女王の友達作りエピローグ

「それで…私のマスターは無事なのですか?」


 屈した新しき僕…いや友人は心配そうに麻理沙に問いかけた。


「ええ、貴女と彼は特別な関係でしたようなので、平和的に交渉をして退いてもらいました…はい、これが証拠です」

 

 麻里沙がシャンティに一つのタブレットを手渡す。


 それはLIVE映像のようで、綺麗に刈りそろえられた短髪に頬に傷跡を残したその男は間違いなく彼女のマスターであった。


「シャンティ、すでに話は聞いているだろうが、依頼はキャンセルされた。なのでお前がそこのお嬢さんの命を狙う必要は無くなった。ついでに組織からの連絡も途絶えている。なので俺はしばらく姿を消す…が、お前はそこのお嬢さんと一緒に居たほうが安全なようだな。いずれ落ち着いたらまた連絡をする。幾久しく健やかに…な」


 そのまま映像は途切れた。 どうやら向こうのほうで映像を切ったようだ。


「…マスターも幾久しく健やかで」


 彼女もまた神妙な顔でもう一人の主の健やかを願う一言をかける。


 それは一つの別れ。 そして一つの出会い。 


「さて、しばしのお別れですが…いずれまた会えますよ。だってこの世界でお互いに生きているんですもの」

 

 そうだ決して永遠じゃない。 生きてさえいればまたいつか会える。 


 だから悲しくは無い。 いずれまたどこかで会えるのだから。


「湿っぽいのはこれで終了!それでは行きましょうか?」


 朗らかに笑う笑顔はあの怖気の走るような恐怖ではなく、包み込むような優しさに包み込まれていた。



   

 彼女の故国と見まがうような強い日差しの下でシャンティは『一体どうなってるんでしょう』と考えていた。


 薄氷を踏むような危うい交渉によって彼女は身の安全を保障された。 それは同時に目の前にいる少女からの命の危険からも。


 褐色の肌を持つ少女は彼女と対照的に白い肌をした新しい主の姿を見て困惑を隠せないでいる。


 とても美しく、儚げで、世界の悪意から遠ざけられているかのように無垢に笑う少女の中には悪魔が潜んでいることを様々と見せ付けられたのだ。


 だが褐色の少女が心から傅くことを決めた女王(クイーン)はピョンピョンと小兎のように跳ねながら、一人の男にしきりに褒めてくれとせがんでいる。


「私にだって友達はいるんですよ? ねっ? だから褒めてください、褒めてください!」


「わかった、わかったよ…友達がいるってことはわかったからさ」

 

 男の特徴は平凡だった。 そうとしか表現しようが無いくらいに凡庸で、唯一はその心根は悪い人間では無いのだろうというくらいだった。


 私は何かまた悪い冗談を見せられているのでしょうか?


 先程の悪辣と威厳を兼ね備えた小さな女王(クイーン)にシャンティは畏敬以外の感情を持つことが出来なかった。


 だがその女王(クイーン)は餌に飛びつく子犬のように、懸命にジャンプをしながら件の男の腕にしがみついている。


 その姿は無垢な少女を通り越して、駄々っ子のようにすら見えた。


 こ、これが、私の新しい主……。


 頭が痛くなるのを感じて額に手を当てる。 じっとりとした汗を書いていたことに気づいた。


 この日の太陽はギラギラと照りつけていて、さすがに暑さになれたシャンティでさえ汗がにじみ出てくるほどだったのだが、それにも気づけないほどに目の前にいる光景はショックなものだったようだ。


「とりあえず、挨拶くらいさせろよ…えっとお名前はなんていうのかな?」


 尚もしがみつこうとする主を強引にどかして男がシャンティの前にやってくる。


 背丈はやや高い。 平均的日本人の身長よりは上だろう。 身体はそこそこガッシリしているようだが一般人レベルだ。 

 

 なぜこんな男を麻里沙は慕っているのだろう?


