もう一人の兄

 窓の外から見える景色は弛緩している。


 いまだ社会に出ていないひよこ達が守られた籠の中で朗らかに笑いあっていた。


 舌打ちをしたくなる衝動を堪え、それでも眉が不快に釣りあがっていることに気づいていない彼もその生い立ちと精神的な強さは同世代よりも飛びぬけているとはいえやはりまだ青い部分を残しているようだ。


「どうかしたんですか?」


 唐突に話しかけられたことで彼は表層の筋肉を制御して元の鉄面皮へと戻していく。


 柔和な見た目にぴったり似合うような朗らかな笑顔に。


「いやなんでもないよ、ただ今日は平和だなって思ってね」


「平和って学校の中なんだから普通じゃないですか~」


 語尾を僅かに上げるその言い方に内心イラっとしたモノが湧く。 


 彼が子供の頃から見てきた媚び諂うような言い方だ。 もっともそれは彼や彼の妹が持つ血筋や財力を求めた語り方ではない。 


 もっと純粋で、ある意味年齢相応の可愛らしい感情であるのだが、それをいまだ解しない彼にはやはり同じように思えてしまい少しだけ不快だった。


「それもそうだね…えっと、ところで…君は?」


「一年生の増原綾乃です。実は…私、先輩のことを…」


「はい!は~い!同じく一年生の春平香澄で~す」


 憧れの先輩との会話に唐突に割り込んできた存在に、最初に話しかけてきた女生徒の顔が強張る。 


 邪魔してんじゃねえぞ! このブスが!


 と言う心の言葉を存分に放射しながらも当の女生徒はそんなことなど気づかず、いや気づいていても『そんなの関係ねえ!』と言わんばかりに自分のことを速射砲のように吐き出していく。


 面倒くさい…おしゃべりなだけでなく厚かましいとは…まったくこれだから女という生き物は。


 とはいえ思ったことを口に出すことは出来ない。


 金持ちの子女が通う学校の中で彼の家はその中でもダントツにトップであり、その特殊な生まれゆえに校内ではそうそう好きに振る舞うことなど出来ないのだ。


 まあ、その分は学校の外である程度は好きにさせてはもらっているがな。


 いまだ彼の前に立つ少女達はお互いを牽制しあいながら自分達のことをアピールし続けているが、そんなことは彼にとってはどうでもいいことであり、むしろすればするほど好感度が下がっていく愚かな行為であった。


 くそっ、よくもまあ…これだけくだらないことをしゃべり続けられるものだ…どうにかこの場を逃れなければただでさえ、最近兄上の所へいけなくてストレスがたまっているというのに!


 先日、張り切って兄貴分の仕事を手伝おうとしたのだが、逆に怒られてしまった。


なのでほとぼりが冷めるまではそちらに行くことは出来ない。


 外面的にはともかく内面的には人嫌いである彼が唯一尊敬し、信頼する人間である兄代わりの存在を考えながら、どうにかこの場を切り抜けようと模索したところで、


「卿哉、こんなところにいたのかい?生徒会が始まるから早く来てくれ」


 思ってもいないところで助け舟が来た。 


 だがそれは彼にとってはホッとするようなことではなかったのだが。


「ああすいません…すぐに行きます…それじゃ、君たちまた後でね」


 後など、永久に来させるつもりなどない気持ちを隠しながらその場を歩き出す。


「は~い!先輩、また後で~!」


 キンキンと響くような高音を後ろから叩きつけられ思わず表情が歪む。 とはいえ背中を向けていることで彼女らには気づかれていないことを無意識に計算してはいたが。


「随分とモテるじゃないか…羨ましいね」


「…あれは物珍しがられてるだけですよ、そちらこそ俺なんかよりも女性に好かれてるんじゃないですか?」


 言い方はかなりぶっきらぼうで、先程の女生徒達への態度に比べれば雲泥の差だが、言われた当人は慣れているのか、


「いやいやどうにも男女交際というのは僕にはわからなくてね…今度、卿哉に教えてもらおうかな?」


 そんなことを言う彼も煌びやかな美少年である卿哉とはまた違うタイプに美しく、スッと伸びた背筋にバランスよく着いた筋肉と長身で爽やかな好青年であった。


「それこそ俺には教えられませんよ、女遊びのことならそちらのご兄弟達に教授してもらってください」


 投げやりな言葉を卿哉と呼ばれた少年にかけられても、なんでもないことのように…でも少しだけ寂しそうに、


「君だって兄弟じゃないか」


「ふん、母親は違いますけどね」


 それだけ言うと黙り込んでしまう。 


隣に居た青年も気まずそうな顔でそれ以上の言葉をかけることはない。


 くそっ、こいつに見つかるなんて! とっとと目的の場所に向かえばよかった。 ぼっとしていた自分自身に腹が立つ!


