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 海原が電車に乗るのをぼんやりと見ていると、

「諒輔」

 隣に立ち、同様に海原を見送っている茉緒に呼ばれた。

「なん……なに?」

 もう海原の前じゃないから敬語を使う必要はないと気づく。まあ、海原の前でもだいぶ崩れてたけど。

 茉緒に腕を引っ張られ、俺は小柄な茉緒に合わせて膝を曲げた。

「訊き忘れてたんだけど……」

 耳元に顔を寄せて茉緒が言う。一年前の自分なら、こういうのでどきどきしてたんだろうなと思う。

 茉緒がちょっと声を潜める。どうせ誰も聞いてないだろうに――、

「あの子の名前。なんていうの?」

 思わず笑った。茉緒が頬を膨らませる。

「だって、タイミングなかったんだもん。向こうはあたしの名前知ってるみたいだったし」

 普段はずけずけと遠慮のないことを言うくせに、こういうところだけ、妙に引っ込み思案だ。

「で、名前だけど」

「ウミハラコトハ。うなばらに、楽器の琴に花で海原うみはら琴花ことは

 電車の中の海原に、片手をあげる。

 茉緒も横で小さく手を振った。

 海原の顔を見て、ああ今の見られてたな、と気がついた。

 それを見てか見ずか、茉緒が俺の肩に凭れ掛かってきた。

 会釈をした海原が、何気ないふりを装って目を逸らす。

「……やめてくれないかな」

「えー、なんで……」

「やめてほしいから」

 海原に誤解されたくないから。

 わざと冷たく突き放すと、茉緒がびくっと体を震わせた。

 そして、体を離す。

 ごめん。

 茉緒には悪いけど、そんな余裕はないんだ。

 遠ざかる電車と、もうこっちを見てくれない海原を見ながら俺は唇を噛んだ。


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