兄以外の塵芥、それでも彼は

 運動会は何事もなく進行し、午前の部が終了した。


 卿哉達の担当する赤組は白組に対して若干負けているが、その点差は小さい。


 午後の競技次第では十分に逆転可能だろう。 


 しかし卿哉自身はそうは思えなかったようだ。 


 昼食の時間。 子供達が親御達と一緒に楽しく食事をしている校庭にマイクの音が入る音が木霊する。


「赤組の面々よ、我は不甲斐ないぞ!」


 赤組の為に拵えたステージの上、そこには派手な装飾な仮面と黒光りするような光沢マント、そして変身ヒーローのようなスーツに身をやつした卿哉がドライアイスの煙とともに参上した。


 白組、赤組、そしてそれぞれの家族達全員が突如現れた謎の怪人に視線を集中させる。


「我が率いる赤組の精鋭達よ…我が「ブラックリベリアーズ」の赤の精鋭たちよ君達は本当にこれで満足なのか?否!断じて否なはずだ!」


「…あいつは一体何をやってるんだ?」


「そうね…多分赤組の子達を応援してるんじゃないかしら」


「お兄様ったら…恥ずかしいですわ」


 あきれ顔の宗雄。 無表情の涼子。 その間で顔を赤くした真理沙が申し訳なさそうに身を縮こましている。


「確か…弟が昔、一時期あんな感じになってたのを思い出したわ」


「…だいたい中学二年くらいのときですか?」


「そうよ…よくわかったわね」


「ああ、まあ…なんとなく…というか」


「だからあのスーツを用意してたんですね…もっとよく見張っておけばよかったです」


 気まずそうな宗雄とますます顔を赤くする真理沙をよそにヘンタイギリギリのスーツの卿哉のボルテージはどんどん上がっていく。


「赤の精鋭たちよ!モーニングアフタヌーンの戦いでは僅かながら敵を優勢されている、いまは休息を取りその傷を癒せ!だがこの後に続くハイトアーベンドの戦いでは諸君が奮起することを我は確信する!この宣言を持って諸君の奮起を期待する!では諸君、後に続けたまえ!ヴァモスガーナー!」


