第三章 朗読会と波乱の幕開け_1

 城館のごとく屹立きつりつする優美な王立図書館の前に、ひときわ豪奢ごうしゃな箱馬車が停まる。

 沿道に集まった人々は、色とりどりの紙吹雪を空に放ちながら、国王夫妻と王太子殿下を歓迎していた。

 図書館の入り口に立ったジルは、主たちとその光景を見守った。

 王妃をエスコートする国王のうしろを、王太子が歩く。彼は王都から離れた静かな領地と城を好んでおり、社交シーズンやもよおしものがあるとき以外は、そこに居をかまえていた。そのため、ジルが彼を目にするのは婚約式以来になる。

 アンドリューと同年代の王太子は、隣国の王太子妃となった妹の王女に似て、エメラルドに輝く瞳の持ち主だ。

 爽やかに整えられたブロンドが、日射しを受けてきらめく。端正な顔立ちをアンドリューに向けると近づいて来て、口元をほころばせた。

「アンドリュー。例の絵は、まだ調べているのか? 早く父に見せたいのだが」

「ああ、すまないな。かなり精巧なんでね。こちらも念には念を入れている最中だ」

 彼と幼なじみのアンドリューは、気さくな語調で告げる。王太子は微笑んだ。

「ロンウィザー侯の目は信頼している。信じて待つとしよう。ときに、そのロンウィザー侯は?」

「どうしても抜けられない用があってな。日帰りで遠出をしている。戻りは夕方だ」

 それは残念だと言い残し、アンドリューの肩を叩いた王太子は、奥へ向かった。と、アンドリューは隣のジルを見下ろし、からかうように笑む。

「ライナスがいないから、お前の女装が見られなくて残念だ」

「えっ?……ええ……」

 ジルは作り笑いを見せてから、男性の正装姿でうつむいた。

 芸術院大臣の職を狙う賄賂が、横行している。

 この二週間というもの、主たちはその手がかりを探るべく奔走していた。だが、夜会や晩餐会で訪れた屋敷に、エドガーの贋物は見つからなかった。

 レイモンドによる新人女優への度重なる尋問も、「貴族の友人は山ほどいる。酔っていたから覚えていない」と涙ながらに訴えられ、振り出しに戻ってしまった。レイモンドいわく、演技であれば見抜けるが、本当に覚えていない様子だったとのことだ。

 なにもしなくていいとライナスに言われていたジルは、しかし、自分にできることはしようと、主たちが訪れた屋敷の貴族の名を、密かにリストにしていた。そうして、贋物がなかったとなれば線で消す。

 そんなことしかできない自分に、歯がゆさを覚えていた昨夜のことだ。

 ライナスのもとに、馴染みの画商から情報が入った。

 イルタニアの画商が滞在している場所が、判明したのだ。だが、そこは王都から列車で三時間の場所にある、田舎町だった。

 この機会を逃すわけにはいかないと、ライナスは朗読会の欠席をレイモンドにび、今朝早く王宮を出て行った。その姿を見送ったジルは、彼の背中を思い出しながら、ため息を落とす。

 ライナスの不在が寂しい。けれど、どこかほっとしてもいた。

 邪魔をするなと命じられてから、なんとなく身構えてしまい、距離を置くようになってしまっていたからだ。

 好きだからこそ、認められたい。いや、そうありたかった。けれど。

 ――頼りない君に頼めることは、なにもないよ。

 彼の言葉が脳裏に刻まれ、助手として働くようになってから、ジルははじめて深く落ち込んでいた。こんな気分でいてはいけないと思っても、自然と嘆息してしまう。

「浮かない顔だな。どうした」

 アンドリューに言われて、とっさに顔を上げた。

「い、いえ……なんでもありません」

 王立図書館の両開き扉が、正装姿の司書によって閉ざされていく。

(レイモンド様が主役の朗読会なのよ。暗い顔をしてはいけないわ)

 無理に口角を上げたジルは、アンドリューのうしろを歩きながら、朗読会が行われる広間に向かった。

 ライナスの無事を、強く願いながら。



 広間へと続く重厚な気配の廊下には、エドガーの手による十枚の絵画が飾られている。

 肩を抱いてポーズを決める若い騎士、王宮に届けものをする商人、煙突掃除の道具を手にした男性や、日傘をさして王都を歩く女性たち……。

 主たちから離れてふと足を止めたジルは、描かれている人々の影を注視した。筆さばきは、やはり右利きであることをしめしている。それを除けば、アンドリューに見せられた裸婦の作風は、エドガーそのものだ。

