女王の友達作り⑧

「依頼人との交渉がまとまったぞ、仕事の後の脱出の手はずも整った。あとはお前が依頼人を始末するだけだ」


「…そうですか、了解しました」


 言葉の上では平静を装っていたが、鼓動は早くなっている。 


「数日以内に完了できそうか?」


 少しの沈黙の後、私は心を決めて答えた。


「二日後に標的と二人で出かける用事があります。そのときに始末します」




 それは数日前のことだった。


「シャンティ、今週の日曜日はお暇ですか?」


「ええ、麻理沙、特に用事はありません」


 この頃には私は麻理沙と名前で呼び合うようになった。 彼女自らがそれを望んだのだ。


『実は友人と呼べる人がいませんの、だから良かったら友人になってくれませんか?』  


 ほんの少しはにかみながら標的は優しくそう言った。


「ええ、もちろんです。私も友人はいませんから」


 せめてもの誠意として私も本音でそう答えた。 事実、友人というものはおらず、唯一友人とも家族とも言えない存在が一人いるだけなのだから。


「本当に?嬉しいです」


 そういって笑う彼女の表情をなるべく見ないようにしながら私も返した。


「私も嬉しいです…はじめての友達ですから」


 それも嘘ではなかった。 思えば同年代の存在とは仲良くすることが不可能だったので、正真正銘、彼女は私の最初の友達なのだ。


 そしておそらくは最後の友達になるだろう。


「それでは友人の証としてこれをプレゼントしますね」


「それはなんですか?」


 彼女が取り出しのは一つのチョーカーだった。 首につけるアクセサリーで、絹のように光沢があり、肌触りのよい素材で作られていた。


「あなたにとても似合うと思って、特注ですよ?お兄様に頼んでつくってもらいましたの」


 卿哉に頼んだのか。 その言葉に少しだけ嬉しさが弱まったが、それでも私の最初で最後の友人がくれたプレゼントなのだから断るわけにはいかない。


「…似合いますか?」


「ええ、とても…やはりこれにして正解でしたね、あなたにピッタリですもの」


 そう朗らかに笑う彼女に私は出来るだけの笑顔をした。 


 その内心は空々しいもので、ひどく心が痛むけれどしょうがないのだ。 これは私にとっての罰なのだから。


「それで、ついでにといってはなんですけど、シャンティに会ってほしい人がいるんです」


「…?それは誰ですか?」


 問いかける私に彼女は、見たこともない熱を込めた笑顔で、


「私と卿哉兄様の兄です」


「…?ということは有原の家の方でしょうか?」


 確か麻理沙と同年代の兄弟は卿哉と透火の二人だけだったはずだ。 そして透火以外の兄弟とははっきり没交渉だと聞いていたのだけれど。


「いいえ、私と卿哉兄様だけの兄ですわ」


「…?よくわかりませんが、麻里沙がそう望むのなら是非、お会いしたいです」


「それでは来週の日曜日に学園で待ち合わせしましょう…どうか無事にあえることを祈っています」


「ええ、私も無事にあえることを祈っていますよ」


 







 いま思い返してみても言っていることがよくわからない。 


 そういえば、マスターから聞かされていた事前情報では麻理沙達の交友関係だけで学園以外での情報を仕入れることは失敗したと聞いていた。


 留意事項程度で聞いていて、実際に麻理沙と交友するようになってからも卿哉と透火以外の名前を聞いていなかったので失念していた。


 だが彼女との交友関係もこれで終わるのだから問題は無いだろう。


 麻理沙との関係が終わる。 それはつまり彼女を私が殺すということだ。


 思えば今までに何度も危険で難度の高い依頼はあったが、おそらくは今回が今までで一番苦労する依頼となるだろう。


「大丈夫か?」


「……! いえ、何も問題はありません」


「そうか、声が固かったからな。今回の依頼は正直後味が悪いだろうが…お前が無事に戻ってくることを祈っているよ」


「…問題ありません。必ず成功させます」


 マスターの珍しい言葉。 どうやら私が麻理沙と友人になっていることを報告していたので気遣ってくれたのだろう。


 だが私は暗殺者だ。 そしてマスターの忠実な部下。 


 麻理沙のことは正直言って嫌いではないし、出来れば殺したくはないけれど仕方が無いのだ。 


 私は暗殺者なのだから。 そう…仕方の無い…仕方の無いこと。


 マスターからの通信を切った。 私は一人でいる校舎裏にたたずんでいる。


 そして誰も近くに居ない事を何度も確認してから私の足元にポタリと滴が落ちた。


 せめてそれだけが私が親友である彼女にすることの出来る唯一のことだから。

  





