第2話
ようやく本家にたどり着いたが、軽く手当てをしただけで、ろくに眠れないまま月代の元へと参上しなければいけないことになった。
少年が昨夜の傷の痛みに絶えながら歩いていると長く黒い髪を腰まで伸ばした少女が後ろから声をかけてくる。
「錬さま、昨日のことを聞かせていただきました」
「ああ……何の用?」
これから出るであろうことを想像して顔をしかめさせながら聞く。
「あらずいぶんな態度をとりますのね、私、昨日の件でずいぶん恥ずかしい思いをしましたのよ……わかっておりますの?」
「何で……日輪が恥ずかしくなるんだよ」
言った瞬間失言だと気づいたのか錬がしまったという顔をしたが、日輪は瞳を大きく見開き、細く形の良い眉を吊り上げて大きな声を出す。
「何でですって?大変不本意ではありますが錬様と日輪は許婚なのですよ?錬様が何か失態をすれば私……引いては有藤家の名に傷がつくのです。それを決して忘れないでいてもらいたいですね」
眉毛とは対象的な釣り目ではあるが大きな瞳で睨みながら説教を始める。
ああこうなると長いんだよな……。
日輪の説教癖に慣れている彼は早く終わらないかと上の空で聞いていると、
「ちゃんと話を聞いているのですか!」
ぴしゃりと言い放つ日輪の剣幕に慌てて背筋を伸ばして話を聞く態度を取る。
「よろしい、そもそも有藤の家は……」
日輪はくどくどと有藤家は蒼海家の分家の中でも序列が一位という名家であり、そこの婿養子に入る(予定)の錬は宗家のためにも日々努力して立派にならなければならない。
ここ数年毎日言われ続けている説教を一通りした後、やっと解放する。
「とにかく、昨夜のような失敗は今後二度としないと約束してもらいますからね。わかりましたか!」
「…………はい」
疲れた顔をして返事をする錬に決して納得はしていないようだが、これ以上時期当主から呼ばれているのを引き止めるわけにはいかない。
一息ついてからそっと錬の髪や服装を丁寧に整える。
「仮にも月代様の前に立つのですから、身嗜みくらいは整えて置いてください」
ある程度終わったところでそのままツンとした顔で連から離れていく。
腰まである漆黒の黒髪が白い巫女服に綺麗に映えるその後姿をしばらく見送っていた……。
宗家の屋敷の門前に立つとニヤニヤとした門番が屋敷の門を開けてくれる。
「よお……昨日は大活躍だったそうじゃねえか?」
疲れた顔で少し足を引きずって屋敷内に入る錬の後ろから嫌味が投げつけられた。
それを涼しい顔で受け流し、屋敷内の玄関で履物を脱ぐ。
その屋敷内の廊下を歩く錬とすれ違うものたちは先ほどの門番と同じように嘲笑うように見るものと、軽蔑したような態度をとる者、木石のように無視する者ばかりだった。
針のような視線達に何の反応も見せず歩き続ける。
もうすっかり慣れてしまっているのだ。
この里に来た十年以上も前からこのような視線には慣れているのだから……。
「失礼します……錬です」
謁見の間に入ると、待ちくたびれたように時期当主である月代が足を延ばしてくつろいでいた。 今日は肩まである髪を垂らして、先ほどの日輪のような巫女服の姿で活発そうな顔を上げる。
その顔は悪戯が大好きな小さい子供のように見える。
「日輪と出くわしたでしょ?」
時期当主とは思えない蓮っ葉な姿で親しい友人に声をかけるように話しかける。
「ええ、昨夜のことで嫌味を言われましたよ」
少し渋い顔をして錬が答える。
「まあ、あんな小物にのされてあっさり気絶しちゃえばね……正直あの時は少しあせったもの」
「ですから、日間様達が来る前に出るべきではないと言ったんですよ」
錬はどかっと床に腰を下ろす。
仮に他の蒼海家の人間、たとえば日間がその場にいたらすぐに錬を縛り付けて滝壷につるすほどの無礼な態度をとっているが、これは錬が同い年である主と二人っきりのときにしかしない態度であり、月代がそうしろと従者になった時に自分から言い始めたことである。
もっとも月代への敬語だけは止めなかったので変なところで律儀ではあった。
