第五章 星が導く美しき未来_5

 本物だと信じきっているバーリー卿は、慌てることなく四人とジルを間近に迎えた。ジルはエドガーの特徴である影を注視した。

(……筆の流れも、ちゃんと左下から右上に向かっているわ。うそ……これは、本物なの!?)

 あごに手を添えて、ライナスもまじまじと鑑賞する。そんななか、カーティスが眉根をひそめた。

「ん?……妙だな」

 視線の先にあるのは、窓の向こうに描かれた鐘塔だ。

「どう見ても、バールモントのセント・ガーランド聖堂の鐘塔だ。だが、この鐘塔ができたのは私が十歳のときだ。父と一緒に見に行ったからよく覚えている」

 アンドリューも視線を鋭くさせる。

「この令嬢は、なぜスタンドカラーのアフタヌーンドレスを着ているんだ? パイピング付きの縫い目もおかしい。このドレスはここ数年のうちに流行ったもので、エドガーのころならば、ネックラインはもっと深く、スカートのひだを腰で盛り上げたポロネーズのはず。だが……このドレスは違う」

 広間がざわめく。困惑したバーリー卿は、助けを求めるかのようにライナスを見た。だが、ライナスはなにも言わない。すると、レイモンドは眼鏡を上げながら冷笑した。

「……やりましたね、ライナス。なるほど、これは興味深い余興ですよ」

 その言葉で、ジルはやっと悟った。

(もしかして、これが――ライナス様の罠なの?)

 なにを言っているのかと、バーリー卿は声を荒らげる。そんな彼にとどめを刺したのは、レイモンドだった。

「令嬢の膝の上の本の装丁。うっすらと描かれてありますが、この男女の箔押しらしきシルエットは、明らかに童話をモチーフとした新進作家の作品、『王子と風の姫』のもの。出版されたのは、五年前です」

 バーリー卿が青ざめる。そんな彼を、ライナスは見すえた。

「芸術を甘く見ると、こんな羽目になるのですよ。バーリー卿」

「なっ……なにを……っ!」

「学生のころに、エドガーは山ほど模写したんですよ。僕の腕も、捨てたものではないようだ」

「私を……私を、騙したのですな!」

 わなわなと唇を震わせながら、バーリー卿が一歩退く。ライナスは笑った。

「画商がなんと言ったのか、僕には知る由もありません。しかし、あなたとの約束は守りましたよ」

「――なに!?」

 ライナスは、自ら手がけたエドガーの贋作を手でしめした。

「――あなたの愛娘の肖像画を、贈らせていただきました」

 ブロンドの髪、きつい目元。言われてみればたしかに、グレンダの特徴をしっかりととらえている。ライナスはゆったりとした声音でたたみかけた。

「残念です。あなたに芸術を愛する心があったなら、素晴らしい作品が別邸の階段下にあったというのに」

 メイデル伯爵の絵を、手でしめす。

「同じ、スターリングの絵が。だが、あなたは彼に贋作を描かせ、それを人気取りのための賄賂としてばらまいた」

 場が騒然となる。

「そっ……そんな……ど、どこに証拠が!」

「もちろんあります。ジル、ここへ」

「はい」

 布で隠された証拠の贋作は、広間の隅のイーゼルに立てかけてある。ジルが絵画を持つと、カーティスがバーリー卿の目前にイーゼルを動かした。

 ジルがイーゼルに絵を置くと、ライナスが布を取った。瞬間、バーリー卿は呆然と立ちつくす。そんな彼に向かって、ライナスは薄くなった絵の影を指さした。

 そこにあるのは、青い星――。

「スターリングのサインです。同じものが、メイデル伯爵の持参された絵にもある。これが動かぬ証拠ですよ。バーリー卿」

 どよめきが広間を包んだとき、カーティスが言った。

「贋作を賄賂にするなど、あってはならないことだ」

「この絵を手に入れた王太子殿下をも、貴殿は騙したことになる。罪は重いぞ」

 アンドリューがぴしゃりと告げる。肩を落としたバーリー卿は、震えながらその場にくずおれた。

「……わ、私は……そ、そのようなつもりは……っ!」

「芸術を権力の肥やす材料にした者が、果たして芸術院議員の職にあっていいものか、はなはだ疑問です」

 レイモンドが言い放つと、しんと広間が静まった。それまで押し黙っていた国王が、口を開いた。

「……残念な事実だ。芸術院での貴公の働きぶりは、知っている。たくさんの作品を所持していることも耳に入っていた。温情をかけたいところだが、我が国の元宮廷画家の贋作を賄賂としていたとなれば、そうもいかぬ」

 温厚な人柄の国王が目を吊り上げ、はじめて声を荒らげた。

「――芸術院からの除名と爵位剥奪。以後、銀王宮への出入りを禁ずる!」

 きゃあっ! という声が奥から上がる。グレンダが卒倒し、母親が叫んだのだ。バーリー卿が頭を垂れたとき、国王が続けた。

「彼からスターリングによる贋作を受け取った者は、前に出よ。ささやかな誠実さを振り絞ることができたなら、私はそれに報いよう」

 近衛兵を連れた宰相が、広間に入って来る。悲痛な面持ちの貴族が、一人二人と前に出た。その数の多さに、ジルは息をのんだ。

(……十二名? スターリングは、そんなにも贋作を描かされたの?)