「最初は英語で、次がえっと…」


「ドイツ語ですわね、そして掛け声はスペイン語です」


「節操ないわね」


「おそらく語感で格好いい単語を選んだのでしょうね…昨日夜遅くまでなんか叫んでると思ったら…」


 実の妹は涙さえ流している。 兄貴分である宗雄はかつての自分と重ね合わせて卿哉を見ることができない。 


 その中で唯一それを理解していない涼子だけが渋い顔になっていく。


「まずいわね…子供達、意外にノリノリになってるわよ」


 そうなのだ。 驚いたことに卿哉のあのアニメの悪役調のしゃべり方は子供達には大変好評だった。


 その甲斐もあったのか午後の最初の競技は赤組が優勢だった。


 そして一つの競技が終了するたびに卿哉の派手な演出と演説が響きわたる。


 まずい状況だった。 ヘタに大人になってしまったせいで宗雄達の演出は決して悪くはなかったが、まだ目覚める直前の彼らの魂を揺さぶることができない。


 かつては確かに卿哉と同じような熱を持っていた宗雄も大人になるうえで捨ててしまったそれを取り戻すことが出来ず、だが潮目が変わらないことは理解できた。


 最後の競技が始まる時間が近づきつつある。  


 先程、挨拶兼勝利宣言をしてきた卿哉が言っていた。


 次の演出は今日最高の物になると、そしてそれで俺達の勝利が決まると。


 高笑いを発しながら去っていく背中を苦い顔で宗雄は見送った。


 もはや何も出来ないのか。 


 暗い顔を浮かべてしまう宗雄に涼子が優しく微笑む、そして静かに手を差し出した。


 言葉は交わさずにさよならと。


 俺は…この手を…どうすれば…一体…。


 逡巡する宗雄が震えながら手を伸ばした…ところで、


 突如ステージの外周から炎が上がった。 炎は瞬く間に広がりステージ自体が一つの火柱のようだ。


「すげ~!格好いい!」


「派手な演出だな」


「まるでヒーローショーのようだわ」


 あちらこちらで感心の声が上がる。


 またあの兄弟の趣味の悪い演出? 最初は演出かと思っていた涼子が卿哉達を見るが、その表情が困惑しているのを見て違うということにすぐ気づいた。


「ちょ、ちょっとあれ、本当に火事じゃないの!」


「…ええ、そのようですわね」


「そのようですわね…じゃないわよ!すぐに消火しないと」


 慌てている涼子に真理沙達が気まずそうに首を振る。


「せ、設営していた者達はとっくに帰っている…片付けの人員はまた別の会社に委託していてまだ来てないんだ」


「…!それじゃ消火器はどうしたの?」


「そ、その…消火器もその際に持って行ってしまわれて…」


「ど、どうするのよ!」


「な、なあに…あの周辺にはもう誰もいないのだ。 爆発する危険な物もすでに撤収されている。 いっそあのまま燃え尽きるまで放っておけばいい、他の者達もそういう演出だと思うだろうさ」


「…お兄さま、どうやらそういうわけにはいかないようですわ」


 真理沙が指差した方を見るとステージ中央に子供が一人立っている。 


「な、なぜ…あの場所に」


「おそらくはこっそり忍び込んだのでしょうね…これは困りましたわ。さすがに死人が出たのでは勝負に負けてしまいます」


 弱り果てた声と反比例するような酷薄な物言いに涼子は絶句する。


「うむ、そうだな…多分、煙草の不始末だろうから法的責任は委託していたあの会社に持ってもらうとしても賠償金はこちらも払うはめになるだろう」


「ニ千万かしら三千万?さすがに億の単位まではいかないとは思いますけど…」


 目の前で炎に巻かれている子供を見ながら場違いな話を始める二人に絶句してしまう。 


「あ、貴方達…何を言って…」


「仕方ありませんわ、あそこまで燃えてしまっては助けに行った人間も無事では済まないでしょう?」


「だ、だからって…見殺しにしようっていうの?」


「それならそちらが助けにいかれては?」


「なっ…」


「真理沙、無茶を言うな、これで社員まで死んでしまってはより賠償金がかかってしまうではないか」


「そうですわね…幸いまだ小さいようですし、思い出も薄いでしょうからまた一人作ってもらえればよろしいかと」


「そうだな…その間の生活の保障はこちらで持つとしよう。さすがにそれくらいはしてやらんとあの子供の両親も納得しないだろう」


 炎の熱気と煙の息苦しさで喘いでいる子供の死んだ後のことを話し合う姿は同じ人間には見えない。


 まるで良く出来た人形のような。 あるいはまったく別の種類の生き物にも見えて涼子はこの兄弟の異常さが想像以上だということに気づいた。


 本当に佐原君の兄弟なの? いいえ、この弟妹が佐原君に見せた感情は本当だったと思う。


 ただこの弟妹には人間とは二つしかないのだ。


 つまり兄である宗雄。 それ以外は二人にとっては塵芥にも等しいと。


 背筋が凍るような感覚とあまりにも異質な存在に対する恐怖が湧き上がってくる。

 