「少し武功にあせりすぎたわ」
反省したように軽く眼を閉じて月代が静かに呟く。
「月代様は十分武功を積んでいると思いますが、これ以上武功を重ねて天下無双でも名乗るおつもりですか?」
少しからかうような口調の錬に、月代が少しシュンとした態度を見せる。
「そんなに焦らずとも、月代様は人望もお有りですし、実力も歴代の中でも有望と評判ですよ……もっともこの俺が言ったのでは大きなお世話になりそうだといわれそうですがね」
やや自虐的に笑いながら、落ち込んでいると思われる主人に錬が冗談を飛ばす。
「……私の為だけじゃないわよ」
ボソリと月代が呟いたが、その言葉は錬に届かず空しく霧散した。
ほんのわずか沈黙が走る。
「それより明後日の月封の儀式なんだけど……」
唐突に月代が話を変える。
「ああ、それでしたら準備は滞りなく進んでおりますし、一応前日に検分されるらしいので心配はいらないと思われます」
「十年に一度、大妖を封じ込めた結界の綻びを直すために一族全員が集まって数日かけて法力を練りこみ新しく結界をかける……まあ千年前からやっている儀式らしいけど、本当にそんな大妖がいるのかしらね」
天井を見上げながら月代がしゃべり続ける。
「前にやった時はお父さん、お母さん、叔父さん、叔母さん、当主様、私と全員一週間は寝こんだわね」
「そうでしたね……あの時は俺が月代様を看病したんでしたね」
懐かしそうに錬も月代と同じように天井を見上げ、答える。
「そうそう、そういえばあの時錬が作ってくれたお菓子美味しかったわね……ねえ、また作ってよ。月封の儀式の後にでもさ」
「……それなら月封の儀式の日にでも作りますよ……すぐに食べられるようにね」
「それは嬉しいわね……錬はそういう方面の才能は凄いわよね、料理とか掃除とかさ」
「おかげで日輪に女々しい人とか言われてますけど」
苦笑して、その台詞を言った時の日輪の顔を思い出す。
何が気に食わないのか少し頬を紅潮させて悔しそうに怒るので困り果てたものだ。
「許婚か……このご時世にそんなカビの生えたことするなんて有藤の叔父さんたちも本当にご苦労なことね」
「もっとも今は俺を許婚にしたのを後悔しているようですがね……有難い事に最近は俺のことを婿殿とは呼ばなくなったのですよ」
二カっと笑う錬に月代も少しあきれたように笑う。
「本当に勝手よね、錬が里に戻ってきたらすぐに日輪と許婚にさせるんだもの……日輪も可愛そうに」
「一応、その日輪にいびられている俺のことも気にしてもらいたいのですが?」
「あんたの場合は自業自得でしょ……それにしても今年の月封の儀式では倒れないようにしないとね、せっかく作ってくれたお菓子が食べられなくなるんだから」
「大丈夫ですよ……今年はきっと誰も倒れませんよ」
「そうだといいんだけどね」
苦笑したように月代が笑う。
「その調子じゃ昨日の怪我もたいしたことないようね……一応心配だから様子を見たかったのよ」
「ええ別に大丈夫ですよ、少しズキズキするくらいですから」
「あんまり痛いようなら、治療術でもかければ……あっ、ゴメン」
失言をしたように月代が俯く。
「……お気になさらず、それより儀式の準備があるのでそろそろ俺は行きますね」
「うん……本当にごめんね」
立ち上がる錬の背中に月代が声をかける。 錬は自嘲気味に笑いながら振り返って、
「明後日の儀式どうか頑張って下さい」
一言言って謁見の間を出て行く。
後に残された月代は自分の軽率さを二日連続で認識し、軽く自分の頭を小突いた。
「参ったな~、どうして私ってこう……」
ゴロンと仰向けになってしばし一人で反省を始めるのだった…………。
部屋を出て自身の住んでいる従者達の屋敷へ戻る途中で錬の前に男達が立ちはだかる。
「よお……錬様、お嬢様の元へご機嫌伺いか?昨夜の失敗の言い訳をしにいったのか?」
「別に……用があるからと呼ばれただけです」
「ほお、そうかい……とうとうクビを宣告されに行ったのか?ははは!」
先頭にいる男が笑うと、周りの男達も嘲笑しだす。 錬はただ無表情で彼らを見据えその横を通り抜ける。
