エピローグ、宗雄の決意とその現状
卿哉と真理沙と離れ離れになる。 そう聞かされたときはやはりショックだった。
だがそれも仕方がないと思ったことは今となっては彼らには言えない。
二人が自分とは違う階層の人間だということは子供ながらもわかってはいたが、それでも卿哉は変に意地っ張りなくせに寂しがりやな少年で真理沙は感情をはっきり出せない恥ずかしがりやな女の子で自分にとっては大切な友人だったのだ。
この自分よりも年少な友達を俺は大好きだった。 いつまでも一緒に居たいとさえ思っていた。
しかしそれはあくまで子供の願いであって、やはり家族で暮らせるのなら暮らしたほうがいいとまだガキだった俺はそう思ったのだ。
浅はかにもそう思って受け入れようとした。
しかし真理沙が家出して彼女を迎えに公園に行った時。
卿哉が悔しそうに拳を握りしめているのを見たときにそれは間違っているのではないかと気づいた。
そしてそれは卿哉達と共に有原の本家へと行ったときに確信へと変わった。
始めてみる有原の大人たちが見せた卿哉達への視線に言葉。
それは父親と学校の先生以外の大人しか知らなかった自分には信じられない光景だった。
まるで野良犬を見るかのような目、自分の友人達をあからさまに罵倒する大人たちに対する憤り。
そしてそれを歯を噛み締めて耐える卿哉達のあの姿。
そうあの時の自分は怒っていた。 あとにも先にもあんなに強くそうなったことがないほどに。
こんな人たちに卿哉達を渡したくない! それを許してしまえば自分もこんな大人たちと同じになってしまう!
だからこそ、あの有原の面々たちが集う場で俺はそう宣言したのだ。
「卿哉達は渡さない。僕は卿哉達の兄です!だから僕が卿哉達とずっと一緒にいます」
その宣言は一笑にふされた。 当然だろう、まだ中学生になったばかりの少年が家族を名乗ったのだから。
けれども俺は本気だった。
いままでもそう自負していたところはあったが、あの日あの時に俺は卿哉達と兄弟になることを自ら選んだのだ。
その提案は半分だけ叶った。
卿哉達は有原の家の者にはなったが引越しはせず、俺が大学に進学して故郷を離れるまで彼らと俺は一緒に過ごした続けたのだった。
その間は色々大変だったしハチャメチャなことも沢山あったが、そうして一緒に過ごしているうちに俺達の絆は強固になっていく。
たとえ血は繋がらなくても俺達三人はもう本当の兄弟なのだから。
「…この企画書を作ったのは誰?」
終業寸前、企画書から顔を上げた涼子が隣の社員に質問する。
「ええっと…卿哉君だね」
その答えは予想出来たのか、ため息を大きくつく。 そして少しだけ気分を落ち着かせると、
「また会社の規模を考えない寝言でも書いてるんじゃないかと思えるような内容だわ」
隣の社員がその言葉に興味を持ったようで涼子から企画書を受け取る。
「こりゃ凄い、実現すれば国家プロジェクトといっても差し障りないね」
辞典のように分厚い企画書は全てに置いてこと細かく書かれており、その細やかさが企画者のスケールを物語っているようだった。
ただ問題点はそれは資金面でも資材の調達、工事をする人間も全てありえないレベルで、納期すら未来のネコ型ロボットを連れてきても不可能と思えるほどだった。
「あの子どこかの国の独裁者にでもなるのかしら?」
頭痛がするのか眉間に指を当ててトントンと叩く。
「とにかくこんな無謀…いや狂気の企画は絶対に却下よ!社長にも言っておかないと」
会社名が変わったことで色々と面倒な手続きを担当し、なおかつ経営陣の無謀のブレーキ役として機能している彼女は椅子から立ち上がり、社長室へと向かう。
