妹が理解できない兄の困った趣味
学園の外れにある第3武道場内に音が木霊する。
それは竹刀が激しく打ち合う音と一拍遅れて何かが転がる音。
「ぐはっ!」
「立て、そんなことじゃ僕に一発打ち込むなんて夢のまた夢だぞ」
木製の床の上には卿哉が転がっている。
ハアハアと荒い息を吐きながらそれでも懸命に立ち上がり、向かい、そして
「ぐっ…痛っ…くそっ!」
また強かに打ち据えられて床に倒される。
館内には三人の人影しか無い。
卿哉と透火と麻里沙だけだ。
アスター学園は部活動も盛んで、体育館や武道系の部活の為の修練場が複数存在しているのだが、ここ第3武道場は生徒会長で剣道部部長である透火の個人練習場として主に使われている。
「やれやれ、ここならば誰にも見られずに君の願いを叶えられるから最適だとわざわざ鍵を持ってきたというのにな~」
竹刀を肩で担ぎながら透火が弱ったように頭をかく。
「これじゃ、僕が個人的制裁を加えるために使用していると思われてしまうよ」
「き、貴様なんぞに…制裁など…さ、されて…たまるか」
再々度立ち上がった卿哉が竹刀を振りかぶって攻撃してくるが、それをあっさりと受け払って、強烈な攻撃が胴に炸裂する。
「ぐっ…く、くそっ…」
さすがに今度は立ち上がれないようだ。 力なく倒れた卿哉を見下ろしながら、何か言おうとしてやはり止めて、
「これ以上は意味が無いね、パーティの件はとりあえず保留にしておくよ、気が変わったら声をかけてくれ……おっと忘れるところだった、はい、麻里沙の分もね」
「ありがとうございますわ、透火お兄様」
汗もかかず、悠然とした態度で透火は武道場を後にする。
「お兄様、無茶をしすぎですわ。透火さんはあれでも全国でも有数の剣の使い手で多種多様な武術を会得してるんですよ」
そっと倒れた卿哉の顔にいつの間に用意したのか水で冷やしたハンカチを当てる。
卿哉は散々痛めつけられたことでしばらくは声も出せずに呻いている。
その間、ずっと麻里沙は無言で彼の顔についた汗や痛めたであろう箇所に優しくハンカチを当て続ける。
やがて数十分程たった頃に、
「ふっふっふ…透火め、きょ、今日のところはこの程度にして…やったの…さ」
ボロボロの有様でも減らず口を吐き出した。
「足ガクガクさせながら言う台詞ではないですけどね」
言葉通りに生まれたての子鹿のようにプルプルさせながら立ち上がろうとする卿也に麻里沙が朗らかに声をかける。
「な、なあに…む、武者震いさ…ちょっ、指で…つつくんじゃない!」
クフフとした笑いを隠した麻里沙に足をツンツンされつつも強気の姿勢を崩さない兄の反応をひとしきり楽しんだ後に、
「それでは私は用事がありますので先に帰りますから、お兄様はもう少し武者震いを楽しんでいてください」
「そ、そうか…そうだな俺はもう少し武者震い…いや、イメージトレーニングをしてから帰るとするから気をつけてか、帰りなさい」
「はい…それでは」
武道場の扉を閉めたところで、「う~、痛い~」という弱音が聞こえた気がしたが、おそらくそれは気のせいだろう…うん、そういうことにしておきましょう。
漏れそうな笑みに耐えながら、薄暗い渡り廊下を進んでいると人影が立っている。
「あら透火兄様、どうなさいました?」
「やあ麻里沙、なあに会長としてついでに校内の見回りを少し…ね」
「それはご苦労様です。ですが武道場に行くのはもう少し後がよろしいかと思われますが?」
「むっ?そ、そうかい…べ、別に心配などはしていないんだが…ま、まあ君がそういうなら止めておいたほうがいいかな」
「透火お兄様、別に卿也兄様のことを言ったわけではないですよ?」
「あ、ああ…わ、わかっているさ。そ、それより…その…卿也は…まだ立ち上がれないのかな?まったく早く帰ってもらわなければ見回りが終わらなくて困るんだが」
