第五章 星が導く美しき未来_4
国王の了承を得た二日後、ジルは招待状の発送を終えた。
主たちはそれぞれの創作に戻り、芸術棟は以前のような落ち着きを取り戻していく。
そんな中、ライナスはステンドグラスの創作をいったん休み、アトリエに引きこもった。
食事のときは食堂に姿を見せるが、それ以外の時間はアトリエのドアを閉め、誰も立ち入らせないように気を配っている。それに加えて、訪問客があっても通さないようにと、ジルは彼から言い渡された。
ライナスの予定を調整していたジルは、食事を終えてアトリエに向かう彼を呼び止めた。
「ライナス様。ステンドグラスの仕上がりを待っている司祭様に、遅れる旨の手紙をお送りしたほうがよろしいでしょうか?」
大階段に足をかけたライナスは、ジルを振り返ってうなずいた。
「助かるよ。ぜひ、そうしてくれ」
二階へ上がって行く彼を見上げながら、ジルは思わず訊いてしまった。
「あの……なにを描いていらっしゃるのですか」
立ち止まったライナスは、ロビーに立つジルを見下ろして笑った。
「内緒だ」
そう返答するや、二階に姿を消してしまう。
ジルは司祭に手紙を書くため、ロビーの隅のテーブルに着く。
彼はなにを描いているのだろうと思いながら、ペンを手にした。
*
ライナスは十五号のカンバスを前にして、平筆を取る。見かけたことがあるだけの姿を脳裏に浮かべ、構図を考えながら筆を走らせた。
画商に声はかけてある。あとは自分が、絵を仕上げるだけだ。
――芸術の鉄槌だ。思い知るがいい。
眼差しに鋭さを宿しながら、大胆に迷うことなく、油絵の具をのせていく。
無名の画家の心情に、自分の思いを重ねて。
*
社交シーズンの幕引きとなる、大舞踏会が行われる当日の午後。
きらびやかな箱馬車が、次々と銀王宮の門をくぐる。
馬車から降りた従者が、主ご自慢の作品を運ぶ。着飾った貴族とともに、品評会が開かれる広間に続々と集まった。
「今日はライナスがいるぞ。女装しなくていいのか」
アンドリューがジルをからかう。答えたのは、当のライナスだ。
「この場で突進してくるような令嬢は、さすがにいないさ。それは大舞踏会でのお楽しみだよ」
「お前の〝ちょっとした罠〟もあることだし、今日はお楽しみが多いな」
カーティスが肩をすくめておどけたとき、バーリー卿夫妻と娘のグレンダが姿を見せた。グレンダがきつい視線をジルに投げる。逃げるようにして立ち去ったことを、いまだに恨んでいるらしい。
彼らが引き連れている若い従者は、赤い
「……ほう? どんな作品か楽しみです」
レイモンドが冷たく吐き捨てる。アンドリューは苦い表情で腕を組んだ。
「画商を頼って選んだはずだ。腹立たしいが、そこそこの傑作だろう」
列になってあらわれる貴族のなかに、メイデル伯爵夫妻の姿があった。従者は伴っておらず、純白のシルク布に包んだ小さな絵画を、伯爵自らが抱えている。
(きっと、ライナス様が描いたカサブランカだわ)
それよりも少し大きい気がしたが、大切に包まれているせいだろう。こちらを見た夫妻は、丁重にお辞儀をした。ジルも深いお辞儀を返した。
広間が夏の花々のような、色とりどりのドレスで埋まっていく。正装姿の貴族たちは、知人を見つけるやひそひそと会話をはじめた。
人波が途絶えたころ、国王夫妻と王太子、杖をついた芸術院大臣の登場となった。誰もがいっせいに口を閉ざし、お辞儀で迎えた。
貴族らを前にした国王は、穏やかな声音を放った。
「社交シーズンの幕引きにふさわしい品評会を、
芸術院大臣が、一歩前に出た。
「ご自慢の作品を持参した方は、どうぞ前へ」
作品を従者に持たせた貴族らが、大きな弧を描くように並んだ。国王夫妻が近づくたびに布を取り、作品を見せる。ジルたちはその光景を、広間の隅から静かに見守った。
絵画のほかにも東洋の陶器や、腰まである女神の彫像を持参した者もいる。レイモンドによれば、彼がブーリン伯爵らしい。
手に入れたいきさつを、おのおのが語る。それに耳を傾けながら鑑賞した国王は、にこやかに微笑んだままゆっくりと移動した。
(次はメイデル伯爵様だわ)
シルク布を夫人に解かせた伯爵が、両手で絵画を掲げ持つ。
(――あっ……!)