「まったく…社長も社長できっぱり断ればいいのに…なったばかりとはいえ高校生に舐められすぎなのよ」
ブツブツと愚痴を吐き出しながら社長室の扉を開く。
ノックを忘れたのは彼女自身、いい加減疲れていたからだろうし、いまやそれを咎める人間など居ない。
本人の意思とは関係なく、そういう存在へとなってしまっているのだ。
「社長、少しお話が…」
「…であるからこそ、この企画を達成することによって我が社は更なる飛翔を…」
黒塗りの高級そうな社長机の前で大上段に演説をかましている途中の企画者と鉢合わせた。
「むっ、何のようだ?お局社員よ!」
「誰がお局よ!好きでこんな役目負ってるわけじゃないんですからね」
そう言って机の上に件の企画書を叩きつけると、ズドンという紙という媒体から発するとは思えない音がする。
もしかしたらビル全体が揺れたかもしれない。
「…それで?この企画書はなに?」
「ちっ、もう見つけたのか…目敏い女め」
「見つけるわよ!大方馬鹿正直に出しても却下されるのが見え見えだからこっそりと紛れ込ませたんでしょうけど分厚すぎるのよ!こんなもの出してわからないはずがないでしょ!」
「…ふん、取締役の経営判断に口を出すとは、なんと傲慢な社員だな」
「私が傲慢なら、貴方は大馬鹿よ!こんな企画達成できるわけないでしょうが!」
自信作を否定されたことで卿哉がむっとした顔をするが、そんな表情は会社名が変わってから何度も見てきたので涼子も動じない。
「だからこそいま社長にこの企画の素晴らしさを説明していたところだ!」
「素晴らしい?あほらしいの間違いでしょう!社長、こんな企画を検討する必要なんかありません!」
「いや違うぞ社長!これこそ我が有原卿哉が長年温めてきた計画、必ず実現できるはずだ!」
「だからそれはただの夢想でしょ!」
「違う!ロマンだロマン!」
喧々諤々と言い争う二人に挟まれた新社長は困り果てた様子でそれを見ている。
「社長、資金なら心配するな!この俺の全てを使って実現させてみせる!あなたはただ首を縦に振ればいい」
「駄目です社長!会社が潰れます!断固として首を横に振ってください!」
「皆様、御機嫌よう…あら、取り込み中でしたか?」
唐突に社長室の扉が開き、真理沙が入ってくる。
「おお!妹よ…我が愛しの同胞よ、俺の理想を体現すべき計画をこのお局が潰そうとしているのだ、助力をしてくれ」
「だから私はお局じゃない!」
「また喧嘩してんのかお前ら」
真理沙の後ろから彼女よりも年長の青年が呆れた口調で入ってくる。
「…おお、兄よ…我が敬服すべき兄よ、この理想という者を忘れ現実の風の前でボロボロと崩れていく者に説教を…」
「いや意味わからねえよ…どうせまたマンガか何かの影響を受けたんだろ」
「そういえば、最近兄様がはまってるアニメにそのようなシーンが…」
「ち、違うぞ!こ、これは俺のオリジナルだ…よしんば似ていたとしても誰にでも当てはまるシンメタリー的な…」
どうやら図星だったようで、怒涛の言い訳を始めるが誰もがそんな彼を生暖かい目で見つめている。
「とにかく、こんな無謀なプロジェクトには賛成できません!」
グダグダになりかけた空気を引き締めるように涼子が再度、異をとなえる。
卿哉はまるで自分の計画を邪魔された悪の総帥のような顔で、
「おのれ…やはりクビにすればよかった」
「お生憎様!私をクビにするときは佐原君と社長の許可が必要って約束したでしょ?」
勝ち誇ったような言い方は歳不相応に若々しい。 さすがに卿哉の『お局』連呼に対して微妙な年齢ゆえに思うところがあるようだ。
