page3 路地と街灯 —4

 茉緒先輩がぷう、と頬を膨らませる。わたしが動けないうちに話が進んでいく。

「いいじゃんちょっと顔出すぐらいー、勉強飽きたもん」

 茉緒先輩が、部室に遊びに来たがっているのだとこの時点で漸く把握した。そして、部長はそれを望んでいない。それは茉緒先輩の受験もあるけれど、たぶん、見せたくないからだ。

 今のあの、冷え切った部室を、前部長である、茉緒先輩に。

「俺が引き摺り戻したみたいでしょう、おばさんに怒られるから」

「むう」

 おばさん……?

「じゃあ、朝練は? 朝練ぐらいならいいでしょ? 自習するだけだから、ね?」

 朝練……?

 あの自由気儘を具現化したような文芸部に、そんなストイックな制度があるわけがない。しかも、練習? 何の? 文章力?

「ね、ね、朝練ぐらいならいいじゃんね」

 茉緒先輩にもう一度話を振られて、わたしは部長を窺った。

 わたしが視線を向けた瞬間に、部長が、ふいっと顔を背ける。

 ……困る。後から怒って睨む癖に、助け舟は出してくれないというのは、ただの意地悪じゃないか。

「ええと」

 そんなことも知らず茉緒先輩は答えを待っている。わたしは仕方なく口を開いた。

「今、〆切直前なので……お構いできませんし……」

 どうやら部長は茉緒先輩に部活に来てほしくない。それは、さっき睨まれたこと、今の会話の流れ、を除外したとしても明らかだった。

 あの状態の文芸部を、先輩に、見せられるわけがなかった。

「いいよ、そんなの、邪魔しないようにするから」

 しかし茉緒先輩は引き下がらない。折れたのは部長だった。

「朝練ならいいですよ。ただ――最近寒いし、みんな自宅にパソコン持ってるし、なんならスマホで書いてるし、誰も来ないこともあるけど」

「あ、そうなんだ、やっぱり、若い世代は違うねえ」

 朝練が分からないわたしは、曖昧に笑っているしかない。

「それでもいいや、文芸部室で勉強だ、わーい――あなたも来る?」

 茉緒先輩が唐突にわたしを振り返った。

「え、じゃあ、はい」

 思わず頷いてから、しまったと思った。

 朝練とは何かなんて全く知らないし、朝は苦手だ。しかも、茉緒先輩と、部長と、わたしぐらいしかいない部室で、一体どうしろと言うのだろうか。

 しかし、小躍りするように駅に向かっていく茉緒先輩に、撤回はできなかった。

 さっさと歩いていく茉緒先輩の背中を見ながら、わたしは部長と、並んで改札をくぐった。

「ごめん」

 ぽつりと部長が呟いて、わたしは部長を見上げた。

 そこにあったのは、いつも通りの無表情のはずだった。確かに、表情は消えていた。しかし、絶対的に何かがいつもと違った。部長は表情を消していた。いつものように、何事も無く平然と、当たり前のように表情の無い、何考えてるんだか分からない完璧な無表情ではなかった。部長は、何かの表情を隠そうとしていた。それがわたしには分かった。

「部長」

 部長が目を伏し、小さくはいと返事をした。桜名生で賑わったホームで、辛うじて聞こえるぐらいの小さな声。

「今夜、メールしていいですか。朝練、ってわたし知らないので、始まる時間とか」

「分かった」

 その弱々しい声は、部長らしくなかった。

 早起きしてやってもいいかな、なんて思った。

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