「けっ、無能の上に腰抜けかよ……なんで御当主様はお前みたいな抜け者の息子なんかをお嬢様の従者にしたのかね~」
嫌味たっぷりに、無能なくせに自分達が憬れる月代の従者をしている錬を挑発するが、そのまま無視してその場を去る。
背中からさらに自分を嘲笑する笑い声が聞こえたが、特段気にしたような素振りも見せず錬は先へと急いだ。
……かつて錬の両親は里でも有数の使い手だった。 しかも母親の方は現宗家の娘であった。 つまり月代の叔母である。
しかしある日二人は何も言わず里を抜け、駆け落ちをする。
里を勝手に抜けた者は生涯許されず必ず始末される……。
その掟を破った二人を当然里の者達はすぐに追っ手をかけて追いかけたが、追っ手に選ばれた者たちはその両親によって殺され、あるいは再起不能にまで痛めつけられて里に送り返され続けた。
最後には当主自ら追いかけ、あと少しのところまで迫ることが出来たが結局逃走をゆるしてしまったそうだ。
以降二十年間、二人の消息は依然と知れずにいたが、ある時里の入り口に少年が立ち、当主との謁見を求めた。
少年は自分は里を抜けた二人の息子であると名乗り、両親は共に死に、母が臨終の際にここへ行けと言っていたと当主に自ら報告した。
少年が来たことで、いくら宗家の孫であっても里を抜けた罪人であり、かつて両親に家族を殺された者の中には彼を殺せと言う者もいた。
当主自らそれを宥め、子に罪は無しと言い、彼を自分の孫である月代の従者に任命したのだった。
少年の名は錬と言った。 つまり月代と錬は主と従者だけではなく従姉妹でもあった。
里を抜けた裏切り者、少なくない里の者達を殺した者の息子でありながら、何の罪も受けずに時期当主である月代の従者になっている。
それが彼が里の者達に邪険に扱われている理由の一つであった。
錬が自分の住む屋敷に辿り着くと、有藤日輪が腕を組んで怒ったように仁王立ちしている。
「げっ……」
一言声を上げた。 明らかにあれは怒っている。
そして怒りの矛先は間違いなく自分だとわかっているので、錬は屋敷に進む道の途中にある大木の陰に隠れてどうすれば説教が短く済むかを真剣に考えたが、
「錬様!そこに居るのはわかっているのですよ!早く出てきてください!」
裂帛の気合で怒声を上げる日輪の剣幕に早々と諦め、彼女の前に出てきた。
「全くこそこそと木の陰に隠れてそれでも男ですか!」
余計怒らせてしまい、こんなことならさっさと出てくれば良かったなと後悔しながら、ひたすら日輪を刺激しないように項垂れて説教を聴こうとするが、
「そんなことより、封石の周りの結界陣の準備を今から行いますのでついてきてください」
くどくどと言わずに錬を月封の儀式の場所へと引っ張っていく。
かつて千年以上前に日の本の国を荒らした大妖が居た。
その大妖は海の向こうからやってきて、権力者を騙し、操り、何千もの人たちを殺させ悦に浸る悪妖だったという。
やがて大妖の存在に気づいた人間達と自分達とはまるで違う存在の大妖を嫌った妖怪達の連合軍によって追い詰められ、大妖は国中を逃げ回ることになる。
その際に自分の九つの尾を引き裂いて各地に落としていった。
そのほとんどは大妖滅殺の後に人間達によって始末したり封印されてきたが、この蒼月という土地の地力と長い時間によって生み出された尻尾は大妖となってこの地に住まう人々を殺戮し始めるようになる。
しかし暴れまわる大妖も現れた旅の倒滅師達の集団によって封印され、以後封印が解けないように倒滅師達は土地の人間に頼まれてこの地に根を生やし、やがてその者達は蒼海一族と呼ばれるようになった。
創始口伝によると、『大妖は協力で封印は数十年で効力を失う。
故に十年に一度、力を合わし新たな封印をかぶせ大妖を滅っせる日が来るまでこの地に縛りつけよ。
『大妖蘇りしとき、蒼月の地、煉獄の炎で焼かれるであろう』
「……そういうわけで私達蒼海家の分家である有藤家が儀式の前準備をすることはこの上ない先祖代々からの名誉なのです。わかりましたか?」