その普段とのギャップには宗雄も苦笑してしまいそうになる。
「……なにが可笑しいの?佐原君」
「い、いえ…べ、別に…ゴホン、あ~卿哉、この計画は俺も賛成できんぞ」
「な、何故だ…」
ヨロヨロと後ずさりする。 そして肩膝をついてしまう。
「反応がいちいち大袈裟なんだよ…麻里沙はどうなんだ?」
「…!そうだ、妹よ!我が妹よ!お前ならこの遠大な計画を理解してくれるはずだな?」
もう一人の取締役である実妹に縋るように片膝ついたまま見上げるが、当の妹は計画書の最初の数ページをパラパラとめくった後で
「お兄さま、夢ならちゃんとベッドで見てください」
寝言は寝てから言えよ(大意)と言われてしまいそのまま全身を投げ出すように倒れこんでしまう。
「さて、戯言はここまでにして仕事を始めましょうか…社長、鈴木工務店との話し合い纏めてまいりました」
「ご苦労さま、最初だから苦労したでしょう?あそこの契約は大口だし、担当者は強面だから」
「いえいえとても朗らかな方でしたわよ?」
麻理沙の答えに涼子が「本当?」という視線を向ける。
「え、ええ…最初は難航するかと思いましたが、麻里沙のおかげで…」
やや言い辛そうな雰囲気を察した涼子の顔が少し渋くなる。
「なんて言ったのよ?」
「大したことは…ただ特定の業者さんと個人的な関係が強すぎるのではないでしょうかと言っただけですわ」
「…そういうことね」
更に涼子の顔がさらに渋くなる。
ようするに特定の業者からディベートを貰っていたのだろう。 そしてそれを麻里沙が調べ上げていて脅したのだ。
「脅しなんて人聞きの悪い…こちらとも仲良くしておいたほうがいいですよと提案しただけですわ」
麻里沙はキラキラとした笑顔でそう答える。
話し合いの際に隣にいた宗雄だけが引きつった顔をしているが、全員何も言わない。
「…まあ纏めてきてくれたからこれ以上は言わないけれどそういうやり方は感心しないわよ」
「私のお仕事は話し合いを纏めることですから…それを最優先にして努力しただけですわ」
「社長!よろしいんですか!」
急に口火を向けられた社長は困ったような顔をするが、
「ま、まあ…とにもかくにも麻里沙さんも商談を纏めてきてくれたわけですから」
「ふふふ、さすがは新社長ですわ、あのイベントは手痛い失敗もありましたがやはりスカウトして成功でしたね」
「は、ははは…あの時はありがとうございます」
社長の椅子に座りながらペコリと頭を下げる。
実は新会社の社長は竹田に決まった。
それは宗雄が断ったこともあったが、例のイベントでの不手際を反省した卿哉と麻里沙が上役にこの仕事のことを良く知っている人間が必要だと言い出したからだ。
また彼の息子を危険にさらしてしまったことへの侘びも多少は含まれていた。
そういうわけで代表取締役として卿哉、取締役として麻里沙、社長が竹田という三人体制で行くと決まった。
宗雄は卿哉達からの昇進の話も蹴って、平社員として働いている。
涼子も彼女を解雇するなら俺はお前らと一生口を聞かんと宗雄に言われてあっさりと手のひらを返した卿哉と麻里沙によって撤回された。
そもそもが無茶苦茶な話だったんだから当たり前なのだが。
とはいえ何気にこの弟妹達の暴走を食い止められる唯一の人材として会社としても大いに助かっている。
本人に言えば嫌な顔をするのは間違いないので言わないが。
「ね、ねえ…それより」
「はい?なんでしょうか?」
「あれ…放っておいていいの?」
ふと見ると、卿哉がいまだに大の字で床に寝そべっている。 妹の先程に言われたことがよほどショックだったのか、はたまた拗ねているだけなのか?