透火の言葉に「ならもう少し手加減してあげればよろしいのに」という感想を抱きながら、困ったような顔を浮かべつつ、
「ちょっと疲れているようですのでもう少しだけ休めば動けるかと思います」
「そうなのかい?十分に手加減したつもりだったんだが…思っていたよりも軟弱だったようだな、次はもう少し手心を…」
「透火お兄様、その言葉は卿也兄様には絶対言わないであげてくださいね」
「うん?ああ…わかっているとも、あいつは意地っ張りだからな~、兄である以上わかっているとも!ああ兄としてね」
誇らしげに兄という言葉を強調しているが、その言葉を発するたびに麻里沙は苦笑が出てくるのを耐えなければならない。
悪い人ではないんでしょうけどね…どうも空回りというか、少し独りよがりというか…まあ害になる人間ではないからあえて否定したことは言いませんけど。
「それでは、私はこれで…」
いまもなお兄としてとブツブツ呟いている透火の横を通り過ぎようとした麻里沙の肩に手が置かれる。
「帰るなら裏門から帰りなさい。一応ゴミ拾いはしておいたからね」
「……そうですか、わかりました妹として兄の言うことはちゃんと聞きませんとね」
兄と言われたことが嬉しかったのだろうか、パアっと表情を明るくした透火の胸元やズボンをよく見ると泥や汚れがかすかに着いている。
どうやら随分と沢山の『ゴミ』を片付けてくれたようだ。
まあ悪い人ではないし、こちらに害意もないんですから役に立つ人材ですもの、良い関係を築いておくのも悪くないですわ。
なにより本当の兄である卿也があまり好いていないことを考えるとその分だけ自分が仲良くしておくことに越したことは無い。
「お兄様…ありがとうございました。透火お兄様が居てくれて私達はとても運がよろしいですわね」
「……!当然さ、僕は君たちの兄なのだからね」
透火は笑う。 麻里沙も笑う。 ただそれは外面はともかく内面では対称的だった。
それに片方は気づかず、片方は言わず、ただただ仲の良い兄妹のように二人は別れた。
透火と別れた麻里沙が裏門に差し掛かると、校舎や門の影から幾人もの人影が躍り出て彼女を取り囲む。
顔は黒覆面で隠し、きている服もまるで黒ずくめで、表現するならばまさに忍者という言葉がぴったり当てはまる。
「ご苦労様です…ゴミは回収できましたか?」
「はい…幾人かは逃げられましたが、捕えています」
「よろしいですわ。大方親戚の方々が差し向けた人たちでしょうから、誰からなのかを聞いてから丁重に送り返してあげてください……警告もつけて」
「はっ!それと卿也様から依頼されていた物も用意できております」
途端に麻里沙の顔が歪む。
妹である自分には到底理解できない趣味の卿也からの依頼品とは…。
また無駄なお金を使って子供じみたおもちゃを作ったのかしら…本当に困った人ですわね。
「それは直接お兄様に渡してあげてください」
「御意、しからば我等はここで…帰路、十分に御身お気をつけてください」
それだけ言うと人影たちは消え去った。
あの芝居じみた台詞に仰々しい姿こそが兄の趣味であり望みであることを理解はしているが納得も出来ない。
ただ兄が兄たるゆえんがそこにある以上は強く否定することも出来ず、ここ数年間彼女の心を悩ましていた。
「はあ…本当に困った人ですわ。今度宗雄兄様に一言言ってもらおうかしら」
渡り廊下で見せた貼り付けたような笑顔とは違う本心からの憂いの表情で彼女は月を見上げるのだった。
「くそっ!くそっ!透火の奴め、いまに見てろよ」
小悪党のような言葉を口ずさみながら、痛む身体を引きずりながらようやっと武道館から出てくる。
