3.技術進化の壁理論 その1

「みなさん、私の研究室へようこそ。先進科学者アドヴァンスト・サイエンティストのテレスです」

「アリスでーす!」

 またも黒板の前にはアリスとテレス博士が立っている。

 前回はなんとびっくり、あのアインシュタインが『最初の先進科学者アドヴァンスト・サイエンティスト』だったというトンデモ話だったが、今回は——


                 ◇


「アリス? 相対性理論を簡単に説明できる?」

「ふ、ふぇ……? それはですね、アレですよ、アレ! ……E=mc2!」

 テレス博士の冒頭からの質問に目をぱちくりさせたアリスだったが、何とか答えることができてドヤ顔になっている。

「そう言うと思ってたわ。じゃ、質問を変えましょう。その関係式は何を表したもの?」

 腕を組んだアリスの口角が上擦った。

「ふっふっふっ! 馬鹿にしないで下さーい! これでも、博士の助手なんですよぉ? ……この関係式は質量とエネルギーの等価性、定量的関係性を表していまーす! ちなみにEはエネルギー、mは質量、cは光速度のことでーす!」

 少しは成長した助手を見る博士の目は優しかった。だが、ここで手綱を緩めるほどには甘くはない。

「あら、アリスにしては中々やるじゃない。じゃあ、相対性理論が発表されたのは何年だったでしょうか?」

「1905年! この年は『奇跡の年』と呼ばれていて、それから数年の間にアインシュタインは何本もの重要な論文を発表したんですよね?」

「はい、お見事! で、ここからが本題。その『奇跡の年』に発表された論文の一つが、実は先進科学者アドヴァンスト・サイエンティストにとって、とても重要なものだったの」

「わ、やっとメインディッシュに突入ですね! 楽しみぃ〜!」

 苦笑交じりに肩を竦めたテレス博士だったが、くるりと黒板に向かうとまたもチョークを掴んだ。

 ワクワクしながらその様子を見ていたアリスだったが、黒板に描かれたのは博士がすーっとチョークを滑らせた一本の軌跡であった。

「……あのー、博士? これは一体何ですか?」

 アリスは目をぱちくりさせてる。

 テレス博士が黒板に描いたのは一本の曲線。最初はほぼ平坦なのだが、右の終端に近いところから急激に勾配がきつくなり、最後の方はほぼ垂直だ。

「流石にこれだけじゃ不親切よね」

 そう言って博士は、今度は二本の直線をそこに加える。一本は曲線の下に水平に。もう一本は曲線の最後の部分と触れるか触れないかくらいのスペースを空けて垂直に。こうして出来上がったのは二本の垂直に交わる直線とそれを舐めるように流れる曲線だった。

「……これって、自然対数の……逆関数……指数関数のグラフ……ですか?」

「中々模範的な回答ね。確かに形は似ているけど、x軸に対してy軸の変化がある点から一気に増加していると思わない? ……ころっと話が変わるけど、アリス? 地球ができてから何億年が過ぎているかしら?」

「46億年ですか?」

「そうね。じゃぁ、人類が誕生してからは?」

「え……えーと、その……500万年!」

「ブッブー、はずれ! 罰ゲームとして、あっちまで全速力!……よーい・ドン!」

「そんなぁ!」

 などとは言いつつも、テレス博士の号砲でアリスは訳も分からず走り出す。

 助手の可愛らしい走りを見ながら、テレス博士が眼鏡のフレームを触る。途端にレンズ上に数字が現れ、次第にそれが増加していく。

「はーい、アリス! そこでストップ!」

 小さい身体のアリスが更に小さくなって、その場でぴょんぴょん跳ねていた。

「んもー! なんなんですかぁ、はかせぇ!」

「ふむ……大体6秒か。平均タイムよりも少し遅いかしら」

 そう言ったテレス博士の眼鏡には『30.00』の数字が表示されていた。

「アリスー! そこはここから30mの地点なの。その意味が分かる?」

「分からないですよぉ!」

「あのね、最古の人類と言われているアウストラロピテクスが地球上に現れたのは200〜400万年前と言われているの。その中間をとって、人類の誕生を300万年前と仮定してみましょう。で、アリスが今いるところが人類が誕生した瞬間! それを踏まえて、私がいいって言うところまで、ゆーっくり歩いてきてくれる?」

 首を傾げながら、アリスはゆっくりと踏み出す。一歩一歩を確かめるように次第にテレス教授の下に向かっていく。

 しかし、中間地点を過ぎてもテレス博士から声は掛からなかった。

「ねぇ博士、何時になったら——」

「ストーップ!」

 いきなり掛けられた声に、アリスはちょっとびっくりして、その場で直立不動になる。

 声の掛かった場所は、中間地点から少し進んだところだった。

「今アリスの立っているところは私から12.5mの地点。300万年を30メートルとしたから、10万年は1mよね? だとしたら、アリスのいる地点は何万年前になる?」

 自らの眼鏡に表示されている数字を確認して、テレス博士は微笑んだ。

「んと、12万5千年前ですっ! ……て、12万5千年前に何があったんです?」

「そのくらい覚えておきなさいよ! 人類が火を日常的に使うようになったのはこの頃と言われているの」

「へぇぇ……」

「火を使うことを身につけ、石器という道具を用いるようになった時代がここから始まる。それが長い間続いて、青銅器を使い始めるのは今から約5500年前。鉄器を用いるようになったのは約5000年前。長さにすれば5cmほどよね。今のアリスの居る12.5mの場所から、私の吐息が感じられるところまで近付かないと、青銅器も鉄器も使われ始めないの」

「……」

「アリス、最初のエネルギー革命が火の使用だとしたら、第二次エネルギー革命は?」

「んと、18世紀後半のジェームズ・ワットの蒸気機関の発明ですね!」

「ご名答。……じゃ、これは長さに表すとどうなる?」

「えーと……10万年が1mだからぁ、1万年は10cm、1000年が1cm、100年が……えーっ! もしかして……4mmくらいってことですか!」

「そう。更に、残り4mmの間に、エネルギーだけに限れば原子力の発見と利用、その利用方法も核分裂から核融合へと変化している」

「……あわわ」

「分かったかしら? ……人類の技術は、余りにも急激に進化しすぎているの」

「もしかして、さっきの曲線は技術進化の度合いを表しているんですか?」

「その通り。横軸を時間、縦軸を技術進化にとると、あんな感じのグラフになる。そして、これ——」

 テレス博士は再び黒板に向かうと、先に書いた垂直の直線をこん、と叩いた。

「博士、その直線の意味は?」

「これはね、アリス……あ、もう時間だわ! じゃ、続きはまた今度!」

「またですかぁ! いっつもいいところで終わっちゃうんだからぁ!」

「それじゃ、みなさんごきげんよう〜」

「ううう……またねぇ……」


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