page2 『木星日記』 —2

 電話を切って顔を上げると、部長が帰り支度をしている。

 そういえば、部長はいつも何時ぐらいに帰るのだろう。

 いつも部長を最後に残して、みんな帰ってしまうから分からない。部長が部室の鍵を職員室に返してくれるから、部長より先に帰らないと迷惑だ。

 もしかしたら、いつもはもっと早く帰ってるのに、わたしが作業していたから、イヤホンを付けていたから、帰れなかったのかもしれない。

 だったら声を掛けてくれればいいのに、余計なことで怒るぐらいなら追い出してくれればいいのに、イヤホンのルールだって、今年唯一の二年生である部長が広めたことでしかないのだから、と身を竦めつつ、わたしも急いで片付けをしようと自分の席に戻ろうとしたところで、わたしは自分のカーディガンの裾が何かに引っ掛かっていることに気が付いた。

 気付くのが、あと一歩早かったら。

 ばさばさと原稿用紙の束が落ちる。

 部長がこちらを振り向いた。

 ため息が聞こえる。

 最悪。ついてない。今日のわたしは散々だ。

 部長がこちらに向かってくる。怒られる。ただでさえ遅い時間なのに、仕事を増やして。原稿を無下に扱って。怒られる。動けない。体が動かない。

 ごめんなさい。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――

「海原」

 足元で声がする。

「はい」

 肩が震えてしまったのはバレていないだろうか。

「どいて」

 温度の無い声。今度こそ駄目だった。

 隠すべくもなく肩が震える。視界が滲む。泣くもんか。大丈夫、わたしの足元に膝をついた部長には見えていない。

「ごめんなさい」

 わたしは掠れた声で何とかそれだけ振り絞り、後ろに下がった。

 いや、違う、わたしが拾うはずなんだ。部長にやらせてわたしは突っ立っているだけだなんて。

 わたしは慌ててしゃがみ、残り数枚の原稿用紙を拾い集めた。わたしがしゃがむと同時に部長は立ち上がった。拾った用紙の向きと順番を揃えながら、わたしを待っている。細身ながらも背の高い部長がわたしの上に影を落とす。

「ごめんなさい」

 拾った原稿用紙を、揃えて部長に渡す。部長はありがとう、と呟き、それを手に持った束の適切な位置に挟み込む。

 わたしが落としてしまったのに。わたしが拾わなきゃいけなかったのに、手伝ってくれた部長が礼を言う。半分も拾っていないわたしに礼を言う。

「ごめんなさい」

 わたしは繰り返した。

「さっきから謝りすぎ」

 部長は無表情なままそう言った。それは苛立っているのか、呆れているのか。

 部長はそれを、元あった場所に置こうとし――その手を止めて、もう一度顔に近付けて、まじまじと見た。

「『木星日記』だ」

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