それは、ライナスの絵ではなかった。
日だまりのなかで刺繍をする、汚れた女性の手――スターリングの絵だったのだ。
驚くジルに、ライナスが耳打ちした。
「僕の絵は除いて、陛下に心から紹介したい作品にして欲しいと頼んだんだ」
メイデル伯爵家へ行ったときに、そう願い出たのだと彼は言う。
(たくさんある芸術品から、スターリングの絵を選んでくださるなんて、嬉しいわ)
それほど、スターリングの絵を愛しているのだ。ジルは感激した。
伯爵の隣にいたバーリー卿は、ライナスの絵ではなかったことに安堵したのか失笑をもらす。だが、エメラルドの瞳を輝かせた国王は、感心したように吐息をもらした。
「……ほう。これは、誰の手によるものか」
「スターリングなる、無名の画家です」
はっとしたように目を剥いたバーリー卿は、メイデル伯爵を凝視した。伯爵はそれに気づくことなく、手に入れたいきさつを国王に語る。それを聞いた国王は、優しく笑んだ。
「貴君のおかげで、新たな画家の名を覚えることができた。他界してなお、こうして作品が残り、その価値を正しく見出せる者と出会えて、この画家は天国で喜んでいることであろう。私もまた、この絵に出会えたことに感謝する。素晴らしい絵だ。大切に」
最高の讃辞だ。
「お褒めに預かり、光栄に存じます」
メイデル伯爵は、恐縮したようにお辞儀をした。国王がそばを離れる。そして、バーリー卿の番になった。
(……どんな絵を、持って来たのかしら)
ほかの貴族たちを威嚇するかのように、バーリー卿は胸を張った。絵画を従者に持たせ、バーリー卿が赤い
(――えっ? うそ!?)
それは、窓辺に腰掛けて外を眺めている、令嬢の肖像だった。ブロンドの髪を結い上げた令嬢は、白く透き通った毛織のアフタヌーンドレスを身にまとっている。
足の上には閉じた本があり、窓の向こうには聖堂の鐘塔らしきものがぼんやりと描かれてあった。窓から射し込む日射しに、令嬢の横顔は照らされている。だが、室内はこれ以上ないほどの闇だ。
剛胆な平筆のタッチと、色彩の明暗。見紛うはずはない。しかし、これは――?
「なんと……なんということ……!」
芸術院大臣は、杖を握った手を震わせた。国王夫妻も王太子も、絵を見つめたまま微動だにしない。と、バーリー卿が言った。
「先日、とある画商から手に入れました。我が国の元宮廷画家、エドガー・ザッコフの手による〝窓辺の令嬢〟でございます。陛下」
なんだって、とカーティスが声を上げたのと同時に、広間がざわめく。王妃は信じられないと言いたげに、胸に手を添えて国王を見た。メイデル伯爵も瞠目している。
「ほ……本物、なのでしょうか」
アンドリューもレイモンドも呆然としていた。だがライナスだけは、なぜか落ち着いている。
エドガーは戦死したのではなく、戦場から逃亡し、細々とこの国で生きており、王宮に戻らぬまま息を引き取った。山小屋で暮らす彼の世話をしていた村人が、彼が残した数枚の絵を財産として所持していたが、火事に見舞われて焼けてしまった。
残ったのは、これ一枚。村人の孫が展示会に出品したところ、たまたま見つけた画商が驚き、手に入れたものを、自分が買ったのだとバーリー卿は語った。
「……おい、本当か?」
カーティスがささやく。どこかで聞いたようないきさつに、ジルも耳を疑った。
(エドガーは、やっぱり生きていたの?)
大臣が困惑の声を上げた。
「……特徴はあきらかに、エドガー・ザッコフのもの。陛下、申し訳ございません。さすがにわたくしにも、判断がつきかねます」
本物にしか見えぬと、国王も声をもらす。王太子が
「君たちの出番だ」
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