第三章 朗読会と波乱の幕開け_2

 驚きのあまり、ジルは声をうわずらせた。

「トーマス様って、メイデル伯爵様のご子息の?」

「ええ。あんなことになって、メイデル伯爵様は本当にお気の毒だわ。トーマス様は、グレンダの取り巻きのお一人でしたの。彼の片想いだったというお噂でしたけれど、そうしむけたのは絶対にグレンダよ……来たわ」

 言うが早いか、目前にグレンダが立った。

 まばゆいブロンドは、編み込んだ前髪ごと背中に流している。父親譲りのつり上がった瞳のせいで、きつい印象を与える美人だ。そのため、愛らしさを強調した純白のドレスが、どこかちぐはぐに思えた。

「お久しぶりですわね、グレンダ。とても華やかなドレスですわ」

 そう言って、シンシアは一歩前に出た。

「ありがとう。嬉しいわ、シンシア。あなたもとても素敵よ。少々地味に思えますけれど」

 シンシアに対する嫌みに、ジルは眉をひそめた。一言多い方――そう思ったとき、シンシアはなんと、満面の笑顔を見せた。

「ええ。わたくしはその場にふさわしいよそおいを、常に心がけておりますから。どこぞのご令嬢のように、花嫁のような純白のドレスを身につけて、目立とうとする恥ずかしさは持ち合わせておりませんの」

 きっぱりと告げる。グレンダの顔がひきつった。と、シンシアを無視すると、ジルを見てびるような笑みを作り、お辞儀する。そうして、バーリー卿の娘であると自己紹介をした。

 ジルも礼儀としてお辞儀を返し、名を伝える。すると、グレンダは含みのある眼差しをジルにそそいだ。

「あなたのお噂は、耳にしておりますわ。社交シーズンですから、わたくしは近々夜会を開く予定ですの。若い貴族の方々だけで、仮面を付けて楽しむ集まりです。ぜひあなたをお誘いしたく、ご挨拶にうかがった次第ですわ。招待状を送らせていただいても、よろしいかしら?」

「僕に、ですか?」

 ええ、とグレンダは、唇を弓なりにさせる。だが、シンシアを見すえるやいなや、笑みを消した。

「ごめんあそばせ。あなたには送らなくてよ」

「いただいても、処分に困りますわ。冬でしたら暖炉だんろの炊きつけになりますけれど」

 グレンダが、ぐっと言葉をのむ。ジルは内心、感嘆した。

 思い返せば、シンシアはレイモンドの従妹という立場を利用して、ライナスに近づこうとはしなかった。きちんと自分で、芸術棟に会いに来たのだ。グレンダとは違う。

(堂々となさって、なんてかっこいい方なの。彼女こそ、気高い貴族のご令嬢よ)

 そう思った刹那せつな、メイデル伯爵の言葉が脳裏のうりよぎった。


 ――誰かにそそのかされたのではないかと、どうしても考えてしまうのです。


(なんだか胸騒ぎがする。いまさらだけれど、やっぱり気になってきたわ……)

 トーマスと親しかったのなら、グレンダはきっとなにか知っている。それがわかれば、メイデル伯爵の言葉はただの懸念ではなく、真実に変わるかもしれない。

(いまはいったん、了承しましょう。参加するかどうかは、あとで考えたらいいわ)

「お誘い、ありがとうございます。伺えるかどうかはまだわかりませんが、招待状は受け取らせていただきます」

 ジルの言葉に、グレンダはにっこりした。シンシアをにらむように一瞥いちべつすると、ふたたびお辞儀をして去った。ジルを見たシンシアは、呆れたように息をつく。

「……あんなお誘いを了承するだなんて、お人好しですのね。とにかく、お気をつけあそばせ。彼女の目的はあなたではなく、あなたの主たちに取り入ることですから」

 ジルは微笑みながら、うなずいた。

「わかっております。あなたのご忠告、けっして忘れません」


 *


 国王陛下とこの国、そして芸術と繁栄をたたえたレイモンドの朗読は、一時間にも及んだ。

 貧しさのなかで芸術に目覚め、それをかてとして生きる一人の青年の叙事詩は、それまでの彼の作風を残しつつも、簡潔でわかりやすくまとめられており、誰もが感嘆せざるをえなかった。

 レイモンドはずっと書斎にこもり、あらたな作風に挑むべく構成を練り直し、試行錯誤をしていた。それを知るジルは、彼の朗読に胸を打たれたのと同時に、その挑戦の結果に胸を熱くした。

 

 ――彼は、彼方かなたの光に目を凝らす。彼を導くかすかな光は、悔恨の念を希望に変える、あかつきの訪れであった。


 最後の一文を、段上のレイモンドが読み終える。静寂の広間は、やがて割れんばかりの拍手に包まれた。

 レイモンドは一礼し、段上を降りる。国王に続き、芸術院大臣と握手を交わす。

 ジルは拍手をしながら、陰口をたたいていた青年らを探した。最後尾に座る彼らは、完敗だと言わんばかりのむくれた顔つきで、拍手をしていた。そんな彼らのそばには、グレンダが父親とともに座っている。