「お待たせしました、すいませんちょっと用意に手間取りまして」


 そういってペコリと麻里沙はシャンティに頭を下げる。


「大丈夫です、そんなに待っていたわけではありませんから」


 約束の時間から十分遅れて麻里沙はやってきた。


 時間を過ぎても彼女が来なかったことに、正体に気づかれてしまったのだろうかと思ったが、本当に残念なことに彼女はやってきてしまった。


 麻理沙の服装はいつもの制服姿ではなく私服だった。


 白いキャミソールにセンスの良い上掛けの彼女に対してシャンティは制服で。


 元々私服などないし、仕事を終えればそのままこの国から脱出するのだからこのままでいいのだとこの暗殺者の少女はそう考えた。


 ただ麻理沙のくれたチョーカーだけはつけていた。 せめて最初の友人がくれたものだから自分自身がこの世からいなくなるまで身に着けていくつもりなのだ。


 それが何の意味も無い贖罪だとしても、彼女自身が今までの人生で唯一示した私情だった。




 麻里沙に連れられた建物は彼女や彼女の通うアスター学園の関係者とは思えないほどにボロく小さかった。


 二階建てのそれはどうやら何かの会社のようで、彼女は慣れた手つきで鍵を取り出して建物の中に入る。


 一階部分はオフィスルームらしく、机と椅子が雑然と置かれていて壁側にはおそらくは仕事で使うであろう資料が綺麗に整頓されて棚に入れられている。


「こっちですよ~」

 

 建物の中には誰も居ない。 日曜なのだから今日は休みなのだろう。 


 休みなのならば明日までこの建物の中に入ってくるものはいない。


 これなら十分に逃げることが出来る。 


 暗殺を考えるならば願ってもいない状況ではあるが、暗殺者の少女の心は弾まない。


 慣れた足取りで部屋を抜け、二階へと続く階段を昇る彼女の後ろ姿を見ながらシャンティは麻理沙を見つめ続けていた。


 束の間、ささくれ立った暗殺者に人としての楽しみを教えてくれた友人の最後の姿を決して忘れないために、今までの人生の中で一番真剣に。


「はい、着きましたよ!」


 二階の部屋はガランドウとしていた。 高そうなアンティーク調の椅子が置いてあるだけで、部屋は薄暗く窓すらない。


 麻里沙はその椅子に向かってゆっくりと進んでいく。


 するなら今しかない! ごめんなさい麻理沙。 せめて痛くないように一瞬で済ましますからどうか許して。


 足音を立てずに麻理沙との距離を詰めていく。 右手にはナイフを持って。 


 そしてそれを振りかぶり、最初で最後の親友へと突きたてようとしたその刹那、


「少しお話をしませんか?」


 その声は決して大きくは無かった。


 けれどそれを聴いた瞬間、思わずピクっと反応してしまい、無意識に距離をとっていた。


「ま、麻理…沙?」

 

 そこでどうして問いかけたのだろう?


 彼女自身ですら理解できなかった。


 けれどそこで何か発してなければそのまま動けなくなるような気がして、暗殺者は少女の名前を呼んでいた。


 麻里沙は振り返るとゆったりとした仕草で部屋の奥に鎮座する椅子へと座った。

 

 それはとても優雅で、何か女王めいたようにも見える。


「危ないところでした…お話しする前に終わってしまうところでしたわ」


 ホッとしたような安心したような口調ではあったが、小柄な少女の顔はいつもと豹変していた。


 それは何か威厳というのだろうか? 油断してしまえば思わず膝を屈してしまうような不思議な魅力を秘めた表情だ。


「それにしても私が思っていたよりも真面目なんですね、よく訓練されているということなんでしょうけれど」


 その言葉に合点がいった。 暗殺者はナイフを持ったまま椅子に座る少女にわかりきったことを聞く。


「私の正体に気づいていたんですね」


「ええ、まあ…」


 椅子の肘掛にひじを突きながら少女は暗殺者と対峙しながら無表情で答える。


「…いつからですか?」


「最初からですよ?」


 これにはさすがにシャンティも驚いてしまった。


「ど、どうやって?書類も身分も十分に吟味して用意したのに」


「私達を殺したい人なんてそれこそいくらでも居ますからね、学園の全存在には常に監視をつけています。出入りの業者から、近所に住む人まで……まあ、本来なら学園に入る込むことすら許さないんですけど…」