 毒づきの言葉を心に飲み込んで気まずい雰囲気に耐える。


 幸いなことに生徒会室は近く、すぐにたどり着いた。


 誰に命令されるでもなく卿哉が扉を開くと、


「遅いですよ…卿哉兄様に透火兄様」


 ささくれ立った心を癒してくれる少女の声が耳に届いた。


「遅れてすまなかったな麻里沙」


「やあ、待たせたね麻里沙」


 兄弟二人の言葉が同時に部屋に響き、二人は顔を見合わせて一人は照れくさそうに笑顔で、もう一人は憮然とした顔を浮かべるのだった。







 卿哉達が通うアスター学園は首都圏で最大のマンモス学校で、幼、小、中、高、大と備え、その生徒数もその生徒達の年収もまた国内最高峰に位置する。


 編入する生徒も滅多におらず、国内有数の純粋培養のエリート子女が通っていてその敷地も下手な都市よりも広く施設ですら卒業生達の寄付により田舎の行政区よりも金をかけられている。


 ゆえに教室一つも広く、特に学園を代表する生徒会室などは一般的な教室の数倍は広い。


 大学の講義室のように百に近い座席を備えられたその広大な室内の一角に集まっている人数は数名だけだった。


「まったくこの人数しかほとんど使うことなどないのにこんなに広いなんてスペースの無駄遣いだな」


「そう言うなって、それでも生徒総会や各部活の集まりがあることを思えばこれくらい広くないと意味がないのさ」


 ゆうに三畳ほどの大きさのある机に並んだ面々達の中で卿也が毒づくのを先程麻里沙から透火と呼ばれた青年がたしなめる。


 卿哉の隣には彼よりもちょこんと小さいが、白い肌と大きな瞳にややウエーブの掛かった長い髪の少女が座っている。


 隣の卿哉と並ぶとまるでどこかの国の王子と姫のようにすら見えるほどに美しい。


「そうですよ、お兄様…確かに年に数度しか使わないにしても必要だから作ったのでしょうから、そんなことを言ってはいけませんわ」


「ふん!そういうもんかね」


 透火の言葉にすら反抗的な態度を崩さなかった卿哉も隣にいる少女の言葉には大した反論もせずに黙り込んだ。


「まったく妹さんを見習いたまえ、我々は栄えあるアスター学園の生徒会なんだからね」


 追加の説教にプイとそっぽを向いて返す卿哉に妹である少女も透火も苦笑いで返すのが精一杯だった。


「さて無駄話はこれくらいにして始めようか…」




 会合は一時間ほどで終了した。


「まったく仰々しい場所を用意しておいて、たかが小一時間ほどで終了とは…やはり無駄以外の何者でもないな」


 ブツブツと愚痴を垂れながら資料を纏めている卿哉をジッと見つめている者が居る。


「…なんだ、何か言いたいことでもあるのですか?」


 見られていることへの不快感を全身で表現して見据える。


「いや、君達にだけ話したいことがあってね、他の者たちが居なくなるのを待ってただけなんだけど、そう睨まないでくれよ」


 綺麗な顔には不釣合いに厳しい卿哉の視線を余裕で受け流す透火にますます苛立ちが増す。


「だから用があるなら早…く?」


 すべすべとしたテーブル上に一枚の紙が前に置かれた。


「…何だこれは?」


「近日にアスター学園内でパーティがある。学園のスポンサーや大事なお客様を呼んでね」


「それが俺に何の関係がある?」


 その言葉に手紙を置いた透火はハァとため息をつく。


「何が!…っと」


 激昂して立ち上がろうとする卿哉の眉間に指を当てて制止させられた。


「君はまだそんなことを言っているのか、前も言ったはずだよ。こういうことも含めて全てが有原の家に生まれた者の義務だと」


「それが俺と何の関係が…」


「お兄様…私達は仮とはいえ有原の人間です。間違ったことは言っておりませんわ」


 麻里沙が口を挟む。 だが言葉とは裏腹にその表情は暗い。 


「…くだらんな、俺は行かん!行くならお前らだけで行け!」


「まるでガキだな」


「貴様に何がわかる!俺は有原の犬にはならん…お前のような犬になど!」


 怒鳴り散らす卿哉を麻里沙は無表情で、言われた彼は冷めた目で見つめている。


「ならば仕方ないね。教育の必要があるようだ」


「ふん!こちらこそお前のそのすました面に一発食らわしてやりたかったところだ!勝負しろ!決闘だ!」


 決闘という前時代的な言葉に透火も面食らったようだったが、すぐに元の精悍な顔つきに戻って、


「そうだね、弟の教育をする。それも兄の勤めだね」


 口元を綻ばせてそれを受けて立つのだった。     

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