第五章 星が導く美しき未来_2
トーマスの罪は軽くならないと、ライナスは言った。グレンダの言葉を真に受けて実行したのは、誰あろうトーマス本人だからだ。
「無視することもできただろうに、そうしなかったのは彼の落ち度だ」
馬車に揺られながら、そう言ったライナスは窓に顔を向けた。
「悪女に翻弄された結果だ。彼にはいい薬になっただろう。かなり高く付いたけれどね」
「では、グレンダ様は罪に問われないのですか」
どうにも腑に落ちなくて訊ねると、ゆったりと腕を組んだライナスは、ジルを流し見て微笑んだ。
「彼女は罪に問われないが、父親は問われる。謹慎以上の処罰が待っているよ」
男爵であるバーリー卿は高位の貴族ではないが、派閥の力で芸術院議員となり、王都に屋敷と別邸を所有する名家に仲間入りしていた。しかし、贋作を賄賂としていたのだ。バーリー家は間違いなく、失脚する。
「とにかくいまは、スターリングがエドガーの贋作を描いていたという証拠を見つけるのが先決だ」
「はい」
返事をしたジルの脳裏に、ふとある考えが浮かんだ。
(スターリングはどんな思いで、贋作を描いたのかしら)
仕事だと割り切っていたのだろうか。それとも、描きたくないと思いながら絵筆を動かしていたのか。
贋作は、過去の芸術に対する
ずっと無名でいて、やっと出会えたパトロンは、自分の絵の価値を認めてくれない。その相手の言いなりになっていることに、嫌気がさすことはなかったのだろうか。
(お金のためとはいえ、さぞかし悔しかったはずよ。だとしたら、きっと……)
――ささやかな反撃として、贋作に〝己の証〟を残すのではないか。
その疑問を、ジルはぽつりと声にした。
「ライナス様。スターリングは無名であっても、自分に誠実な絵を描いていた画家だと思います。二枚とも、そういう印象を受けました」
「僕は一枚しか見ていないけれど、そう思うよ」
「そういった画家が贋作を描いたとき、あの……なにか反抗をしめしたりはしないのでしょうか」
自分が描いた証として、小さな星を残していた画家だ。だから、もしかして。
「……たとえば、贋作のどこかに、サインを隠しておくような」
そう言ってライナスを見ると、彼の瞳がきらりと瞬く。
「なるほど、反抗の証か……。あるとしたら、カンバスの裏かもしれない」
ささやき、小さく笑って続ける。
「もしもスターリングが、君の言ったとおり反抗の証を残していたとしたら、彼とは気が合いそうだ。会うことができなくて、残念だよ」
「え? 気が合う?」
彼はニヤリとしながら、ジルに告げた。
「骨のある画家が、自身のパトロンを笑っているように思えるからさ」
朝日を浴びた銀王宮の門をくぐる。馬車から降りた二人は、芸術棟に向かって駆けた。
静まり返った芸術棟に、ほかの主たちの気配はない。まだ帰っていないようだ。
ロビーに入り、アンドリューのアトリエに急ぐ。ノックをするも返事はない。かまわずに足を踏み入れたライナスは、裸婦の贋作を抱え持つと廊下に出た。
「ライナス様、どちらへ?」
「僕のアトリエだよ」
自分のアトリエに入ると、絵を額縁から外してイーゼルに立てかけた。
念のために右下を凝視するも、星の印は見当たらない。
「やはり裏だ」
ライナスが絵をひっくり返す。ジルも木枠の隅々にまで視線を這わせた。だが、ない。
すると、絵をテーブルに置いたライナスは釘抜きを手にするや、木枠からカンバスを外しはじめた。
ジルも木枠を押さえて手伝ったが、テーブルに広げたカンバスの隅や裏、木枠のどこにも、スターリングの反抗をしめす証はなかった。
「……どこにもないみたいです。お手間を取らせて、申し訳ありませんでした」
諦めて嘆息したものの、ライナスはまだ裸婦が描かれた右下を注視している。と、そこをそっと、指先でなぞっていく。とたんに、なぜか不敵な笑みを浮かべた。
「絵の具がかすかに盛り上がってる……なにか隠れてるみたいだ。ジル、窓枠に石鹸水の入った瓶があるから、持って来てくれ」
「えっ?……と、はい。ただいま」
油絵の具は石鹸水で取れるため、ライナスはいつも瓶のなかに小さな石鹸を浸していた。その瓶を差し出すと、受け取った彼は石鹸水を布に浸し、影に覆われた絵の右下を叩きはじめた。
「なにをしていらっしゃるのですか」
「世にも奇妙な魔法だよ」
闇色に塗られた影が、徐々に薄くなっていく。少しずつ消えはじめた矢先。
「あっ!」
――スターリングの反抗が、そこにあった。
小さな青い星が、影の奥に隠れていたのだ。
「……やったぞ。スターリングの手による証拠だ」
顔を上げたライナスは、ジルを見ると瞳を輝かせる。ジルも自然、笑顔になった。
「彼は、バーリー卿に抵抗していたんですね」
「ああ。……彼の声が聞こえるよ」
――お前に、俺の絵の本当の価値はわからないだろう。ほら、小銭の代わりに、お前を騙してやる。見つけられたら、褒めてやろう。
そう言っているように聞こえると、ライナスは目尻を下げた。
「君のおかげだよ。反抗の証があるとまでは、思いつかなかった」
「い、いえ……僕はただ、そうではないかと思っただけです」
ライナスが嬉しそうに笑む。つられてジルも微笑むと、目が合った。とたんに笑みを消した彼は、ジルを見つめたまま顔を近づけてきた。
(……なっ、なに? どうしたのかしら、近いわ!)
ジルがのけぞったとき、開け放たれたドアの先から、カーティスの声がした。
「なんだ、いるじゃないか。ジル、朝食はまだか?」
「お、お帰りなさいませ、カーティス様。た、ただいまお持ちいたします!」
返事をした直後、ライナスの指が髪に触れた。
「わっ!」
「糸くずだよ」
そう言って指でつまんで見せ、素っ気ない態度でジルから離れた。なんだ、ただの糸くずか。驚いた。
「ありがとうございます」
一礼したジルは、急いで彼のアトリエを出た。
(でも、つまんだ糸くずなんて、見えなかった気がしたけれど……)
なんだったのだろう。キスをされるような気がしたなどとは、一生誰にも言えないと恥ずかしく思う。
(そんなこと、あるわけがないじゃない。彼にとって私は男性なのだから!)
ドキドキしながら頭を左右に振りつつ、ジルは厨房に向かった。
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