為に舞台を整えてやったって言うのに……この呪いのお礼もしたかったですのに、非常に残念ですわ」
「なっ!?」
問いには答えないで、少年は歩きながら喋っており、柱の陰に一瞬隠れたかと思えば、豪奢なドレスに身を包んだ銀髪の令嬢の姿に変わっていた。
喋り方だけではなく、纏う雰囲気まで完全に別人になっていたため、
「ねえ、貴女達は一体何者? ここへ何しにいらしたの?」
両手に刻まれた呪印を眺めながら尋ねる先程まで少年だった人物にディオンが答える。
「ボク達は、
「投降……ですの?」
「ああ、そうだ。てめーが男か女かは分かんねーが……投降するってのなら手荒には扱わねえ。だが、抵抗するなら遠慮なくぶちのめす」
コテンと首を傾げる女に対し、ファブリスは矢をつがえながら警告する。
抵抗の意思を見せたら、すぐに射抜けるように。
「……ふ、ふふふふ……あはははははは! あーおかしい! 貴女達が私達に勝てると思っているんですの? ……ホント、現実を理解できないって可哀そうですよね」
「っ! また、姿が変わりましたね」
「い、一体……いくつ姿があるんですかぁ」
今度は十五歳位の少女の姿になった目の前の人物に、再び驚愕するジルとイニャス。
今度の姿は、肩より少し長い程度の青い髪に金色の目の優しげな少女だった。
雰囲気も柔らかくはなったが、両腕の呪印だけは変わらずにいる為、不気味さを感じさせる。
「ああもう、本当に忌々しいですね、これ。どんな姿になっても、隠せないんですもん」
両腕の呪印を眺めながら、少女は忌々しげにつぶやく。
「もう一度問おう……一体何者なんだ」
ディオンは、背中にじわりと汗を掻きながら先程無視をされた質問を再度投げかける。
「……ああ、すみません。名乗るのを忘れてましたね。私の名前はナナフシ。
ナナフシは、そう名乗るとペコリと丁寧に頭を下げる。
「――そして、さようなら」
「え?」
ナナフシの言葉を合図にしたかのように、隣に立っていたファブリスがぐらりと地面に倒れ込むのを見て、ディオンは信じられないという顔をする。
そして、時間差で倒れた何かを見て更に驚愕することになる。
最初に倒れたのはファブリスの“上半身”。時間差で倒れたのは“下半身”だった。
まるで何か強力な酸でも掛けられたかのように切断面がドロリと溶けていた。
「ディオン! 後ろです!」
「っ!」
あまりの出来事に一瞬呆けていたディオンだが、ジルの言葉ですぐに我に返り、自身の持っていた剣を後ろに向かって斬りつける。
しかし、その剣は相手を傷つけることは無かった。
なぜなら、白く輝く刀身は見るも無残に溶けていたからだ。
「まったく、いきなり斬りつけてくるなんて物騒な奴だ」
そこには、大柄な体躯の男が立っていた。
ボンレスという偽名を名乗っていた男である。
「一人不意打ちで殺しておいて何を言ってるんですか、バイルさん」
「おっと、それもそうだな。では、これでおあいこという訳だ」
バイルと呼ばれた男は、人を殺した直後とは思えないほどの自然体でそう言い放つ。
「フレア・ボ……」
「遅いな」
ジルがバイルに向かって炎属性の魔法を放とうとするが、見た目に似合わない驚異的な速度でバイルが距離を詰めると、目に見えぬ速度で手を払う。
「あがあああああ!? う、腕が!」
気づけば、ジルの右腕がまるで急激に腐ったかのようにボトリと地面に落ちる。
冒険者として痛みに慣れていたはずのジルであったが、例えようの無い異様な痛みに襲われ蹲る。
「え、えりゃあああああ!」
「無駄だ」
間髪入れずにイニャスが巨大な斧を振り下ろすが、バイルの手に触れた瞬間バターのように溶けてしまう。
先程のディオンの剣も、バイルが触れた事によって溶けたのだった。
「とりあえず、死んでおけ」
「ひぅ!?」
煩わしそうなバイルの声と共に、腕が一瞬掻き消える。
本能的に危機を察知し、間一髪でイニャスはその攻撃を避ける事が出来た。
しかし、完全に避ける事は出来ず兜の全面が溶けてしまい、ゴトリと地面に転がる。
兜が取れたことで、中からは水色のショートヘアに長い耳が露わになる。
「……ほお。エルフか」
イニャスの姿を見て、バイルは感心したように呟く。
エルフは、創作の類の例に漏れずこの世界でも美形の種族として有名だった。
イニャスは例外として、基本的に非力なエルフは、その昔エルフ狩りというものに遭い、今も奴隷として好事家達の間では価値が高い。