 膝を折った彼らに向かって、国王は厳しい言葉を放った。

「半年間の謹慎を命じる。ふたたびこのようなことがあったなら、彼と同じ立場となることを肝に命じよ! 皆もだ。今日のこと、けっして忘れるでないぞ!」

 近衛兵がバーリー卿を引き立てて行く。それに続き、グレンダの肩を抱いた母親も広間を出て行った。

 その姿に恐れおののく貴族たちは、このあとに開かれる大舞踏会を楽しむどころではない様子だ。国王夫妻と王太子、大臣が、暗い表情で広間を去ろうとする。

 国王による断罪は、貴族たちへの戒めになった。今後は芸術品を賄賂にするような者は、いなくなるだろう。けれど――。

「――あの!」

 なにごとかと、国王が立ち止まる。主たちもジルを見た。いまだ膝を折っている貴族たちに向かって、ジルはゆっくりと近づいた。

「恐れながら申し上げます。贋作を売らず、まだお持ちの方はいらっしゃいますか」

 戸惑ったように顔を上げた貴族のうち、壮年の一人が言った。

「わ、私は……どうにも売れず、所持しております」

 別の貴族がそれに続く。

「私も、贋作とはいえ、心惹かれて……」

「では、どうかその絵を、〝エドガー・ザッコフの贋作〟ではなく、〝スターリングによるエドガー・ザッコフのオマージュ〟として、家宝とすることをおすすめいたします。もう二度と、手に入らない作品ですから」 

 ジルは誠意を込めて、声を張り上げた。

「スターリングの絵は、メイデル伯爵様のお屋敷を訪れたとき、はじめて目にしました。今日、伯爵様が持参したものです。この絵をはじめて見たとき、僕は……母を思い出しました」

 息をつき、続ける。

「鑑賞者に、そんな思いを抱かせる絵を描く画家が、贋作家という汚名を着せられたまま終わってしまうことに、憤りを感じます。今日、この場で、皆様にはスターリングなる画家がいたことを、記憶に残していただきたいのです。彼は贋作を手がけましたが、素晴らしい絵も描いていました」

 どうか、忘れないでください。その思いを、ジルは言葉に込める。

「哀しい結末となりましたが、芸術は本来、僕たちに寄り添って、ときに励ましてくれるものだと思っています。有名無名を問わず、好きだと思った作品が、皆様にとって価値あるものです。そのことを、どうぞ、スターリングという画家の名前とともに、忘れないでいていただきたいと僕は思います」

 深く頭を下げる。四大守護者マスターズ・オブ・アーツの、助手として。

 すると、どこからともなく拍手が上がった。顔を上げると、手を叩いていたのはメイデル伯爵だった。

 それを合図にしたかのように拍手が巻き起こり、広間の空気が一変する。国王夫妻は安堵したように笑み、大臣も王太子も手を叩きはじめた。

「君がこの場をまとめてしまったらしい」

 ライナスが笑った。スターリングの絵を見ようと、メイデル伯爵のもとに貴族たちが集まっていく。広間を出かかった国王たちも、ふたたびメイデル伯爵へと近づく。

 ほかの貴族たちも自慢の品をふたたび掲げて、どのようにして手に入れたか、どこが好きかを語りはじめた。

「おいしいところを、まさかお前が持っていくとはな」

 アンドリューが苦く笑う。と、カーティスがライナスの肩を抱いた。

「しかし、お前の贋作には騙されかかったぞ」

「僕の贋作にも、価値があるといいけれどね」

 なにを言うとばかりに、レイモンドは鼻で笑った。

「バーリー卿にはもったいないですよ。モデルが少々残念ですが」

 そんなやりとりの末、四人はジルに笑顔を見せる。ジルも晴れやかな気持ちで、笑顔を返した。すると、王太子が近づいて来る。

「私が手に入れた裸婦の家宝を、さっそく屋敷に飾るとしよう」

「修復してから、お返しいたします。油絵の具を少々消したので」

「いや、せっかくのサインだ。そのままでいい」 

 王太子の言葉に、全員が微笑む。無名の画家が報われた瞬間だ。

 スターリングが生きていたらと思う。けれど、彼の素晴らしい作品を世に広めることはできたのだ。その一翼を担えたことに、ジルは無上の喜びを感じた。

 ふと、ライナスと目が合った。ジルを見つめながら、彼が笑った。ジルも満面の笑みで、彼を見返した。

 芸術に関われる、この仕事が好きだ。その思いを、精一杯込めて。

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