 バーリー卿とのやりとりを忘れたわけではない。恐ろしい人だといまも思っている。その娘であるグレンダが、どういう人物なのかわからないからこそ、招待を受けるべきかやはり迷う。

 広間の扉が開け放たれて、朗読会は幕を閉じた。国王夫妻と王太子を拍手で見送ったのち、貴族たちも解散していく。と、人混みにまぎれるようにして、広間に入って来た人物がいた。その姿を目にした瞬間、ジルは驚きのあまり目を見開いた。

 メイデル伯爵夫妻だったからだ。

「……驚いたな」

 カーティスも瞠目する。誰もが立ち止まり、口を閉ざした。そんななか、夫妻はレイモンドに近づき、丁重にお辞儀した。

清廉せいれんな朗読会の邪魔になるのではないかと、出席を遠慮いたしましたこと、お詫びします。しかし、広間の外で聞かせていただきました。そのまま帰るつもりでしたが、やはり直接讃辞をお伝えしたいと考え、参上した次第です」

 伯爵の言葉に、広間がさざめく。伯爵はレイモンドの邪魔になると考えて、ずっと広間の外にいたのだ。

「勇気をふるい起こさせる、素晴らしい叙事詩でした。私はいま、至福の極みです」

 レイモンドは控えめな笑みで応えた。

「ありがとうございます」

 その声が響き渡ったとたん、どこからともなく拍手が起きた。やがて、メイデル伯爵を歓迎するかのような拍手が、広間にこだました。

 それは、社交界の復帰を意味した。感激したメイデル夫人は、ハンカチで目を押さえた。

「……よかった」

 思わずささやいたジルに、アンドリューは半笑いで告げる。

「そうか? よく観察しろ。何人かの貴族は陰気な顔つきで、力なく拍手しているぞ」

 ジルは戸惑い、周囲に視線を這わせた。たしかに、笑みを浮かべることなく拍手をしている者がいる。そのなかには、目を剥いて伯爵夫妻を凝視するバーリー卿と、グレンダもいた。

「伯爵夫妻の復帰を、よく思っていない者たちのようだな。なんともわかりやすい」

 カーティスが言うと、アンドリューは苦笑をもらした。

「そういえば、奴らの屋敷にはまだお邪魔していなかったよな、カーティス」

「芸術院議員が率いる派閥の二つと、バース侯爵、ブーリン伯爵の派閥だな。皆、王宮で出くわすとおおげさに褒め讃えてくるくせに、けっして私たちを屋敷に招待しない者たちだ」

「きなくさい野心家たちというわけか」

 彼らの会話の意味を、ジルはすぐに察した。

 真に芸術を愛している貴族たちは、四大守護者を屋敷に招待することが多い。

 逆にそうではない貴族は、王宮で彼らを見かけると当然のごとく近づいて来るが、招くことはなかった。芸術に対しての造詣ぞうけいの浅さを、知られたくないからだ。

(そうよ。彼らを招くような貴族の屋敷に、贋作があるわけがないんだわ。手に入れたら絶対に、彼らに知らせるはずだもの)

 賄賂を受け取っている確率が高いのは、彼らを〝招けない〟派閥に属する貴族たちだ。

 ――エドガーの贋作があるとすれば、その屋敷だ!

「奴らの顔を覚えたぞ。少し取り入って、屋敷に乗り込んでやろう」

 そう言ったアンドリューは、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。カーティスはニヤリとした。

「面白い。どちらが多くの屋敷に入り込めるか、競争するか」

 カーティスがてのひらを差し出すと、アンドリューはそれをパチンと打った。

「いいだろう。のった」

 ここでもジルは、取り残された。

 ライナスは遠出してまで、イルタニアの画商を追っている。アンドリューもカーティスも、証拠を掴むために動いている。きっとレイモンドも、その競争にのるだろう。

(彼らが動いているのに、私だけなにもできないなんて……)

 ライナスに命じられたことを、破るつもりはない。けれど、彼らの助手として、やはりなにか力になりたい。

 その気持ちばかり焦るものの、結局自分にできるのは、リストにする程度のことしかないのだろう……。

(……いいえ、あるわ。グレンダ様の招待を、受けるのよ)

 トーマスを知っているグレンダから、なにか聞けるかもしれない。これはチャンスだ。

 監獄にいる彼が、自分の考えて行ったことならしかたがない。けれど、もしも誰かにはめられたのだとしたら、見過ごすことはできない。

 トーマスの影に隠れている人物が、いずれまた卑怯なやり方で、四大守護者マスターズ・オブ・アーツに牙を剥くともかぎらないからだ。

(彼らの助手として、その根を絶たなくては)

 賄賂とは関係のないことだから、ライナスの命令に背いたことにはならないだろう。

 仮面を付けた若い貴族の集まりだ。カツラで髪色を隠せば、助手だと悟られることなくグレンダにも近づける。

 だが、トーマスに対する懸念は、主たちには言えない。なぜなら伯爵と、そう約束したからだ。

 ――どうかいま話したことは、主の方々にも内緒にしてください、と。

 ジルは密かに、拳を強くした。

 助手として陰ながら彼らを支え、守りたい――その一心で。

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