今でこそ、表向きはエルフ狩りは無くなったが、裏では今でも盛んである。
そう言った理由から、イニャスはフルプレートと素顔を隠していたのだ。
「へえ、エルフなら奴隷として高く売れますし、殺すのは勿体ないですよ、バイルさん」
「そうだな。おい、エルフ。死にたくなければ大人しくしていろ。もし動いたら
……今度こそ殺す」
「ひぐぅ……」
元来、気の弱いイニャスはバイルの恐ろしい雰囲気を感じ、何も言えずに縮こまってしまう。
「さて、暇が無くて名乗るのが遅れたな。俺はナナフシの仲間で
「
ようやく我に返ったディオンは、四方に一メートルほどの光の十字剣を召喚するとバイルに向かって放つ。
しかし、バイルは慌てることなく体を一回転させると、あろうことか全ての十字剣を溶かしてしまう。
「ば、馬鹿な……魔法を溶かすなんて聞いたことが無い……!」
「それは、貴女が物を知らないだけです。事実、溶かしたじゃないですか」
目の前の光景を見て、信じられないと叫ぶディオンに対し、ナナフシが淡々と答える。
「……そういう事だ。俺が扱うのはタダの毒じゃない。形ある物は当然だが、形無きもの……例え、魔法とて溶かす最強の滅毒だ。故に、俺に攻撃は一切通じない」
(有り得ない……! そんな毒、見たことも聞いたことも無い! しかし、こちらの攻撃が効かないというのも事実だ。ファブリスは即死……ジルも重傷負って、イニャスは戦意喪失。これは、撤退した方がよさそうだ)
分の悪すぎる状況に、ディオンはそう判断する。
ジルとイニャスは一緒に撤退できるとして、死んでしまったファブリスは連れていくことが出来ない。
非情だが、置いていくのが正解だとディオンは自分に言い聞かせる。
(……となると、ナナフシとやらの方から逃げる方がよさそうだな。奴は、先程から戦いに参加していない。先程、呪いと言っていたし、もしかしたら戦えないのかもしれない)
そう予想をつけたディオンは、刀身が半分残った剣を構えナナフシへと斬りかかる。
「な……っ」
しかし、斬りかかろうと振り返れば、そこには死んだはずのファブリスが笑顔で立っていた。
意表を突かれ、一瞬動きが止まってしまうティオン。そこへ、背中へ激痛が走る。
「ひゃはははは! こんな古典的な手に引っかかるなんて、一等級冒険者様も大したことないなぁ、おい!」
ファブリスに変身したナナフシが心底愉快そうに笑う。
「き、さま……よくも! あぐぅ……っ」
ナナフシを睨みつけるディオンだが、背中に走る激痛に顔を歪める。
後ろを振り向けば鎧が溶けており、背中が紫色に変色し爛れていた。
(くそ、バイルとやらの毒を喰らったか)
動こうとする度に、言いようの無い激痛が走り意識が飛びそうになるディオン。
一等級という立場に対して、あまりの情けない結果にディオンは思わず涙を流す。
「ひゃは! ひゃはははは! 泣いたよ、泣いちゃったよ! 一等級冒険者様もいっちょまえに女の子ですぅってかぁ!」
ディオンの姿を見た、ナナフシは彼女を踏みつけながら顔を歪めて煽る。
「よせ、ナナフシ。弱者を遊びでいたぶるのは感心せんぞ」
(ボクが……弱者……)
バイルの言葉に、ディオンはさらに惨めになる。
一等級冒険者として持て囃され、自分も他人に負ける気はしないと自負していた。
それがこの結果である。
正義が悪に屈してはならない。そう心に決めているディオンであるが、あまりの圧倒的な戦力差に、今その心が砕かれそうになっていた。
「誰か……誰でも良い……ボクを……ボク達を……助けてくれ」
その日、彼女は生まれて初めて誰かに助けを求めた。
昔から天賦の才で武力に優れていたディオンは、小さい頃から同年代の誰よりも強かった。
その力を正義の為に使おうと、これまで研鑽し続け弱音を吐いたことの無い彼女が、初めて心の底から助けを求めた。
「その願い、聞き届けよう」
そして、信心深く誰よりも清かった彼女の事を神は見捨てはしなかった。
突如、周りに居た敵達が黒い何かに呑みこまれ消滅し、残った敵はナナフシとバイルだけになった。
予想外の展開に思わず顔を見上げたディオンの視線の先には…………貧弱そうなスケルトンと無表情だが美しい赤毛のメイドが立っていた。
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