「シャンティ…私のお兄様がお名前を聞いているのよ?」


「…! シャ、シャンティ=カルファといいます!」


 思考に集中していて返事が遅れたことを見咎めた主が例の底冷えのする声で、名前を名乗れと命令する。

   

「お、お前…本当に、友達なのか?」


 さすがに先程の声は麻理沙と親しい間柄である男でさえ気づいたようで、本当に友人なのかと質問をする。


「いやですわ…シャンティとは親友ですのよ。ねえ?シャンティ?」


「は、はい…麻理沙とは友人であります!」


「シャンティ?」


「い、いえ…友人ではなく親友でした!」


「…ねっ?親友でしょ?」


「無理矢理言わせてるじゃねえか」


「あうっ!」


 男が麻理沙の額に軽く手刀を入れる。 


「な、何を…!」


「シャンティ?」


「い、いえなんでもありません」


 どうやら主と男のその行動に口を挟むことはしてはいけないことだったようだ。

 

 シャンティは自分の脳内メモに危険行動の一つとしてそれを記憶した。


「……まあ一応それなりに好意は持ってくれてるみたいじゃない?」


 半ば飽きれたような物言いで男の隣に立っていた女性が腕を組みながら口を開く。


「シャンティ、この方はお局さんといいます。日本の会社では歳をとって結婚できていない可哀想な人のことをそう呼ぶんですよ」


「誰が、お局よ!」


「はは、まあまあ…シャンティ、この人は熊原涼子さんといって、まあ俺の上司なんだよ」


「そして私の部下でもあります」


「は、はあ…そ、そうですか」


「まあ、それを言ったら俺もお前と卿哉の部下でもあるんだけどな」


「いやですわ、お兄様ったら、お兄様はお兄様、部下なんてそんな無味乾燥な間柄だなんていわないでください」


 少しだけ涙目になって上目遣いしながら男の腕をひっしと抱きしめる。


「うわっ、あれ絶対嘘泣きよ」


 ボソリと先程紹介された熊原涼子が呟く。


 シャンティもそうだろうなという顔をしていたのだろう。 ふと目があった涼子が苦笑してくるので、シャンティも主にばれないように同じ顔で返す。


 どうやらこの女性も麻理沙のことで苦労しているようだ。 


 ある意味では先輩ともいえる女性の苦労とこれからの自分の心労を考えると彼女も困り顔になってしまう。


「そういえば卿哉はどうした?今日も会合か?」


 麻理沙の懇願(おそらくは芝居)に気まずくなったのか、麻理沙の双子の兄である人間の名前を出す。


「お兄様でしたら、やぼ用を済ましてから来るって仰っていたのでもうすぐ来ると…あっ、来たみたいですね」


 麻理沙の指差した方向には黒塗りの高級車が止まっていた。


 そういえばよくあの車で麻理沙も学校で来てましたね。

 

