三章 女王の友達作り プロローグ

 誰かが走っている。 赤絨毯で敷かれてはいるが、ドタバタとあまりにも激しく走るので足音が響く。

 

 息は荒く、全身はどっぷりと汗に塗れ、足ももつれ始めているが、それも構わず男は走り続けていた。


 男は逃げていた。 誰からなのか? それはわからない。 


 かつて感じたことの無い恐怖を感じながら。 


 もっとも頼りにしていた部下もボディーガード達もすでにこの世にいない。

 

 その全員が自身の目の前で首と胴を別たれて真紅の絨毯により濃い赤を吸わせて転がったのを見たのだから。


 幾度もの修羅場を乗り越えて、その姿には貫禄すら見せ始めた身体を必死で動かしながら走り続ける。

 

 やがて出口へと辿り着いた。 ここまでくれば大丈夫。 


 もしものためにと用意しておいたヘリがある。 そのために免許すら自身で取得したのだ。

 

 大丈夫。 俺は運が良い。 


 この程度の襲撃は何度もあった。 大丈夫だ。 今度も大丈夫だ。


 心の中で叫ぶように言い聞かせるが、彼が今までの人生で培った本能が安心できないと警報を鳴らし続けている。


 扉を開く。 青く晴れ渡った空と雲が見える。 


 ヘリは…あった。 誰も居ない。  


 それでも油断せず乱暴に扉を閉めてヘリへと駆け出そうとするが足が動かない。


 まるで無くなってしまったかのように。 


 ドンッと強かに身体を落として振り返ると足は文字通り無くなっていた。


 両足の膝下あたりがまるでブティックでそろえられたブーツのようにそこに置かれていた。


 ど、どうして? 思うよりも前に彼の視界に彼以外の人間が移りこんでいた。


 華奢な肢体にやや浅黒い肌をしたそれはまるで黒豹のように彼に圧し掛かり、持っていたナイフで彼の首を一瞬で切り裂く。


 お、お前は…。 


 男の発する声は音とならず、最後の瞬間は唐突に途切れたのだった。



プロローグ②


 とある日曜日。 季節は初夏に入ったことで雲ひとつ無い青空をものともせず太陽が大きく鎮座していた。


 気温も徐々に高くなっていき、その下で働く者達の誰もがうっすらと汗を滲ませて動いている。


 佐原宗雄もヘルメットを脱ぎながらまぶしそうに空を見上げていた。


「それじゃ今から休憩に入ります。皆、ちゃんと水分を取って日陰で休んでちょうだい、日射病にならないようにね」


 隣に立つ熊腹涼子が、その額に汗を噴出させながら休憩を告げる。


「ふ~、それにしても急に暑くなってきたわね、夏は嫌いじゃないんだけど、あまり気温が高くなるのも困ったものよね」


 やや日焼けし始めた顔の汗を拭おうとする涼子に宗雄がハンカチを手渡そうとするが、それを遮るように誰かがその間に入り込む。


「ええ、そうですわね。これからもっと気温が上がるそうですよ」


 純白とも言える肌を守るように日傘を差した少女はそう言ってペットボトルに入った水と日傘を差し出す。


「あ、ありがとう…悪いわね」


 予想外の行動に驚きながらも礼を言って水を受け取る涼子にその少女はコロコロと笑いながら、


「いえいえ、涼子さんくらいの年齢になりますと、日焼けがそのまま染みになるそうですから、気をつけてくださいね」


 言われた瞬間、涼子の顔が引きつる。 


 慌てて後ろに居た宗雄が少女の口を抑えながら、


「ば、馬鹿…すいません、涼子さん。麻里沙が失礼なことを…」


「別に気にしてないわ。子供のいうことですもの」


 そう言いながら水を飲む彼女の身体が僅かに震えているのを察知して宗雄の表情が強張った。


「宗雄兄様ったら乙女に対してぶしつけすぎますよ、麻里沙は本当のことを言ってただ心配しただけですわ」


 お前のそれは慇懃無礼って言うんだよ!


 心の中で叫ぶが、麻里沙は笑顔を崩さないまま涼子の顔を真っ直ぐ見上げている。


「日傘も受け取っておくわ。仕事中はできないけどね。あなたも気をつけなさい、若いからって油断してるとすぐに婆になるわよ、その性格みたいにね」


「まあ!それは気をつけないと…涼子さんみたいになってからじゃ遅いですものね」


「まだ大丈夫よ、性格以外はまだ手遅れじゃないわ」


「それでは子供の私はお肌には気をつけませんとね…フフフ」


「ええ…ついでに口のききかたにもきをつけられるようにならないとね…フフ」


「それは涼子さんも一緒ですわ。取締役にたかが現場監督がそんな様子では社としてのイメージが悪くなりそうですもの」


 お互いに笑顔を貼り付けたままの会話に気温がどんどん下がっていくのを感じた。


 心理的にも体感的にも。


 まったくこの二人はいつまでたっても変わらない。 このままじゃ先に俺の胃に穴が開きそうだ。

 

 少し前に宗雄達が働いていた澤村企画は倒産し、その潰れた会社を丸ごと買い取ったのが、宗雄の妹分である麻里沙と彼女の双子の兄である卿哉だった。


 あっけに取られる社員を尻目に取締役になったことで、宗雄と涼子は麻里沙達の部下となったのだ。


 そのときに起きた騒動には本当に参った。 


反抗期というにはあまりにもスケールが違う麻里沙達のワガママをなんとか取り繕い、また片割れである卿哉の暴走を抑えつつ会社はなんとかやってこれている。


 それは社員一人一人の努力もそうだが、現場監督としてしっかりと指揮してくれている涼子のおかげでもあるのだが、困ったことに麻里沙達との関係はうまくいっていない。


 とくに麻里沙と涼子は会えばこうやって互いに牽制しあっているのだ。


 おかげで涼子の直属の部下でもある宗雄は毎日気が気でない。


 その点、卿哉は涼子と真正面からぶつかり合ってくれるので、その言い争いは子供の口喧嘩みたいでまだほほえましくみえることもある。


 まあ、あくまで麻里沙と比べればだが……。


「そ、そういえば卿哉は今日は居ないのか」

 