「もう…本当に手の掛かるお人ですわ」
一度大きくため息をつき、麻里沙が宗雄の横にトットと歩み寄る。
「う、うん?どうした?」
「宗兄様!私、お話を上手く纏めましたわよね?」
ピクっと卿哉が反応する。
「あ、ああ、まあな…」
「それでは褒めてください!良い子だなって」
そう言うと身体を少しだけ折り曲げて頭を差し出すので、その意図を察して宗雄も麻里沙に手を伸ばす。
「ああ…よくやったよくやった」
まだ子供だなと苦笑しながら麻里沙の長く柔らかな髪のうえに手を置いてやや乱暴に頭を撫でてやる。
「くふふふ…ふふ」
麻里沙は表情は満面の笑みで気持ちよさそうな声を出して喜んでいる。
キリキリキリキリキリキリキリキリ。
「な、何?この音?」
途端に部屋の中で硬質な音が木霊する。
それは何か硬いもの同士をすり合わせているように聞こえ、そしてそれは段々と断続的に、だがより強い力でこすり合わせてるような音へと変わっていく。
ギギッギ、ギギッギギギギ。
「どうなさったのお兄様?そんなくるみ割り人形みたいに歯を噛み締めて」
音の元凶は卿哉だった。 床に倒れこみながらも顔だけは宗雄達の方を向いて、視線は麻里沙の頭上を恨めしげに見つめている。
「嫌だわ兄様ったら、そんな物欲しげな目をしても麻里沙はちゃんとお仕事をこなしたからですのよ?……チラシの裏を書き連ねているばかりではこのご褒美はもらえませんことよ」
「な、何を!」
卿哉が弾かれたように立ち上がる。
「お兄さま…理想を高く持つことは素晴らしいことと思われますが、いまは目の前のことを一つ一つこなしていかなければとうてい理想には届くことはありませんわ、私達には人には無いものがあります…だからこそ逆に人には有るものが私達には無いこともありうるのですから」
普段のポワンとした表情を一変させた真面目な妹の態度に何も言えずただ神妙な顔で卿哉は黙っている。
「……ですからこのご褒美は麻里沙だけのものですから!残念ですわね~」
そうするとまた何も考えていないような笑みに戻して自身の頭の上にある宗雄の手に頭をこすり付ける。
「き~!くぇおきこおぽいうえ!!!!覚えてろーーー!」
卿哉は声にもならない叫びを上げた後に小物丸出しな捨て台詞を吐いて涙目で部屋を飛び出していった。
「お、おい…」
「……多少は厳しいことを言わなければならないこともあります、とても辛いことですが…ええ、本当に…辛い…く、くふふふふ」
「…笑いが我慢しきれてないぞ」
「いやですわ、辛さのあまり涙が…」
「いや…ものすごく満面の笑みなんだけど」
まるで漫才のような兄妹のやり取りを醒めた目で見つめながら、
「兄は誇大妄想狂、妹は腹黒サディスト…そんでもって二人とも筋金入りのブラコンね…苦労するわね彼も」
毒づくような涼子の呟きは誰にも聞こえないくらいに小さかったが、宗雄達と談笑していた麻里沙がギギギと後ろを振り返る。
そしてさりげなく宗雄達から離れると涼子の前に立ち、そのいつもと変わらない鉄面皮のような笑顔で、
「何か仰いましたか?きっと私の耳が悪かったのしょうね、兄と妹が仲が良いことを非難するなんてそんな常識知らずの人がいるはずが…」
「うわっ、腹黒の上に地獄耳なんて本当性格悪いわ~」
「いいえ、涼子さんには負けますわ、お局っぷりが本当に板についてますもの」
「ええ、私も取締役の仕事振りを参考にして頑張っていきますね……なりたくは無いですけど」
営業スマイルと張り付いたような笑顔の二人が火花を散らしているところを宗雄はチラリと見る。
会話の内容は聞こえないが、どうやら多少は打ち解けたようだ。 これを機会にあいつらも大人になってくれればいいんだけどな。
奇跡にも近いささやかな願いを宗雄が胸に抱いていると同じ時に計画をリニューアルして必要予算を5%削除した卿哉が所長室へと爆走してきていた。
「ふはははっ!俺は何度突き落とされようが決して諦めん!妹よ、兄に次に褒めてもらうのはこの兄だ…決して次は油断はせんぞ!」
緊張感が飽和する寸前に部屋に乗りこんだ卿哉が空気が読めねえなと舌打ちされるまであと3分。
彼の悲痛な悲鳴が木霊するまであと5分。
それまでは仮初めながらの平和が世界に満ちていた。
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