(ライナス様の言ったとおり、模倣もほうしたのは腕のいい画家だわ。本当に無名なのかしら)

 手がかりは、左利きの画家。

 だが、その線でも調べていたライナスによれば、知っている画商はいなかったらしい。画商が知らないということは、無名ということにほかならない。

 嘆息したジルはふたたび歩を進め、広間に足を踏み入れた。

 広い円形の空間に、ずらりと椅子が並べられている。

 吹き抜けの四方を囲む壁一面は、流麗な細工の施された書庫だ。その壁に沿うように、大きな螺旋らせん階段がしつらえられており、上階へと続く。優美な木製の手摺りは、草花の枝葉を連想させる彫り物がされており、広間を華やかにいろどっていた。

 この広間全体が、まるで植物に守られたまゆのようだ。いつ来ても静かで、おごそかで、心が安らぐ。

「ここの改築を設計したのは誰だ?」

 ジルの横に立ったカーティスが、小声で訊ねた。

「あなたです」

「そのとおり」

 カーティスは腕を組んで胸を張り、ほがらかに笑む。と、顔見知りの貴族を見つけたらしく、ゆったりとした足取りで近づいて行く。アンドリューも、見知った貴族に声をかけていた。

 貴族が一堂に会しているこの場を、二人とも無駄にするつもりはないらしい。賄賂の件でそれとなく聞き込みをしているのだろうと、ジルは察した。

 一方、主役のレイモンドは、真正面の壇上脇にいた。杖をついた大臣らしき人物とともに、国王夫妻や王太子と会話をしている。

 ジルは着飾った招待客を見渡した。

(やっぱり、メイデル伯爵様はいらしていないわ)

 朗読会がはじまるまでの間、誰もが思い思いに集まり歓談していた。このなかに、賄賂を渡した者とそれを受け取った者はいるのだろうか。そんなことを考えはじめた矢先だ。

「……いいご身分だな。見ろよ、陛下と話してるぞ」

 背後で声がする。振り返ると、扉口の隅に二人の青年貴族が立っていた。

「そうねたむな。父親のバクスター伯爵は、権力に興味はないが顔だけは無駄に広い。どうせ父親の力だ。それに、彼の作品を褒めているのは評論家だけだ」

(……なに? まさか、レイモンド様の陰口?)

 ジルはそっと近づきながら、耳を澄ます。それに気づかず、一人が笑った。

「まったく、難しくて読めたもんじゃない。あんな作品のどこがいいのか、誰か俺に教えてもらいたいね」

 もう黙ってはいられない。頭にきたジルは、なんとか落ち着き払って二人の前に立った。

「失礼ですが、作品のよさをご理解いただけないのでしたら、どうぞお引き取りください」

 声をひそめつつ、きっぱりと告げる。ぎょっとした彼らは、無言でにらみすえてくる。彼らを真摯しんしに見返したジルは、小声でたたみかけた。

「レイモンド様はけっして、お父様の力で四大守護者マスターズ・オブ・アーツの一人となったわけではありません。現代を生きる我々の姿に、人生の深遠さを投影して問いかける作風が、認められてのことです。それをご理解いただけないのでしたら、この場でのお時間を無為むいに過ごすことになってしまうでしょう。ですから、どうぞお引き取りを」

 扉口を手でしめす。すると、一人が顔をゆがめた。

「なっ……なんだ、お前は」

 彼らの助手だと、ジルが答えようとしたときだ。

四大守護者マスターズ・オブ・アーツの助手の方ですわ」

 背後で女性の声がした。振り向いたジルは、びっくりして息をのんだ。

 ブルネットをきれいに結い上げ、紺色のドレスに身を包んでいる。涼しげな瞳は、深いブラウンだ。可憐だが自尊心の高さがうかがえる容貌の彼女を、ジルは知っていた。

 以前、ライナスに会うために、芸術棟を訪れた令嬢だ。

 彼女は二人に近づくと、毅然とした態度で言い放った。

「わたくしの従兄いとこに対して、こそこそと陰口をたたくとは、情けない殿方たちですわね。悔しければ、彼のような作品を発表なさってはいかが?」

(――えっ! レイモンド様の、従妹君だったの!?)