 下がりすぎて氷点下に陥ってしまいそうな雰囲気を察して宗雄がこの場に居ない弟分のことを口にすると、


「卿哉兄様は別の会社の会合で今日は留守ですの、なので代わりに麻里沙が来ましたわ」


 そう言いながら麻里沙は宗雄にも水を手渡す。


「ああ、サンキュっ。あいつ、この前にも会社を作ったとか言ってたな、一体何個の会社を持ってるんだ?」


「ええと…最近はどんどん売却して身軽になろうとしているので三つですね…たしか」


 三つ。 まだ高校生だというのに。 三つの会社を経営している弟分に驚くのを通り越してひいてしまう。


 実際には血は繋がっていないが、この二人の弟妹はその能力も行動力も凡人と比べられないほどに高い。 


 それは頼もしくもあるし、うれしいことでもあるのだが、同時に宗雄にとっては頭が痛いことなのだ。


「あなたは経営していないの?」


「私はしていませんわ。お兄様と違って人の上に立つというのはどうも苦手で…」


 謙遜してはいるが、麻里沙は麻里沙で卿哉とはまた違うことで非凡である。


 なんというか…その…交渉役というのだろうか? 


そう言った面では相手のことを調べ上げ、その弱点や弱みをえぐいまでに突いていくので商談の際には相手の担当者が涙目になってしまうくらいだ。


「そうかしら?相手の嫌なところを的確に調べ上げる手腕があるから意外に向いてるんじゃない?」


「いやですわ、会社に利益をもたらす為に取締役として全力を尽くしているだけですのに、上役の苦労がわからないなんて責任感の無い方は気楽でよろしいですね」

  

 負けずに言い返す麻里沙にもう耐え切れず、


「ああ!もういい加減にしろ!このままじゃ倒れちまいそうだ」


 我慢できずにとうとう二人の間に割って入る。


「…涼子さん、ご自身の部下の健康を気遣うのも業務の内ですよ?こんなことでは宗雄兄様と一緒に組ませるわけには…ひゃんっ!」


「俺はお前に言ってるんだよ!」


 宗雄が麻理沙の形の良い鼻をつまみあげて無理矢理黙らせる。


「お、お兄様…いくらなんでもそれは…ひどいですわ…麻里沙は乙女ですのよ」


「まあ、年齢だけはそうね」


「……心だけは乙女って言う夢見がちな年増さんとは違いますからね」


「う~ん?だ、誰のことを言ってるのかしら?」


「あら、本当は気づいてるくせに…白々しいですわね」


「それくらいにしておかんと、ここから追い出すぞ?」


「む~、わかりましたよ~」


 さすがに宗雄が本気だということを長い付き合いで理解したのか唇を尖らせて矛を収める。


「まったくお前は友達に対してもそうなのか?兄として心配でたまらんぞ?」


「……友達ですか?」


「佐原君、そこはあんまり言わないであげなさいよ。せっかくの休日なのに一人でこんなところに来ている以上はわかりきったことでしょう?」


「ま、麻理沙…もしかして友達、いないのか?」


「し、失礼ですね、友人はそれなりに居ますよ」


「ふ~ん、それで一緒に遊びに行くような友達はいるの?」


「私には頼りになるお兄様とたまに頼れるお兄様が居るのでそんなことをする必要はありませんよ?」


「ようするにボッチってわけね」


「そういえばその言葉、恋人の居ない寂しい妙齢の人のこともさすらしいですよ?」


「今は仕事が恋人ね。友人はそれなりに居るから私の方が上だけどね」


「う~、お兄様、涼子さんがイジワルをします!」


「あ~、まあ恋人が居ないという意味では俺もそうだから強くは言えないんだが、麻理沙も高校生なんだから、一人くらいは親友を作るべきだと俺は思うぞ?」


「お兄様までそんなことを言うんですか…麻理沙が邪魔なんですね、せっかく今日は暑くなるからとお水まで用意してやってきたというのに…クスン」


「ま、待て、麻理沙!俺が言いたいことはだな…」


「はい、嘘泣きお疲れ様です~」


「えっ?嘘泣き?」


 顔を上げた麻里沙がニッコリと微笑みながら、宗雄から見えないように声を発さないように唇を動かす。


『お・つ・ぼ・ね。お・ん・な』   


「なんですって~!」


「ああっ!そういえばアレはどうなったかな?確認しておくのを忘れていたので今から調べてきま~す」


 宗雄がとうとう耐え切れずその場から戦術的撤退をする。


 後ろから、


「殿方に気を使わせるなんて女性としても上司としても問題ですわね、これは評価に影響しますわね」


「あら、世間知らずの子供のフォローをするお兄さんも大変よね」


 耳に入ってきたが、それを聞いていないフリをして宗雄は走り出す。 当て所も無く。 目的も無く。  

 

 胃の辺りを押さえながらふと思う。


 ああ、いつか麻里沙にも親友と呼べるような人間が出てきて欲しいな。 そして俺の代わりに麻理沙を止めてくれたらいいのに。 


 カンカンと照りつける太陽に祈るように宗雄は空を見上げた。



 

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