家族と仕事
「さてと、それじゃ割り振りを決めましょうか」
仕事終了後、会社近くのファミレスの一番奥に鎮座した涼子は注文を済ました後にそう宣言した。
昨日とは打って変わって表情は力強く、やる気に満ち溢れているように見える。
むしろ気合が入りすぎてる気もするがそれも仕方ないかもしれない。
彼女…いや宗雄がそうなったのは勝負の説明をされた時にあった。
「つまり他の社員達の手は必要ないというのね」
「端的に言えばそうなりますわね」
狭い事務室の中はピリピリとした緊張感で飽和しそうになっている。
「これは勝負ではあるけれど、それはクライアントには関係ないわ、沢原企画でうける最後の仕事なのに社員が参加できないとはどういうことなの?」
「参加するなとは言っておらん。ただ俺達の方には関わらなくてよろしいと言ったのだ」
涼子の視線は鋭い。 今まで共に仕事してきた同僚達を蔑ろにするような二人の決定に怒りを覚えているようだ。
「お前ら、沢原企画で受けた以上はこちらの人間でするのが筋ってもんじゃないのか?」
宗雄もそう説得しようとするが、
「人足なら私達で用意します、必要な資材もこちらで。どうぞ涼子様達は沢原企画の全てを使ってくださいな」
聞く耳を持たない。 他の社員の手を借りるつもりはないらしい。
「いくらお前らがいくつかの会社を経営しているとはいえ何の伝手も無く、ノウハウも無い状態でまともに運用できるはずがないだろう」
そう返しても、二人は不適に笑って首を横に振る。
「それでも必要ありませんわ。それに今までの沢原企画の仕事振りを書類等で確認しましたが、あまりにも効率が悪く利益に対する追及が少ない。これでは仕事というよりも道楽、あるいは遊びに近いですわね」
「なんですって!」
「熊原君、落ち着いてくださいな」
自分達が今までしてきたことを遊びと言われ激昂して椅子から立ち上がろうとする彼女を沢原企画の元社長が落ち着かせる。
「これは元社長が居る場での発言としては不適切でしたわね、大変失礼をしました」
優雅に謝罪するが、悪いとはこれっぽちも思ってない態度である。
「まあいいじゃないですか、お二人がそうおっしゃられるなら…」
自身の半生を費やした会社を馬鹿にされても社長は鷹揚だった。 ニコニコとした顔を崩さない。
「……わかった。それじゃ本番は二週間後、それまでにステージと演出を決めて、投票で勝者を決める…それでいいな?」
「おう!」
「はい!」
最愛の弟妹達は苦虫を噛み潰したような宗雄に満面の笑みにそう返された。
その時を思い出し、これで社長として社員を引っ張っていくことが出来るのだろうかと頭が痛くなる。
「ところで佐原君とあの二人ってどういう関係なの?兄弟とは言っても全然似てないわよね」
ウエイトレスが運んできたコーヒーにミルクを垂らしながら涼子が問いかける。
「は、はあ…まあ色々と複雑な関係なもので…」
「よかったら教えてくれる?少し気分転換したいのよ」
「わ、わかりました…実は俺達は本当の兄弟ではないんです……」
宗雄は全てを話した。 出会いのこと。 それからの日々のこと。 そして彼らが本当の兄弟になった日のことを…。
「……なるほどね」
話を聞いた後、涼子は無表情でカップに口をつける。
「ブラコン兄妹の焼きもちに巻き込まれたってわけね」
「えっ?なんですか?」
夢中で資料を読んでいた宗雄が問いかけると、涼子は表情を崩さずに、
「なんでもないわよ…それじゃあの二人が悔し泣きするような企画を考えましょうか」
「は、はあ…」
その時を想像したのか痛快そうな彼女の顔に「どうしたんだろう?」という疑問を浮かべながらも二人だけの企画会議は進むのだった。
そして本番当日がやってきた。
「ふははは!よく晴れているじゃないか、この有原卿哉の未来を暗示しているようだな」
「お兄さま、もう少し声をお静かに、子供達がこちらをみていらっしゃるので」
天気は快晴ですでに児童達は校庭に集まっている。 ほぼ完成された豪華なステージを遠巻きに集まっていてその中央でなにやら叫んでいるのを見つめている。
「朝からテンション高いわね」
「あら涼子さん、ごきげんよう」
ステージの下から作業着に身を包んだ涼子が陣中見舞いがてら様子を見に来た。
「なんといってもまだ十代ですから…お歳を召した方よりはまだ落ち着きがありませんの…お恥ずかしいですわ」
「あらそう、子供は元気で羨ましいわ」
謙虚な態度に嫌味の毒をこめたその物言いを軽く受け止めて涼子が返す。
「…それはどうも敵陣視察、老体を推してご苦労様ですわ」
受け流されたのが不服だったのか更なる嫌味を叩き込むが、
「仕事だからね、あなたも気をつけたほうがいいわよ、二十五過ぎたら実感するから…ってこれは」
「…どうかなさいました?」
嫌味が効果がなかったことに僅かながら不快な顔になりかけた、しかしなんとかとりなおして涼子に問いかける。
