page4 最寄り駅

page4 最寄り駅

「次の電車、準急だってー」

 前を歩いていた茉緒先輩が、わたしたちを振り返り、わたしは慌てて笑顔を作る。

「乗る?」

「あ、はい」

「どこまで行くの?」

「瑞崎で、JRに乗り換えます」

 瑞崎駅というのは、このあたりでは最も大きい駅のひとつだ。デパートとJR、新幹線、地下鉄二本とローカル電車が集結している。わたしはいつもその駅を通って帰っている。うちの高校の生徒は、桜名駅から瑞崎駅に出てから散らばる人がほとんどだ。わたしはその典型パターンと言える。

 しかし茉緒先輩は、「遠いんだね」と言った。

「茉緒先輩は……?」

「裾池だよ、諒輔と同じだもん――あれ、言ってなかったっけ」

 裾池は瑞崎より手前、たった二駅先だった。

「……聞いてないです」

「えー、ごめんごめん、あたしたち幼馴染みだからさ」

 ああ、それで。それなら敬語を使わないのが当たり前でもおかしくはない。

 おかしくはない――だから別にふたりの距離が近いのは、特別な関係だからだとはいえなくなったのだけれど、ただ、先輩後輩以上の近しい関係だったということに変わりはない。

「そういえば、茉緒の『木星日記』、部室で見つかったよ」

 部長の発言に、わたしは更に驚きを重ねた。

「え、『木星日記』の藤まくらさんって、茉緒先輩だったんですか!?」

「そうだよ、あれ、知らなかった?」

 茉緒先輩がわたしの頭をぐりぐりと撫でた。

藤倉ふじくら茉緒まお、藤まくら――見つかったって? 去年の初夏?」

「そう、部室にあった……海原が見つけてくれた」

 見つけたって言うか、落としただけですけど、というのは思っても言わないのが吉だろう。

「ええー、ありがとうー」

 茉緒先輩のぐりぐりが増す。

「部室があたしを呼んでるー」

「呼んでない。別に、俺がいつでも家まで届ける」

「あたし、塾とかで帰り遅いから」

「おばさんに渡しとく」

「絶対やめてー!!」

 はは、と部長が笑った。

 思わず目を見張った。

 部長って、笑うんだ……。

 部長が、わたしに見られていることに気付いて、笑いをとめて、目を伏せる。

「電車、来たよ」

 茉緒先輩が言った。

 わたしが乗る準急だ。瑞崎駅まで速く行く――裾池駅には止まらない。

 その電車に乗ることを躊躇っている自分に気付いて、わたしは驚いた。茉緒先輩と、部長とまだいられるのなら、次に来る普通電車を待って、ゆっくり帰ってもいいのに、なんて。

 『どういう風の吹き回し』は、部長ではなくわたしの方かもしれない。

「じゃあ、お先に失礼します」

 わたしは部長と茉緒先輩に会釈すると、停止した電車に乗り込んだ。

「また明日ねー」

 茉緒先輩がわたしに手を振る。部長は、ポケットに手を突っ込んだまま、それでもわたしを見送っている。

 どうしてだろう、疎外感を感じるのは。

 電車は思いの外混んでいた。いつもはもっと早い時間に帰るから、この時間になると会社員の帰り道とぶつかるなんて知らなかった。電車のドアが閉まると同時に、ドアに凭れてホームを見る。

 茉緒先輩が、隣にいる部長の袖を引っ張った。小柄な茉緒先輩が何か言おうとして、周りが五月蝿くて聞こえなかったのだろう、長身の部長が腰を屈める。茉緒先輩が口元に手を当てて、部長の耳に囁く。

 部長が笑った。彼の笑顔を、ちゃんと正面から見ることができたのは、はじめてだった。目を細めて、俯くように笑う姿は、長身に似合わず小動物のようで、なんだか可愛かった。

 部長に対して可愛いなんて感想を持つ日が来るなんて。

 電車がなかなか出発しない。部長がわたしに気付いて手を上げた。茉緒先輩もそれに倣って手を振る。にっこり笑って、とん、と部長に凭れ掛かる。

 わたしは慌てて目を逸らした。

 見ちゃいけないものを見た気がして。いや、違う。茉緒先輩は、わたしが見ていることに気付いていた。だから、あれは見ちゃいけないものじゃなかった。じゃあ、どうしてわたしは目を逸らしたか。

 見たくなかったからだ。

 小さく唇を噛んだとき、電車が動き出した。わたしはもうホームを見なかった。揺れながら加速する鉄の入れ物が、わたしとふたりを引き離していった。


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