 あのときは、名前さえ知らなかった。彼女の正体に、ジルはさらに驚く。

 二人は「失礼した」と言い残し、そそくさと広間の奥へ立ち去った。

「……まったく」

 そうつぶやき、くるんとジルに向き直った彼女は、スカートを持ち上げてお辞儀した。

「お久しぶりですわ。恥ずかしながら、ご挨拶がまだでしたわよね。わたくしはレイモンドの父を伯父とする、シンシア・アッカーソンと申します。母が伯父の妹で、父はアッカーソン子爵です」

 呆気にとられながら、ジルもなんとかお辞儀を返す。

「ジル・シルベスターと申します」

「存じておりますわ。わたくしの平手打ちを痛がらなかった、唯一の助手の方ですもの」

 フッとシンシアは微笑んだ。

「その節は、お世話になりました。ロンウィザー侯爵様には恋人がいるようですし、わたくしの想いもすっかり冷めましたわ。あなたの説得のおかげで」

 うっ、と言葉に詰まったジルは、気まずくなり目をそらす。その恋人はここにいて、仕事で装っているだけですと伝えられないのが、なんとも苦しい。

「あの……レイモンド様の従妹君だったのですね。存じ上げず、あのときはこちらこそ、大変失礼いたしました」

「気になさらないで。彼とは特別親しいわけでも、仲良しというわけでもありませんから。とはいえ、実力ある親族への陰口は、許せませんわ」

 ジルを見て、控えめに笑む。

「彼の体面を守っていただいて、ありがとうございます。やはり、噂どおりの助手ですわね」

「い、いえ……僕は素直な思いを伝えただけです。けれど、そう言っていただけると励まされます。ありがとうございます」

 恐縮するジルを尻目に、シンシアは遠ざかった青年らを視界に入れた。

「若い貴族のなかには、四大守護者マスターズ・オブ・アーツで一番若いレイモンドをやっかむ方が多いのです。ほら、あの方々よ。卑怯な陰口しか能がない、嘆かわしい青年貴族たち」

 広間の隅に数人の若者がおり、こちらを見ながらなにやら話していた。そのなかに一人だけ、同年代の令嬢が交じっている。

 顔をしかめたシンシアは、とげのある声音を放った。

「……グレンダだわ」

 田舎育ちのジルだが、こういった令嬢同士のやりとりがあることは、愛読している本で知っていた。

 彼女たちには派閥があり、社交界で敵対するのが常らしい。おそらくグレンダなる令嬢とシンシアの派閥は、その関係にあるのだろう。しかもそれは、親同士の派閥から影響を受けていることが多かった。物語の世界では、だが。

(本当にあるなんて、驚きだわ)

「彼女はどちらのご令嬢ですか」

 ジルが訊ねると、シンシアはおぞましいと言わんばかりに吐き捨てた。

「議員一家、バーリー家のご令嬢よ」

 ――バーリー卿のご息女!? 目を見張ったジルに、シンシアは続ける。

「あなたは地方のご出身だと、レイモンドから聞いています。ですから、王宮に近い貴族の事情に、お詳しくないのではありませんこと?」

「恥ずかしながら、そのとおりです。よろしければ世間話として、少し教えていただけませんでしょうか」

 願ったりだと言いたげに、シンシアは口の端をかすかに上げた。

「男爵位であるグレンダのお父様は、派閥で力をつけて議員になられた野心家よ。野心を抱くのは悪いことではありませんし、お父様については詳しく存じ上げませんけれど、彼女のことはよく知っているわ。地位のある殿方に取り入るため、人気取りばかりしている恥ずかしい令嬢の一人。わたくしは大嫌い……と、失礼。これは余計ね」

 気まずそうに目をそらし、恥ずかしくなったのかポッと頬を染める。

「いえ、どうかお気になさらず」

 シンシアは安堵したように、小さく笑む。

 気位いが高いからこそ、同年代の令嬢の言動に、がっかりさせられることが多いのだろう。貴族の令嬢たる自分なりの美学を、シンシアは持っているようだ。

(レイモンド様の従妹君なのも、うなずけるわ)

 ジルがそっと微笑んだときだ。なんと、そのグレンダが近づいて来た。シンシアはジルに耳打ちした。

「お気をつけあそばせ。彼女、四大守護者マスターズ・オブ・アーツの助手に目がないのよ」

「えっ? 目がない、とは?」

四大守護者マスターズ・オブ・アーツとお近づきになるのが目的で、助手の方に取り入るの。以前助手だったトーマス様も、彼女の毒牙にかかった一人よ」

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