「貴方達は異常だわ」


 漏らした一言を彼らは無感情な瞳で受け止める。 それが当たり前のことのように。


「誰だって他人の為に命をかけるはずがないでしょう?」 


 真理沙の一言は世界が凍りつくように冷たかったが、   


「そうね…確かに他人の為に命をかけられる人なんてそうはいないわ」


 『そうでしょ?』と自分の言った事に同意されて素直に喜びを見せる真理沙に涼子はキッと彼女を睨み、


「それでも子供が死にそうなのに平気でいられる人間だってそうはいないのよ!」


 啖呵を切って走り出した。 


「誰か向かってるぞ!」


「ああ…また死人が増えたか」


「馬鹿な人…ですわね」


 自ら焚き火の中に飛び込む羽虫を見るような瞳で二人が賠償金の計算を二倍に引き上げた瞬間、また別の角度から声が響いた。


「もう一人行ったぞ!今度は若い兄ちゃんだ!」


 そのもう一人は実は涼子よりも先に走り出していたが、彼女からは少し離れていたので観衆達が気づくのが遅れただけだった。


 そのもう一人は作業服を何重にも頭や身体に巻きつけて涼子をすぐに追い抜き、天まで昇るように高く燃え上がった炎へと突入していく。


「ば、馬鹿な…兄よ、どうして!」


「宗兄様…いや~~!」


 無感情な人形にも見えた二人がはじめて人間らしい声をあげる。 それはまるで幼子が泣き叫ぶ声にも似た悲痛な声だった。





「はあはあはあ…よしもう大丈夫だ!って君は…」


 炎の中をステージ中央に飛び込むように転がり込んできた宗雄が顔を上げると、そこにいたのは竹田の息子である正樹だった。


 思えば卿哉の変身ヒーロ紛いの寸劇に一番興奮していたグループの中にいた気がする。


「お、お兄さん…誰?」


「俺は君のお父さんの知り合いだよ、さあ、逃げるぞ!」


「う、うん…」


 巻きつけていた作業服を同じように正樹に着けさせると来た方向から抜け出そうとしたが、


「ちいっ!崩れたか」


 炎の猛攻に耐え切れなくなった柱が崩れて来た道を塞いでしまう。


「佐原君、こっちよ!」


 消火器を持った涼子がそれを噴出させながらステージ下から駆け寄ってくる。


「熊原さん、助かります!」


 消火器によって一時的に収まった炎の中を三人は走りぬけようとするが炎は容赦なく宗雄達を飲み込もうとする。


 涼子が消火器を左右に飛ばしながら退路を確保しようとするがいかんせん消火器一本では心もとなく、中々抜け出すことが出来ない。


 それでも何とかステージ下にたどり着きもう少しで抜け出せるところまで来たが、


「えっ…嘘?終わっちゃった」


 勢い良く白い粉を吐き出していた消火器の勢いがみるみる衰えていきレバーをいくら引いても出てこなくなってしまった。


「くそっ!あともう少しなのに…」


 悲鳴にも似た言葉を吐き出すが、あっという間に炎が左右からせり出してきて退路をいまにも退路を塞いでしまう。


「お兄さま!」


 声がした。 オレンジ色に照らされた炎壁の向こう側から。 今にも閉じてしまいそうな絶望の扉をこじ開けるように誰かが走ってくる。


「真理沙か、危ないから早く逃げろ!」


 必至で命令するが、それを無視して彼女はこちら側へと走ってくる。 


 全力で走りながら手に持った消火器をまるで振り回すように中味を飛ばしながら。


「早く!こちらへ!」


「佐原君!急ぐわよ!」


 合流した真理沙と共に飲み込もうとする炎の中を全速力で走りぬけた。


 そして抜けることが出来た。 


 夏に戻ったかのような灼熱の中を過ぎ、ヒンヤリとした空気に触れてそこでホッと涼子も真理沙も安堵する。 


 涼子に抱えられた正樹も泣くのを止めて笑顔を見せていた。


 無事に危機を脱出できたのを確信し、振り返った真理沙の顔がみるみると崩れていくのを見て涼子は後ろを振り返る。


「佐原君が…いない」


「宗雄…兄…様…嘘…ですよね?」


 ステージはすでに崩壊して瓦礫となって崩れていた。 それでも炎は勢いを止めることなく燃え続けている。 


 おそらくは真理沙たちが脱出したのと同時にそうなったのだろう。 そうすると最後尾に位置していた宗雄は…?