「このステージに使われる板、TGー490じゃない。深刻な可燃性が判明したからこういうイベント事には使用禁止になったはずよ」
「ああそれはつい数ヶ月前に決まったことでしょう?一応暫定措置として今月一杯までは使用禁止にはなっておりませんわ」
「だからって…まともな業者なら使用しないわよ」
その反応が嬉しかったのか真理沙の言葉はより熱っぽくなっていく。
「ええ、おかげさまで禁止になる寸前に大量発注した会社からとてもお安く買えましたの、企業ですからコストは抑えませんとね」
「それで作業者も大分抑えたみたいね」
涼子の視線が最後の準備をしている人足達に向く。
忙しく動き回っている彼らの年齢は様々で、若者から老人と年齢層は幅広く、しかし作業の手つきはおぼつかなく危なっかしい。
「はい、不景気ですからどこの会社もコスト削減に協力してくれますの、その中でも一番努力してくれた会社に決めました」
「買い叩いたってところが正しいでしょう。あれじゃ素人と変らないわ」
「いいえ、ちゃんとした信義に則った契約ですわ」
事実、真理沙達が業務委託した会社は不渡りを一度出した倒産寸前の零細会社でしかも専門は建築でありこういったステージ設営は未経験であった。
仕事をとってこれなければ潰れてしまうということで、かなり無理のある金で契約したため無理くりかき集められた者がほとんどだ。
せめてもう少し金を出してくれとと懇願してきた担当者に「それでは別のところにしますわ」と笑顔で一蹴して集められた者達の顔は皆一様に暗くいい加減であった。
しかしそんなことは真理沙達には関係ない。
仕事さえ最低限にこなせれば問題ない。
雇われた会社のほうも少しでも利益を出すために人数を絞っている。
その中で作られたステージは人数と質の割りにはかなり豪奢にみえるのでかなり無理をさせただろうことは専門家である涼子には理解できた。
「とりえず問題が起きないようにしてちょうだい。でなければ会社の名が泣くわ」
「言われるまでもありませんわ」
一方妹達が火花を散らしていることなど知りもしない宗雄は最後の点検をしていた。
いまだ新人である彼には当日にやれることなどそれくらいだが、少しも腐らず念入りに設営者達と色々確認していく。
「よし、これで最後か…うん?あれは…」
最後の点検を終えた宗雄の目に知り合いが見えた。
「竹田さんじゃないですか」
「うん?ああ…えっと確か佐原君だったよね。就職できたんだね、おめでとう」
「え、ええ…おかげさまで竹田さんはえっと…どうしてここに?」
仕事できたのですか? という言葉は呑みこまれた。
前に出会ったときは面接用のスーツの姿だったが、いまはくたびれたトレーナーと薄汚れたズボンでたたずんでいたからだ。
「ああ…今日は息子の運動会でね…離婚しているからこっそりとなんだけど」
「そ、そうですか」
そう返すことしか出来ない。 本当は何故面接を受けなかったのかということを聞きたかったが竹田の疲れた顔と無精ひげを見て、その状況が想像できて…。
「君は無事に就職できたようだね、私もあの日に面接を受けた会社に入ったはいいんだけれど結局クビになってしまってね」
「えっ?そんなに早く…ってすいません」
謝罪する宗雄に僅かに笑顔を浮かべた竹田は気にしなくてもいいよと手を振る。
「やはり年寄りには肉体労働はきつくてね…一応は事務で受けたはずなんだけどさ」
「そ、そうですか…」
「うん、まだ求職中なんだけど…せめて息子の運動会くらいには…ね、今までろくに行けなかったから…ところで君は結婚はしているのかい?」
「いえ…ただ弟と妹がいます」
「そうか、それなら家族を大事にしなさい。仕事はあくまでも自身と家族を養うため…その逆になってはいけないよ?私のように」
このくたびれた中年男の顔にははっきりと後悔の色がにじみ出ていた。
宗雄はなんと答えてよいのかわからない。 宗雄には父以外の血縁者はいない。 だが血は繋がらない家族はいる。
手が掛かるけれど、彼を彼と同じように愛する弟妹達の顔が思い浮かぶ。
「お~い、佐原く~ん」
遠くで涼子が呼ぶ声がする。
「すいません、俺行かないと…今日は息子さんと一緒に楽しんでいってください。それじゃまた後で」
「ああ、また後でね」
寂しげな竹田から遠ざかり、一度だけ降りかえる。
家族。 詳しいことはわからないがきっと仕事と家族の間で苦しんだこともあるのだろう。
そしてその結果は。 寂しげな彼の横顔。
自分は果たしてあの弟妹達とどのような関係になっていくのだろうか?
いや! いまは考えるな。 仕事に集中しないと…。
それを振り切るように彼は涼子の元へと駆け出すのだった。
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