子供に確認するように日輪が錬に返事を求める。
「もう一度聞きます。わかりましたか?」
錬が無視するように結界の為の楔を地面に打ち込んでいるので日輪がもう一回確認する。
「……わかってるよ、儀式の前準備を有藤がやり、場の清めを宗家蒼海が担当、儀式は両家とその他で担当。そうして本家と分家の分をわきまえさせ、儀式を協力してやることで互いの家の結束を図るんだろ?」
「その通りです。錬様ももう少ししたら有藤の家に入るのですから念の為に確認しました」
すましたように言いながら日輪が儀式に必要な楔を等間隔で打ち込むため、慎重に距離を測りながら道具を持って歩いている錬の後ろを一抱えもある金槌を持ちながらよろよろついていく。
「それは女の子が持つのは重いだろ?こっちに貸しなって…」
錬が両手で危なっかしくハンマーを持っている日輪に手を伸ばすが、顔を横に向けて、
「結構です。私とて有藤の娘、結界陣作成は私の仕事でもありますので……それに普段から錬様に小言を言っている私が錬様の仕事を見ているだけだなんてみっともないことできるわけないでしょう?」
いい加減重みでふらふらしてきている日輪を苦笑して錬が見る。
「しかし、その許婚の約定も有藤の親父様はすでに無しにしたいと思っているようだけど……っな!」
「そ、それは……錬様が情けないからです!もっとシャキっとしてくださればきっとお父様も……」
「しっかしなあ……倒魔術も使えない、式紙も体術も……そもそも一応蒼海家の人間なのに法力もない。できることは料理、洗濯、掃除の雑事だけじゃあな……その辺にいる人間と変わらないのではそりゃ有藤の親父様も約定を撤回したくもなるだろうさ」
楔を差し込みながら錬が寂しそうに答える。
「そ、それでも……錬様には錬様にしか出来ないことがあるのです。きっと今は……まだ……目覚めていないだけなのです!それを皆が駄目だ駄目だと勝手に決め付けるからこんな恥辱に塗れることになるのです……第一、時期御当主様である月代様の従者などという過分の仕事をやらされているのだからますます錬様の評判が下がるのですわ」
錬が呆けたように日輪に振り返る。
「ど、どうしたのですか?」
「いや、普段の日輪とはずいぶん違うなと思って……」
「錬様が情けないことを言うからです!悔しいとは思わないのですか?確かに錬様には才が欠けているかもしれませんが、もしかしたらいつか目覚めるかも……」
「日輪……ありがとうな」
錬が最後の楔を打ちながら言う。 日輪は悲しいような困ったような顔を浮かべる。
「後はそのハンマーで楔を地面に強く打ちこむだけだから俺がやっておくよ……日輪もやることがあるんだろう?」
日輪は俯いて少し黙りこむ。 その両腕から金槌を受け取ると錬はクルリと背中を向けたまま金槌で楔を打ちつける。
カーンカーンという音が蒼海家の領地に響きわたる。
まただわ……この人はどうして大事なときにこうやってはぐらかすのかしら。
胸の前でギュッと拳を作って許婚の背中を見続ける。
そういえば、この人が何か感情的になったところを見たことがない。
私がいくら嫌味を言おうとも他の倒魔師達にからかわれて嘲笑されてもただただ黙ってそれらを受けとめるだけ。
かといって卑屈に笑うこともせずに、瞳だけはどこか遠くの方を見つめている。 なんと不思議で腹の立つ人なんだろうか。
なんとなく腹が立って無防備の背中に力いっぱい平手を叩きつける。
「イタッ!何するんだ!」
驚いたように振り替える錬に日輪が大きな声で、
「貴方なんか知りません!勝手にすればいいのですわ!」
それだけ叫んで日輪は走り去ってしまう。
「全く何なんだ……」
ブツブツ言いながらも錬は楔を打つのを再開する。
領地内にカーンカーンという音がまた響くが、途中その音が止み……少ししてから一際甲高いカーンという音が領地内に強く響いていった…………。
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