外はすっかりと日が暮れて、暗くなっており学校内には一人も居ないようだ。
「……誰だ!」
気配を感じた彼が校舎の陰を睨みつけると忍びの格好をした者達が這い出てきた。
「お前らか…どうした?」
彼らは卿也の直属の部下であり、また同志でもある。
時代錯誤の忍者姿も妹からすれば困った病気だと思われているそのポリシーによって繋がった者達だ。
「卿也様、例の物が完成しました」
「そうか!完成したのか、でかした!」
不適な面をした男の顔から少年のような表情に切り替わった主に忍者もどき達も喜びを隠せない。
「…ここに、どうぞご確認ください」
一人の忍者もどきが一抱えもある黒いアタッシュケースを卿哉の前に置き、開かれる。
「うむ。確かに要望どおりの代物のようだな、お前たちもよくやってくれたな、報酬は弾ませてもらおう」
綻ぶ忍者集団の中から数人が仰々しい箱を持って卿哉の前に進み出てくる。
「お待ちを…卿哉様、私達の用意した物も是非見聞してもらいたく」
それは先程のアタッシュケースとは対照的だった。
純白の箱に細かい飾りつけと装飾を施したそれはまるで宝箱のようにも見える。
「お前たちか…前にも言ったはずだ、それは私の構想からは外れていると、なにより目的への存在理由レゾン・デートルからズレている」
「しかしながら…御身に最も合うのはこれかと…」
尚も食い下がる面々に先程の透火の一件での苛立ちが再点火する。
「くどい!お前らのそれは余計な物だ!以後その話を俺の前でするな!」
キャラ作りの一環である私という一人称が抜け落ちてしまうほどに怒鳴りつける卿哉にさすがの面々もただ『…御意』という一言しか返すことは出来なかった。
「しかしこれで野望の一歩であるあの計画を進ませることが出来るぞ、有原の者たちよ!そして透火よ!この俺の目的の礎になるがいい!はっはっは!」
高らかに声を上げて笑う卿哉に前にかしずく者達から賞賛の声が上がる。
ただその中の一部だけが悔しそうに視線を下げていたことを有頂天である彼は気づかなかった。
それから数十分後、すでに卿哉は帰路に着き、学園の校舎裏には数人の男たちが居た。
「やはり卿哉様の考えを変えることは出来なかったか」
「これこそがあのお方に相応しいはずなのだがな…」
「止めよ、こうなっては致し方ない。また別の機会を見つけだして進言するしか今はあるまい、撤収するぞ」
撤収という言葉に男たちの反応は薄い。
全員が卿哉の感性に心酔し、またその理想を預けたかったのだが、残念ながら彼らの主はそれを退けた。
それが彼らの反応を些か鈍くさせってしまったようだ。
「…!何奴!」
リーダー格の一人が気づいた時にはすでに他の面々は地面に倒れ伏していた。
「やれやれ、まだこんなに居たとはね、念のために学園内に残っていて本当に良かったよ」
暗い闇の中から誰かが呟いた。
校舎の影から月明かりに照らされながら出てきたのは透火だった。
手には彼が最も愛用する木刀を手に持って。
「まったく卿哉達が残っていなくて幸いだ。ところで君達はどこからの刺客だ?大方弟妹達を狙ってきたんだろうがそうはさせないよ」
なんということだ! よりによってこの者に見つかるとは!
リーダー格の男はチラリと横を見る。
そこには先程卿哉に突っ返された例の箱が置いてあった。
「なにやらそこの箱が気になるようだね、大丈夫、それも含めて君たちはこの有原透火が全て捕えさせてもらう。それが兄としての努めだか…」
言い終わる前に男が透火に飛び掛かる。
が、それを予測した透火の強烈な一撃が彼の意識を丸ごと刈取ってしまう。
薄れゆく意識の中で彼が最後に見たのは例の箱を開ける透火の姿だった。
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