 麻里沙は肘掛に肘をつきながら自身の髪の毛先をいじりながらつまらなそうに答える。


「最初から知っていたのならどうして私を…」


「それはどちらですか?学園に入れたのか?それとも友人になろうと言ったことですか?」


「……!」


 どう答えていいかわからないシャンティに、麻里沙はそこでニコリと笑いながら答えた。 

  

 それはいたいけな少女のようだったがなんとも怖気の走る壊れた笑顔だった。


「気まぐれですよ、最近お兄様ばかり自由にしていてずるいなと思ってましたし、色々とお局様の相手もしていてストレスも溜まってましたしね、まあ有体に言えば退屈というやつでしょうか?」


「それらなどうして私を友人に…?」


 その言葉に反応して立ち上がる。 


「そう、実は最近ある人から友達は居ないのか?って言われまして…適当に誰か連れてくればいいんでしょうけれど、それも芸がないでしょう?ちょうど暗殺者として同年代の女の子来ると聞いたのでついでに遊ぼうかなと思いまして」


 その人物のことを考えていたのか、自分のコレクションを自慢するような子供のような表情をしている『友人』に暗殺者の少女が理解できないという表情を浮かべる。


「な、何を言っているのか…」


「ああ理解してもらおうとは思ってませんから気にしないでください。単刀直入に言えばタイミングが良かったってだけですから…それ以上の意味はありませんよ?」


 また元の無表情に戻って椅子に座りなおす。

    

 唖然とするシャンティには麻理沙は無機質で、作り物のようなガランドウなその瞳には何の感情も入っていない人形のように見えた。


 初めて対峙する異質な存在に恐怖が湧いてくる。 それは自分の理解できない存在を知ったときに人間が感じる当たり前の感情だった。


「さて、種明かしはしましたし、ここから交渉に入りましょうか?わかりやすく直球に言うとですね私を殺そうとするのを諦めてもらいたいんです。できればこのまま私の友達として学園にいてもらいたいんですよね」


「どういう意味だ?」


「どうもこうも言葉通りの意味なんですけどね、まあさすがに面食らったとは思いますが…」


 暗殺を諦めろと? それはつまり任務の失敗を意味する。 


 そんなことはできない! もし私が任務をしくじったことがしれれば今度こそ組織は私を始末するだろう。 


 そしてそうなれば自分だけではなくマスターを…。


「麻理沙…それは出来ない。私とてあなたのことを憎からず思っているが、それは出来ないの…ごめんなさい」


  

「ふ~ん、そうですか…困りましたね~、すでに色々と手を回しておきましたのに」


「それは…どういう意味だ!」


 途端に消沈していた様子のシャンティが大声を出す。 先程までは罪悪感と麻理沙への好意ゆえに逡巡していた心にカっと火が灯った。


 マスターに何かをしたのか? 私の正体がばれている事を考えると十分に考えられる可能性だ。 


 私のミスだ! これでは暗殺が成功してもしなくてもマスターの身が危ない!

 

 ならばここはひとまず…、


「ここから逃げようとしても鍵はすでにかかってますよ?」


 反転しようとこの場から退散しようとした寸前に声をかけられた。


 足が止まる。 身体も。 まるで縫い付けられたかのように動くことが出来ない。


 別段、物理的に抑えつけられているわけでもない。 ただ自分の行動を先読みされたことへの驚きと、この少女はまだ何か先読みしている可能性を考えたからだ。


 逃げることは出来ない。 それならば、


「右手のナイフをまず捨ててくださいな。それに背中につけている隠し武器もね」


「なっ…なぜ…それ…を」


「麻里沙は気になったことは知っておかないと気がすまない性格でして…まあ、それもうっかり屋なお兄様がいるからなんですけれど…っと愚痴を言ってもしょうがないですね」



 コホンと気を取り直して麻理沙はポケットからリモコンのような物を取り出す。


「ああ、別にあなたを攻撃するためではないですから…安心してくださいね」

 

 警戒するシャンティに今日まで見せてくれたようなニッコリとした笑顔で彼女はボタンを押した。


 すると天井の一部が開き、中からモニターが出てくる。 

 

