page2 『木星日記』 —3
「『木星日記』?」
その言葉に聞き覚えがあって、思わず反応する。部長がわたしを見る。ごめんなさい。黙る。
しかし、部長はわたしに疑問文を投げてきた。
「知ってるの?」
「はい、えっと、『藤まくら』さんのですよね」
今が喋ることを許されているタイミングなのか、部長の顔色を窺うも、分からない。貼り付いたような無表情。しかし部長はわたしを見て黙ったままなので、たぶんわたしのターンなのだと思う。できるだけ手短に、情報だけ、話す。
「中三のときに、ここの学祭に来たんです。そこで、去年の部誌買って――『初夏』です。そこに載ってたと思います」
一学期の終わりに出す部誌を『初夏』、二学期を『晩秋』、三学期を『迎春』と呼ぶ。ちょうど二日後に〆切なのは『迎春』の原稿だ。学祭は二学期のはじめで、そこで中学生に向けて『初夏』の頒布をする。
「そう」
部長の返事は素っ気ない。何を考えているのか分からない。もしかして喋りすぎただろうか。求められていなかっただろうか。
「発行完了したあとに、元原稿失くしてたんだよね。ここにあったんだ、見つかってよかった」
彼はそう言いながら原稿用紙を元の位置に戻さず、持って自分の席に戻った。
「ありがとう」
礼を言われる。
「……わたしは何もしてないです」
部長は黙って首を振る。わたしは顔を伏せた。
怒られなかったことにほっとした。そして、怒られるのではないかと身構えてしまったことが、申し訳ない気がした。
「ごめんなさい」
もう一度呟くも、部室の対角にいる部長には、恐らく聞こえていない。聞こえなくてよかった。さっき、謝りすぎて苛立たれたのを、呟いてから思い出した。
部長が鞄に筆箱や、ノートや、自分のパソコンを入れ、持ち上げる。そして、わたしに声を掛ける。
「まだ帰らない?」
「帰ります」
わたしはそこでようやく、呆けて突っ立ってる自分に気が付いた。部長を待たせている。周りの机に積まれた本や資料や原稿用紙を崩さないように注意しながら、わたしは自分の席に戻った。パソコンをシャットダウンし、鞄のファスナーを閉める。
その間に、部長がまたわたしに話し掛けた。
「今日、急いでる?」
「……と、言いますと……」
帰り支度を忘れて突っ立っていたようなわたしに、訊く質問だろうか。わたしが顔を上げ机の向こうに目を遣ると、部長が「いや、」と顔を伏せたまま言った。表情が見えない。
「鍵返すの待っててくれたら、駅まで送るけど……っていう」
「……え」
……一体どういう風の吹き回しだろうか。
一年間、部員に関わろうとしてこなかった部長が、急に、部員と駅まで歩こうなんて、そんなことがあるわけがなかった。
「そんなにだいじなものだったんですか」
藤まくらさんの『木星日記』、去年の部誌に載っていて、今年の二年生は部長だけだから、恐らく現三年生の誰かだ。
そう訊くと、部長ははじめてわたしを見た。驚いた。その頬が、心なしか紅い。唇を噛んでいる。目が泳いで、またすっと視線を逸らす。部長のこんな表情――どころか、鉄壁の無表情が壊れるところ、見るのははじめてだと思う。
「そう、いうこと。見つけてくれたから、だから」
その迷うような言葉選びも、ほんの少し上ずった声色も、はじめてのことで、わたしは部長から目が離せなかった。
どうして。
あんなに、怖かったはずなのに。
「急いでるならいいし、急いでなくても嫌ならいいし」
ネックウォーマーを被りながら言い訳がましく、いつもの部長らしからず言葉を連ねる部長を、わたしは思わず遮った。
「行きます、一緒に帰らせてください」
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