「宗兄様!いや!いや!いやーーー!」


 真理沙が半狂乱でかつてのステージへと走りよろうとするが、


「やめなさい!危ないわ!」


 涼子が後ろから抑え付けてそれを阻む。


「離してください!離して!離してーーー!」


 その華奢な身体のどこに力があったのか、女性のわりには力があると自負していた涼子ですら振りほどかれないでいるのが精一杯な程だった。


「お兄さま!お兄さま!宗兄様ーー!」


 それでも絶対に離すわけにはいかない。


 せめて彼の残した妹さんだけでも死なせるわけにはいかないのだから。


 泣きじゃくりながら暴れる真理沙はそれでも縛りを抜け出そうともが着続けるが、やがて気持ちが切れたのかその場で膝をついてへたり込んでしまう。


「嘘です…嘘です…棟兄様が…そんな…嘘…」


 先程の冷酷な姿はもはや影すらない。 本当に同じ人間なのかと思えたほどの人形のような雰囲気もない。


 そこには愛する人を失った一人の少女がいた。


 涼子もその場に居た人たちも何も言えないでいた。 どんな慰めも気遣いもこの場ではかえって彼女を傷つけてしまうと思えたからだ。


「泣くな、妹よ!」


 声が響いた。 マイクを通したのとは違うややくぐもった声だが明らかにそれに類似した何かで増幅させた人の声だ。


 瞬間、崩れていた瓦礫の一部が持ち上がり、中から仮面とスーツに身を包んだ人間が出てくる。 しかも二人。


 一人の肩に支えられながらも彼と同じ格好をした人間がもう一人そこには居た。


 そしてその正体は…


「も、もう駄目かと思ったが、このスーツまさかの防火装備だったのかよ」


 多少くぐもってはいるが、その声は間違いなく佐原宗雄だった。


「イベントとは別に防護スーツを用意していて良かった、元々はこの格好も兄者と一緒にやろうと拵えたものだったからな」


 仮面のバイザーが外れ、卿哉の顔が出てくる。


「二度と着るのは御免だが…助けてくれてありがとうな…卿哉」


「気にするな、兄を助けるのは兄弟として当然のことだ…しかしさすがに肝が冷えたぞ宗兄、今度からはこういった無茶はしないでくれ」


「当たり前だ…二度もこんな目にあってたまるか、お前らが同じようなことにならない限りはわからんけどな」


「それこそ無用の心配だ。俺ならばこのような失態はしないからな」


「いや…そもそもこの火事だってお前らの仕事がいい加減だったからじゃないのか…」


「うっ!い、いや…これは…その…仕事を委託した業者に問題があったからであって…」


「…いや、その業者を見つけてきたのはお前らだろうが」


「ふ、ふん…わかった!認めよう…今回に限ってはこの俺のミスであったことを……な」


「まったく…お前らあとで説教な、大体お前らは…うおっ!」


 台詞の途中で真理沙が飛び込んできた。


 大粒の涙を流し、綺麗だった髪もあちらこちら焼けこげているが、そんなことなど気にもせず、また人の前だということも構わずに子供のように大泣きして宗雄と卿哉を強く抱きしめる。


「…お兄さま…お兄さま!!」


「あ、ああ…心配かけて悪かったな。でも真理沙が来てくれたから助かったよ、ありがとな」


「そんなことは言わなくてもいいです!ただ…ただ棟兄様が無事でよかった…それだけで真理沙は嬉しいんですから!」


「い、妹よ…もう一人の兄のことも…」


「…もう、お兄様ったら空気読んでください!」


「あ、ああ…ごめん」


「お兄さまも無事だったから喜んでるんじゃないですか…それくらいのことは言わなくてもわかってください!」


 プイと横を向くが、その顔は嬉しそうだ。


 どうやらその顔を卿哉に見られるのが恥ずかしくてそうしているようだ。


 なんだ真理沙も女の子らしく育ってるじゃないか。 


 卿哉とは違う形で捻じ曲がったと心配していたが、こんなにも優しくて素直に育っていたならもう心配はしなくても……いや無理だろうな。


 胸の中で嬉し泣きする少女と肩を貸しながら「やはり宗兄と差がある気がする」とブツブツ愚痴る少年の顔を見ながら、彼はその成長と変わらなさを愛しくも困り果てながら同じように微笑むのだった。

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