 それは部屋の三分の一を閉めるほどの大きさで、映し出された画面にはシャンティが写っていた。


「こ、これを…どこで…」


 そこには彼女の軌跡が捉えられていた。 


 初めての仕事。 次の仕事。 そしてつい最近完了したマフィアのボスを追い詰めて足を切り落とし、喉を切り裂く姿がやや離れたところから映像として残されたいた。


「いまは便利な時代でして、地球上のどこにいてもある程度の注目を浴びている人間にはこうやって映像で残されているらしいですよ?まあ盗撮なんて趣味が悪いとは思いますが、ええと…たしかそちらの組織の方で管理されていたものですね」


「そ、そんな…これじゃ…これで…は…」


 膝をつく。 これが自分が所属する組織が持っていたというのなら、すでに話はついていたということだ。


 これでは逃げても任務を達成しても同じこと。 自分…いや自分だけではなく彼女の敬愛するマスターは組織に切り捨てられたのだ。


「…頼みがある。聞いてくれないか?」


「はい、なんでしょう?」


 麻里沙は表情を崩さない。 ニッコリとした笑顔を貼り付けたまま、底冷えのするような、そんな少女にシャンティは膝を曲げて懇願するように頭を下げる。


「どうか、マスターだけは…マスターだけは見逃してほしい。私はすでに覚悟はできているから…どうか…マスターだけは」


「えっと…それは…つまり?」

 

 困惑する麻理沙の声が聞こえる。

 

 当然か。 自分を殺しに来た者の願いを聞く者などいない。


「確かにそちらに聞いてもらえる筋合いはないだろうが、私を一度でも友人と呼んでくれたのなら友人としてたのむ。 どうかマスターだけは…私のマスターだけは殺さないでくれ…お願いだ…麻理沙…どうか組織に…そう頼んで欲しい。組織と交渉をしたあなたならきっとどうにかできるはずだと…身勝手だとはわかっているが…どうかそれだけは…」


 願いは血を吐くような懇願へと変わり、頭を固い床にこすり付けて尚も彼女は命乞いをする。


 自身ではなく。 彼女のもっとも愛する家族同然の存在の命を乞い続ける。


「あの…何か勘違いなさっているようですが、組織の方とは交渉なんてしていませんよ?」


「えっ…し、しかし…その映像は私の組織が持っていたと…」


「ええ、ですからその組織の所在地をいま襲撃しているところなんです。映像はその過程で見つけたものですから、おそらくそろそろ決着が…ごめんなさい、着信が来ましたので…」


「…………えっ?」


 ポカンとするシャンティを放っておいて麻里沙は電話に出る。


「ああ…はい、そうですか…わかりました。それでは映像をはい、そのコードで問題ありませんので…あっ、写りました…はい…それでは」


 彼女たちの間にあるモニターの画面が切り替わり、一人の人物が映し出された。


 だ、誰だ…こいつは?


 シャンティに見覚えは無い。 映し出された人物は高そうなスーツと指輪をごてごてと着けて少し薄くなった金髪のオールバックの中年の男だった。


「わ、わかった。依頼をと、取り消す。全ての暗殺の依頼を…だ、だからう、撃つな!撃つ……」


 バシュっとした音と同時にモニターが暗転した。


 膝を屈したままの姿で呆気に捕らわれている。


「はい!これで貴女の依頼は取り消されました!そして組織もそのボスもすでに貴方たちに構うこともなくなりましたね……これで万事解決、そうでしょう?」


「ま、待ってくれ!ほ、本当に私の組織のボスだったのか!し、信じられない!だって私の組織の上部はどこの国の情報部だって把握しきれていな……」


「それは…各国の利害でお互いに足を引っ張り合っていたからでしょ?そのようなことばかりしてるから大事な物を見つけられないんですよ、私達にはそんなものは無い。ただただ私と私達の愛する人たちの為に全てを投げ打てば不可能なことなどありません」


 世界でも悪名をとどろかす組織のボスを脅し、そして依頼を撤回させる。 それだけでも信じられないのに、口上は無垢なようでなんて尊大。


 この少女は。 この女は。 いいえこの方は…なんて人なのだろう。


 尊大で、それでも美しくて、まるで全ての人間よりも無垢なその姿は…まるで女王だ。


 このお方は生まれながらに人を制することを運命付けられた人間なのだ。


 膝をついたシャンティは恭しく頭を垂れた。 


 いま彼女は心から膝を屈したのだ。


 この麗しき小柄な女王に。


 そして女王はまるで僕に命令するように、でも軽やかに歌うように彼女は言葉を発した。


「それで?私の友人になってくれますか?」


 嫌が応もない。 新しき主を前にした彼女の答えは一つだけなのだから。

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