 シャンティも見慣れた車だったので当然、卿哉が来たのだと判断した。


 しかし車のドアが開いて一人の人物が降りたときに全員が凍りついた。


 その人物は普段とは違う、シャナリシャナリとした歩き方で麻理沙達へと歩いてくる。


 そして中途半端な裏声で、


「皆様、はじめまして麻理沙の親友の卿子ともうします」


 その墨色に染め上げたドレスのすそを持って恭しく挨拶をする。


「……お、お前、どうしたんだ…」


「大分変わってるとは思ってたけど…そこまで…だった…なんて」


「……お、お兄様、ど、どうなさったんですか?」


 全員が絶句している。 ところがとうの本人は美しく化粧された顔にパッチリとしたアイメイクを入れながらキョトンとしている。


「お兄様ってどなたかしら?私の名前は森原卿子…そこにいる麻理沙…いえ麻理沙さんの親友で…ぶぐわっ!」


 最後まで言い切る前に麻里沙の無言のボディブローで黙らされる。


「皆様、しばし席を外しますわ」


 ニッコリとした笑顔で振り返りながら、女装した卿哉のドレスの襟首をしっかりと握りながら離れていった。


 シャンティも主の兄の狂行に呆気に捕らわれながらも、あわてて麻理沙の後をついていく。


「お兄様、まずその格好はなんでしょうか?」


 握る襟首に青筋が浮かぶほどに力が込められている麻理沙の尋問に、


「しっ、お兄様と呼ぶな、せっかく俺がわざわざ変装してまでお前の親友のフリをしているのだぞ?」


「……お兄様、それはどういう…ま、まさか…」


「うむ、こんな短期間ではお前の親友を作るのは難儀だからな、俺が恥を忍んで女生徒のフリをすることで寂しい妹に友人がいないということを隠すために考えたのだ、どうだ?これならお前と親友であると同時に兄妹であるとバレない…最高のアイディアではないか」


「あ、あの麻理沙…このお方は…あなたの…」


「…シャンティ、何も言わないでください……見ないでください」


「お、お前は例の暗殺者の娘、ど、どうしてお前がこんなところに…さては麻理沙を騙して宗雄兄の命を狙おうとしているのだな」


「え?ええ!…い、いえ私は…もう暗殺者ではなく…」


「くっ!だが俺がここでお前の存在を喝破すれば宗雄兄達に正体がバレてしまう。有原卿也、一生の不覚!だがここでみすみす宗雄兄を危険にさらすわけには…ど、どうすれば!妹よ……妹? 麻理沙? ど、どうしてそんなに拳を高く上げる?そしてどうして俺をそんな目で…お、おい!」


「シャンティー」


 力なく出た声色にはどす黒い何かが込められている。 それは先程に対峙した悪魔めいたものではなく、もっと恐ろしく根深いものに感じられる。


「は、はい…なんでしょう!」


「これ、とりあえず遠くの方へ捨ててきてもらえますか?三日、いいえ…一週間ほど帰ってくるのにかかるところまで…頼めますよね?私の親友ですもの」


 振り返った瞳は少女どころか同じ人間とは思えないように暗い瞳であった。


「い、イエッサー、了解しました」


 シャンティはすぐさま、麻理沙から卿哉を受け取ると、そのまま彼を引きずったまま走り去っていく。


「お、おい!ちょっとまて俺をどこに連れて行く気だ!っていうか麻理沙、どうして兄をこんな目にあわせる? お、俺はただ…友達の居ないお前の為に…」


 卿哉の声はドップラー効果を醸し出しながら急速に遠くなっていく。


 そして戻ってきた麻理沙に宗雄がおそるおそる問いかける。


「ま、麻理沙…あ、あいつは…いったい…」


「えっ?なにがですか?私は何も見ませんでした…シャンティが急用を思い出したようなのでついでにゴミ出しを頼みましたけれど……それが何か?」


 愛らしい少女の愛苦しい笑顔の迫力の前にその場にいた全員が何も言えず、ただただ無言の時が流れるのだった。




「なるほど、すべて合点がいった。さすがは我が血を分けた妹だな、自身の命を狙う者を信服させるとは…おい、女よ、お前は麻理沙の部下になったわけだな?そして親友という仮面を被らされて付き従うことを誓ったのだろう?ならばお前もまた俺の部下になったということと同義になった。いまならその無礼を許してやるからこの手を離せ、ふふふなあに教育の行き届いていない下々の者の行動など笑って許してやろう…だからこの手を離してくれないか?…おい、聞いているのか?早くこの手を離せ!離せーーーー!」


 引きずられながらも大声で騒ぎ立てる主の兄を抱えながら、褐色の元暗殺者は、


「これからの私の毎日は麻理沙の機嫌を損ねないように過ごすこと、そしてこれの相手もしなければならないのでしょうか?」


 これから幾度とも発することになる愚痴の一回目を呟いていた。



 ※ちなみに卿哉はシャンティの予想を覆して三日で帰ってきました。

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